カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

チェコ・ボヘミア

2013-02-11 | チェコ
こちらは、チェコの南ボヘミア最大の都市「チェスケー・ブジェヨヴィツェ」から北に約9キロメートル郊外にある「フルボカー・ナド・ヴルタヴォウ城(Státní zámek Hluboká)」(フルボカー城)(白亜の城)で、13世紀頃からは約300年間ボヘミア王国が、その後17世紀からはドイツのシュヴァルツェンブルク家が所有するなど歴史的に重要な城館とされている。


このフルボカー城までは、昨夜、プラハ・ルズィニエ国際空港に到着し、プラハ10にある「クオリティ ホテル(Quality Hotel)」に泊まり、今朝、プラハ駅北側のフローレンツ・バスターミナルからバスに乗車し、近郊のチェスケー・ブジェヨヴィツェで乗り換えやってきた。プラハからの乗客の大半は地元の人と言った様子で、車内では会話もなく静まり返っていたのが少し怖かった。

フルボカー城は、東側のヴルタヴァ川(ドイツ語名:モルダウ川)と西側の湖との間の城壁に囲まれた丘の上にあり、最寄りのバス停からは、北東に700メートル離れている。現在の白い城館は、19世紀にチューダー・ゴシック様式で改修され、1947年からは国営として管理運営されている。

城内の見学は、午後3時過ぎのガイド・ツアーに参加した(写真撮影は禁止)。見学は、エレオノーラ皇妃(シュヴァルツェンベルク家)の部屋、モーニングサロン、読書室、喫煙サロン、ダイニングルーム、図書室などで、木彫り、金、革、織物の壁紙やタペストリーで豪華に装飾されている。他にも、16世紀から19世紀のヨーロッパ絵画や豪華なステンドグラス、デルフト、ドイツ、アジアの陶器、象眼細工の家具などコレクションも豊富である。


ガイド・ツアー終了後は、敷地内の英国庭園を散策し、バス停近くの、ネオゴシック様式の「ネポムクの聖ヨハネ教会」(19世紀中築)向かいにあるカフェのテラスで、チェコビール(プルゼンスキー・プラズドロイ社のピルスナー・ウルケル)を飲みながらバスの到着時間を待った。

バスは乗車時間30分ほどで、チェスケー・ブジェヨヴィツェに戻った。旧市街にあるホテルにチェックインした後、夕食を食べ(飲み物は、フランコフカ種の赤ワインと、地元のブドヴァイゼル・ブドヴァル)、旧市街中心地「プシェミスル オタカル2世広場」(The square of Premysl Otakar2)に足を延ばした。ライトアップされた広場は、午後11時になり人通りが少なく寂しい雰囲気である。広場の北東側には明るく照らされた、旧市街のシンボル「黒塔」(右隣は聖ニコラウス聖堂)が、広場を見守る様に聳えている姿が印象的だった。


チェスケー・ブジェヨヴィツェ(ドイツ名:ブドヴァイス)は、人口およそ10万人の南ボヘミア州最大の政治・商業の中心都市である。中でも、ビール醸造では、13世紀から続く長い歴史があり、夕食時に飲んだ、ブドヴァイゼル・ブドヴァル醸造所で作られる「ブドヴァル」は世界的に有名である。ちなみに、アメリカのバドワイザーは、ドイツからの移民がブドヴァイスにあやかり名付けたもので、長年、商標権をめぐり争いが続いている。

広場の中心には「サムソンの噴水」が設置されている。円形のボウルを支えるのは4人のアトランティス像で、噴水の最上部の彫刻が、獅子と戦うサムソンで旧約聖書をモチーフにしている。ビールの話ばかりになるが、チェスケー・ブジェヨヴィツェでは、他にサムソン醸造所があり「サムソン・ビール」をつくっているが、こちらの噴水像に因んでいる。。


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昨夜は、旧市街の中心地「プシェミスル オタカル2世広場」から50メートルほど西側の閑静な通り沿いにあるプチホテル「Hotel U Solné Brány」に泊まった。
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今朝は、朝食前に旧市街を散策することにした。ホテル前には西側に抜ける路地が通っている。すぐ先の建物のくぐり戸を抜けると、急に建物が無くなり、木製の橋が架かる小さな運河の向かいに公園だけが広がっている。街の終点と言った感じで、運河で護られた中世都市だったことが伺える。

木製の橋手前から運河沿いを右の方向(北側)に歩いて振り返って見ると、この時間は人通りも少なく、時折風による木々のざわめきだけが聞こえるだけで、静寂に包まれている。


地図を確認すると、チェスケー・ブジェヨヴィツェの街は、南から流れてきたマルシェ川と、南西側から流れてきたヴルタヴァ川(モルダウ川)が合流し、ヴルタヴァ川として北西方面に流れて行く合流点の東側に広がっている。旧市街は、その合流点のすぐ手前のマルシェ川からサークル状に引かれた運河の内側にあり、こちらの木製の橋のすぐ南にマルシェ川が流れている。

運河沿いには、チェスケー・ブジェヨヴィツェで最も古いゴシック様式「聖母マリア奉献教会付属ドミニコ会派修道院」が建っている。左側の煉瓦造りの建物が修道院の西側拝廊となり、右側の白漆喰の壁面は、向かい側にある正方形の中庭の回廊を形成する建物である。こちらには3メートルほどの高さの石塀が城壁の様に続いており、修道院の敷地には入ることができない。


修道院の拝廊を過ぎた先にある交差点を右折すると、旧市街の中心地「プシェミスル オタカル2世広場」へ向かう東西通り「フロズノヴァ(Hroznova)通り」となり、前方に昨夜見上げた街のシンボル「黒塔」を望むことができる。


右側に並ぶピンクと黄色の建物の先を右側に回り込むと、修道院の北袖廊から後陣にかけて広場になっている。運河沿いの静けさから一転、多くの買い物客で賑わう朝市の風景が飛び込んでくる。正面が修道院の入口の北袖廊で、右側の白い建物は美術館だが、この時間、両方とも扉は閉ざされていた。


市場で、サクランボとイチゴを買って、カフェやショップが並ぶフロズノヴァ通りを東にしばらく進むと、交差点の角が小さな広場で、南側に黒塔が、更に南隣りにカトリック主教区の大聖堂「聖ニコラウス聖堂」が建っている。「黒塔」は、16世紀半ば、約30年かけて建てられたもので、高さは72メートル、上部が展望台になっている。


時計塔の下には、彫像が飾られている。チェコのカトリック聖職者ヤン・ヴァレリアン・ジルシク司教(JanValktorinJirsík、1798~1883)で、1851年から1883年にかけて、チェスケー・ブジェヨヴィツェの4番目の司教を務めた。特に教育に力を入れ、語教育学校やチェコ語グラマースクールを設立し、更に女子修道院を設立した人物とのこと。


聖ニコラウス聖堂の扉が開いていたので内部に入るとミサが行われていた。最初の聖堂は、14世紀半ばに初期ゴシック様式で建てられたが、現在の建物や祭壇衝立は、司教の大聖堂に昇格した1785年に建設された。なお、祭壇画はフリンブルク生まれのバロック画家ゲオルク・バッハマン(Georg Bachmann、~1652)により描かれたもの。


聖ニコラウス聖堂のファサード前を通り過ぎたすぐ南側が、旧市街の中心地「プシェミスル オタカル2世広場」への入口になる。広場は、ボヘミア王オタカル2世(1230~1278)の騎士ヒルツォによってつくられた。ヒルツォ(クリンゲンベルクのヒルツォ)(Hirzo z Klingenbergu、~1275頃)は、ラインラントで生まれ、プシェミスル朝のボヘミア王ヴァーツラフ1世(在位:1230~1253)と次男でボヘミア王のオタカル2世との廷臣で、王室料理のマスターにも任命されている。
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広場は長さがおよそ130メートルのほぼ正方形で、周囲にはカラフルな建物が建ち、1階のアーケードにはカフェや雑貨店が並んでいる。今日は、土曜日でまだ朝8時前でもあり人通りが少ない。広場の中央にある「サムソンの噴水」には、ヴルタヴァ川の水が利用されており、直径17メートルの八角形の石の貯水池で囲まれている。南ボヘミアで活躍したチェコのバロック彫刻家ヨーゼフ・ディートリッヒ(1677~1753)により制作された。


広場に面した建物で一番の見所は、南西の角にある3つの塔が聳える「市庁舎」で、もともと2つのゴシック様式の建物を1つにし、1730年にバロック様式で再建したもの。中央の時計塔には、コンピューター制御のカリヨン(16個のベルで構成)が設置され、最大80の音楽を日時や季節に応じて奏でられるとのこと。
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中央の5つの窓の上には、チェコの歴史的な地域区分として、中央にボヘミア、向かって左右にモラビアとシレジアの紋章が飾られ、両端に市民の忠実を表したエンブレムが飾られている。その上には、ドラゴンの頭の形をした4つのガーゴイルがあり、屋上にはサムソンの噴水を制作した、ヨーゼフ・ディートリッヒによる4体の寓話像が飾られている。

東南角には1階アーチがひと際大きく、角に、尖塔付きの三層バルコニーが特徴のネオ・ルネサンス様式の黄色い建物が建っている。”蜂の城”を表す「パラス・フチェラ」と呼ばれる建物で、文字通り蜂を思わせる黄色い漆喰と2階以上に彫像や、4階には中央に蜂をデザインした装飾紋章などが飾られている。
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一通り、広場を見学した所で、ホテルに戻り、朝食(チーズ、ハム、ゆで卵、スクランブルエッグ、パンなど)を頂いた。その後、チェックアウトして、旧市街東側にあるバスターミナル(チェスケー・ブジェヨヴィツェ中央駅前)から、次の目的地チェスキー・クルムロフに向かった。
チェスケー・ブジェヨヴィツェでは、人通りも少なくコンパクトな旧市街のみ観光したことから、政治・商業の中心都市の印象は持てなかった。


チェスケー・ブジェヨヴィツェからは、南西に約25キロメートル、バスで約30分ほどで、チェスキー・クルムロフのバスターミナル(Autobusove nadrazi)に午前9時50分頃到着した。バスターミナルは、街の東側のやや高台に位置しており、階段を下りた先に通る160号線沿いを歩いて向かう。しばらくすると木々で覆われていた右側が開け旧市街が一望できる。まるでおとぎの世界を思わせる様な景観が広がっている。
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チェスキー・クルムロフ(Český Krumlov)は、南ボヘミア州の小さな都市で、(ボヘミアの、、川の湾曲部の湿地帯)を意味している。しかしその名称は、チェコスロバキア領となった1920年以降のことであり、それまではクルマウ(Krumau)と呼ばれていた。人口14000人ほどの小さな街で、クルムロフ城を中心とした中世の街並みを留めるチェコで最も美しい街と言われ多くの観光客が訪れる。

160号線はすぐ先で、交差点となり、右折して「ホルニ通り」から旧市街に入って行く。ここからはなだらかな下り坂の石畳の歩行者専用通りとなる。すぐ先の小さな渓谷に架かるアーチ陸橋を渡ると右側に地域歴史博物館が、左側に「ホテル ルゼ(Hotel Růže)」がある。古くは16世紀にイエズス会の寮として建てられた歴史を持ち、中庭を持つ約70室の居室に加え、会食のための大小5つのホールを持つ5つ星ホテルである。今夜はこちらのホテルに宿泊することにしており、チェックインを済まし身軽になって旧市街の散策に向かう。


地域歴史博物館の先隣りは空き地の展望台で、クルムロフ城のシンボルの塔が見渡せる。城は、塔の周囲の「下城(ローワーキャッスル)」と、西側の「ローゼンベルク宮殿(アッパーキャッスル)」の2つのエリアで構成されている。その下の尖塔は「旧:聖ヨシュト教会」で、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世(在:1765~1790)による改革により1788年に廃止され、その後様々な用途に活用され、現在は住宅と「マリオネット博物館」が入居している。
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クルムロフ城は、南部出身のチェコ貴族ヴィトコフチ家により、13世紀半ばに旧市街と併せて建設されたのが始まりで、1302年にはボヘミアの有力貴族ローゼンベルク(ロジェンベルク)家の所有となり、16世紀にはルネサンス都市として謳歌した。しかしそのローゼンベルク家が財政破綻したことから、17世紀、神聖ローマ皇帝より、エッゲンベルク家に与えられる。そして、1719年以降エッゲンベルク家を相続した有力貴族シュヴァルツェンベルク家により、バロック様式で改築され、現在の姿となった。

その後、オーストリア=ハンガリー帝国の支配を経て、第一次世界大戦後にはチェコスロバキア領となるが、チェスキー・クルムロフは、次第に荒廃していった。歴史的な評価が増すのは、プラハの春が訪れた1960年代後半以降のことである。

それでは、これからクルムロフ城の見学に向かうことにする。石畳の「ホルニ通り」を西に向け下って行くと三差路になり、左側に「聖ヴィート大聖堂」が現れる。最初の教会が、ローゼンベルク家により建てられ、その後ローゼンベルク家の霊廟となった。シュヴァルツェンベルク家の支配となってからも新たな礼拝堂が追加され、再建が繰り返されるなど発展していく。ネオ・ゴシックタワーの塔は、1894年からで、それまでのバロック・タマネギドーム型タワーから置き換えられたもの。


三差路から右側に進むとすぐ先が旧市街の中心地「スヴォルノスティ広場(Náměstí Svornosti)」で、左側(南側)には1716年制作のペスト記念柱(噴水は19世紀築)が建っている。そして、広場の北西角から北に延びる狭い「ラドニチュ通り」の坂道を下って行くと「クルムロフ城の塔」が見えてくる。ラドニチュ通りは歴史的文化財が残るエリアで、18世紀のバロック様式の建物が並んでいる。


坂道を下りきるとヴルタヴァ川となり「ラゼブニッキー橋(Lazebnický most)」(理髪師の橋)を渡る。こちらは右側の下流方向の様子で、多くの手漕ぎボートが航行している。


ラゼブニッキー橋の中央欄干には左側にキリストの磔刑像が、右側に聖ヤン・ネポムツキー(1340頃~1393)像(ネポムクの聖ヨハネ)が向かい合う様に飾られている。ヤン・ネポムツキーは、14世紀ボヘミアの司祭、ローマ・カトリック教会の聖人で、ボヘミアの守護聖人でもある。水難からの庇護者としても崇敬され、橋の守護聖人ともされている。十字架や棕櫚の枝を手にし、頭上に5つの星が輝く姿で表現されるが、こちらの像は、右手の棕櫚の枝と、頭上の5つの星が失われている。
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ラゼブニッキー橋を渡ると、東側への上り坂「ラトラン通り」になり「旧聖ヨシュト教会」の「マリオネット博物館」の入口前を通る。扉口は開いており、数多くの人形が紐に吊るされ販売されている。外壁上部には、聖母マリア像が祀られた壁龕が残されている。
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ラトラン通りを、大きく左に回り込む様に上り詰め、最初のアーチ門を入って庭園までやってきた(旧聖ヨシュト教会前から階段を上るルートもある。)。左側にある案内板(下が北方面)を確認してみると、白い矢印と白線で見学ルートが示されている。現在地には熊のマークの表示があるが、この先のアーチ門の手前が堀になっておりローゼンベルクの時代から熊が飼われている。案内板にはクルムロフ城の北側にも川(ポレチュニツェ川)が示されている。クルムロフ城は、ヴルタヴァ川とポレチュニツェ川とに挟まれた小高い岩の岬に築かれた要害であることが分かる。
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堀には石の陸橋が架かっており、両側には多くの観光客が熊を見ようと堀を覗き込んでいる。その陸橋を渡りアーチ門をくぐると、クルムロフ城の下城(ローワーキャッスル)の中庭に到着する。こちらは、中庭を横断して西側の「ローゼンベルク宮殿」(アッパーキャッスル)の入口付近から眺めた様子。それではクルムロフ城のシンボルの塔へ上ってみる。中庭中央の石の噴水(1641年制作)先の南東角にあるファサード下の階段が入口になる。
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塔はもともとゴシック様式だったが、1581年にイタリア人建築家バルダッサロ マギー(1550~1619頃)により現在のルネサンス様式となった。

塔の外観とファサードの外観の装飾は、ルネサンス絵画とズグラッフィート技法で、1590年にローゼンベルクの宮廷画家バルトロマイ ベラネク(ジェリネクとも呼ばれる、~1618)によって施された。ズグラッフィートは漆喰の表面の湿った層を掻き落として線画を描く壁の装飾技法で、16世紀、ルネサンス期のイタリアで広く流行したのをきっかけに、ドイツ、オーストリア、チェコなどでその地方特有のモチーフを取り入れフレスコ画に代わるものとして広く導入された。
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塔の展望台は5階にあり、周囲を19列のアーケードで飾られている。塔の直径は12メートル、階段数は162段、高さは54.5メートル、ヴルタヴァ川からの高さは86メートルある。塔の上部には最重量1,800キログラムを含む4つの鐘(1406年)が掛けられている。

塔の展望台からの眺望は素晴らしく、いつまでも眺めていたい気持ちになるほど。ここまでのルートを俯瞰的に追いかけてみる。左端の木々の間に見える駐車場がバスターミナルで、中央の木々の谷間が、最初にこちらのクルムロフ城を眺めた160号線沿いの展望台になる。そして、その先の建物の間から右折して旧市街に入った。右端の大きな地域歴史博物館のすぐ手前のアーチ陸橋も確認できる。
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続いて、左端の地域歴史博物館のその先隣りの空き地が、クルムロフ城を眺めた展望台で、ホルニ通りを挟んで、その奥の中庭がある大きな建物が「ホテル ルゼ」になる。そして、右端が「聖ヴィート大聖堂」で、通り沿いから見上げた際は気づかなかったが、身廊の屋根がひと際高いのが分かる。
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「聖ヴィート大聖堂」から右側に視線を移すと、大聖堂横の三差路を右折した先の旧市街の中心地「スヴォルノスティ広場」があり、グリーンのファサード前の「ペスト記念柱」も何とか見える。そして、広場から手前に延びる通りが、先ほど通った「ラドニチュ通り」になる。こちらからの眺めは、ほぼ南方向を向いている。遠くには、丘陵地が広がり、いくつか建物も見えるが、旧市街の建物の密集ぶりとは大きな差がある。
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ヴルタヴァ川を渡った左下にあるラゼブニッキー橋は、写真に映らなかった。。塔の展望台からは、旧市街を包み込む様に流れるヴルタヴァ川の様子が良く見える(手前が下流)。中島の先端付近が旧市街の中心からみて真北にあたる。ヴルタヴァ川は南のボヘミア盆地の南縁の一部にあたるシュマヴァ山地やドイツ側からの複数の川を源流とし、北方面に蛇行を繰り返しながら、こちらチェスキー・クルムロフに流れ込んでいる。
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すぐ左側には「旧聖ヨシュト教会」の塔が、手の届きそうと思えるほどの位置にある。その向かい側の旧市街との間をヴルタヴァ川は西から東へ(右から左へ)流れ、この後も蛇行を繰り返しながら、チェスケー・ブジェヨヴィツェに流れて行く。
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こちらは、東側を眺めた様子。ラゼブニッキー橋を渡って、右下から左に回り込む様に「ラトラン通り」を進み、手前に見えるアーチ門のクルムロフ城の下城(ローワーキャッスル)への城門口(東門)から入場した。城内の中庭の左側(北側)の長方形の建物が「製塩所」(1500年頃)で、向かい合う南側のルネサンス様式の建物が「厩舎」である。このすぐ先が庭園となり案内板が設置されていた場所になる。
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ちなみに、前方の芝生が広がる先に建つ塔は「ミノライト修道院」で、その先隣りに1560年創業の「エッゲンベルク・ビール醸造所」が、右隣には「ピヴォヴァルスカー庭園」がある。ビール醸造所は、チェスキー・クルムロフの領主「エッゲンベルク家」に因んでいる。

そして西側に見える大きな建物が「ローゼンベルク宮殿」(アッパーキャッスル)で、手前の広場が、こちらの塔への入口となった「石の噴水」のあるクルムロフ城の下城(ローワーキャッスル)の中庭となる。それでは、塔を下りてローゼンベルク宮殿に行ってみる。中庭とローゼンベルク宮殿との間には、堀があり、レンガ造りの橋を横断して入場する
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ローゼンベルク宮殿には2つの中庭がある。宮殿東翼の1階にはルネサンス様式のローゼンベルクの部屋があり、フランドルのタペストリー・コレクションで覆われている。西翼にはマスカレード・ホールや絵画と写真ギャラリーがあり、中庭から階段を上った南翼にはバロック様式のセント・ジョージ(聖ゲオルギオス)礼拝堂がある(1334年創設、1753年ゴシック様式からの改築)。細長の幅の狭い礼拝堂だが、天井が高く、南側の4枚のアーチ窓から外光が取り入れられ明るい雰囲気である。主祭壇の聖母マリアの上に聖ゲオルギオスの彫像が飾られている。
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西翼から先のアーチ橋「クローク橋」(マントル橋、Plášťový most)は1764年に建設された深い堀に架かる5階建ての陸橋で、橋のレンガの手摺りには、バロック様式の彫像のコピーが飾られている。こちらはローゼンベルク宮殿側に振り返った様子で、左側は「カンタリスのフェリックス(1515~1587)像」で、聖母から差し出された幼子を抱きかかえる場面を表している。


右側には「パドヴァのアントニオ(1195~1231)」像が飾られている。アッシジのフランチェスコに共感し、彼の創設したフランシスコ会に入会し、イタリアや南フランスを中心に活動した人物で、飾り気のないフードの付いた修道服を身に着けている。その先にはチェコの守護聖人聖ヴァーツラフとして知られる「ボヘミア公ヴァーツラフ1世像(在位:921~935)」と「聖ヤン・ネポムツキー像(ネポムクの聖ヨハネ)」が飾られている。こちらはラブカポッドザムケム橋側から「クローク橋」(マントル橋)を見上げた様子で、彫像が手摺りに4体並んでいるのが分かる。


「クローク橋」(マントル橋)を渡ると、バロック劇場がある建物に至る。位置関係は、塔の展望台から眺めると分かりやすい。ヴルタヴァ川側に庭を持つL字型の屋敷がそうである。旧市街から、中島を経由して「ラブカポッドザムケム橋」を渡り、「クローク橋」(マントル橋)の下をくぐり、坂を上って向かうこともできる。また、北側のポレチュニツェ川先の駐車場からもルートが繋がっている。
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そのL字型の「バロック劇場」は、1767年にシュヴァルツェンベルク家のヨーゼフ1世アダムにより整備されたもので、世界で最も保存状態の良い劇場の一つと言われている。教会の会衆席を思わせる木製のベンチと、周囲にバルコニー状の貴賓席があり、様々な効果を演出できる奥行きのある舞台と手前にオーケストラ・ピットが設置されている。1990年代に大幅な改修工事が行われた。

バロック劇場の南側(ヴルタヴァ川側)の城壁に沿って西に向け歩いて行くと「シャトー庭園」に至る。長さ700メートル、総面積10ヘクタールの広大な庭園は16世紀後半、後期バロック様式で造られた。乗馬学校や庭園北部に1708年建築のフレスコ画で装飾された2階建てのパビリオン、ベラーリエなどがある。こちらは、シャトー庭園の中ほどにある18世紀半ばに建設された豪華な装飾が施された噴水である。


庭園にはレストランがあり、エッゲンベルク・ビール醸造所の出来立てビールが頂ける

以上で「クルムロフ城」の見学は終了である。その後、旧市街にあるエゴン・シーレ美術館や、「ホテル ルゼ」の中にある「イエズス会コングレスホール」でミニコンサートなどを鑑賞して過ごした。


夕食は旧市街中心地「スヴォルノスティ広場」西側から延びる「パンスカ通り」沿いにあるチェコ料理のレストランで、スマジェニーシール(チーズと子芋のフライ)魚のフライなどを頂いた。付け合わせには、茹でたジャガイモ、トマト、キュウリのスライスなどが添えられている。カリっと揚げられておりチーズも魚も大変美味しく、チェコビールとの相性は抜群で美味しいが、フレンチ、イタリアン料理などラテン系料理と比較すると、物足りない。。
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翌朝、ホテルのレストラン(ナイトリーホール)で朝食を頂いた。ハム、スクランブルエッグ、パン、コーヒーと簡単なものだが、ハムの種類が多かったのは良かった。レストランの南扉から外に出ると、ホテルの南壁に隣接して「サンセットテラス」と名付けられた美しいテラスがあるが、朝は営業していないようだ。ホテルの南壁には古びた日時計が残されている


テラスの真下は15メートルほどの切立った崖となっている。下を流れるヴルタヴァ川のすぐ先には堰が設けられ、旧市街への流入を調整している。対岸沿いには散策路が続いており、前方の橋からは旧市街の聖ヴィート大聖堂付近に至るが、この時間歩いている人はいない。前方の緑茂る丘の方角が西側になることから、夕方には美しい夕日を眺めながら食事ができるのだろう。。
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チェックアウトしてバスで、チェスケー・ブジェヨヴィツェまで移動し、鉄道に乗り換えて、約2時間ほどで次の目的地「プルゼニ中央駅」に午後12時に到着した。プラハ - プルゼニ線の終端駅だが、駅舎を挟んで、左右に別の路線が乗り入れる中間駅でもある。駅舎はネオ・ルネサンス様式とアール・ヌーヴォー様式で建てられた豪華な建物でファサードは西側を向いている。
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プルゼニは、プラハ、ブルノ、オストラバに次ぐチェコ第4の都市で、ビールのピルスナーの由来はこの街の名前に由来している。これから、プルゼニ中央駅から北に10分ほど歩いた所にある「プルゼニュスキー プラズドロイ(Plzeňský Prazdroj)醸造所」(1842年に開設)を見学することにしている。


こちらは「ピルスナー・ウルケル」というピルスナースタイルの元祖とされるビールを製造している歴史ある醸造所で、100%チェコ産の原材料・技術を使うことをモットーとしている。見学コースでは、かつて醸造、貯蔵を行っていた地下室を中心に、非殺菌のビールを木樽から直接注いで飲ませてくれる。無濾過で琥珀色のビールはホップの爽やかな香りとすっきりとした味わいを堪能できる。


醸造所での見学後は、西に10分ほど歩いて「共和国広場」に足を延ばした。東西168メートル×南北191メートルの長方形でチェコ国内では最大規模の中世広場の一つである。古くは13世紀後半に木製舗装で建設され、16世紀に水道管が引かれ、18世紀後半には墓地があったが、19世紀半ばに現在の姿となった。広場の建物は主にゴシック様式とルネサンス様式で建てられている。
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こちらの広場に到着して一番驚いたのは、広場の中央やや北寄りに大きなゴシック様式の「聖バルトロメイ大聖堂」(塔は北側)が忽然と聳えていること。一般的に、広場に面するか、広場近くの通り沿いに建てられることなどが多いが、こちらの場所が穏やかで静かな雰囲気だったことが建設理由とも言われている。大聖堂は共和国広場と同時期の13世紀後半に建てられ、塔の高さは103メートルとチェコの聖堂では最も高い。


午後2時を過ぎて、お腹が減ったので、広場から東側の通り沿いにあるレストランで遅い昼食を頂いた。店内にはプルゼニュスキー プラズドロイのロゴが至る所にあり、料理もピルスナー・ウルケルと相性が良く美味しく頂いた。再び「共和国広場」に戻り散策を続ける。

北側の中央に建つズグラッフィートの装飾が施された豪華な建物は「市庁舎」(1496年以来)で、左側の北西側には、プルゼニの彫刻家クリスチャン・ウィドマン(Kristian Widman)による1681年制作の「聖メアリーペスト記念柱」が飾られている。
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聖バルトロメイ大聖堂の塔に上り、東側を眺めると、サッカースタジアムがあり、その先の緑の一体が、プルゼニュスキー プラズドロイ醸造所で、更にその先がプルゼニ中央駅になる。塔からの眺望は素晴らしいが、広場を見下ろすと目がくらみそうになる。。
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西側には、ネオ・ムデハル様式の「大シナゴーグ」(1892年に建設、1997年再建)が建っている。ブダペストにあるヨーロッパ最大のシナゴーグに次ぐ大きさを誇っている。その先の煙突が建ち並ぶ工場は、シュコダ・ホールディングで、20世紀前半にヨーロッパ有数の工業コングロマリットだったシュコダ財閥の本拠地があった場所である。
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次の目的地、カルロヴィ・ヴァリ(Karlovy Vary)(ドイツ名はカールスバート)のカルロヴィ・ヴァリ・ドルニー駅には、午後5時に到着した。カルロヴィ・ヴァリは、プルゼニから北西に約70キロメートル行った西ボヘミアに位置する人口約5万人の中堅都市で、温泉保養地として知られている。

そのカルロヴィ・ヴァリ・ドルニー駅は、東西を流れるオフルジェ川(エーガー川)の南側、右岸沿いにあり、今夜の宿泊ホテル「ホテル ロマンス プスキン」は、駅からタクシーで南東方向に5分ほど行った、オフルジェ川の支流、デプラ川沿いの温泉街中心にある。


ホテルは、王冠の様にも見える、お洒落でエレガントな建物で、カルロヴィ・ヴァリを紹介する観光写真には必ずと言ってよいほど登場している。1階にレセプションとレストランがあり、客室は2階以上で、この日は眺めの良い正面側のベランダ付の3階の部屋にしてもらいラッキーだったが、常に多くの観光客からカメラが向けられている状態で、気軽にベランダへは出にくかった。。そのホテル ロマンスの前面は坂道で、隣の上り側にも色とりどりのホテルが並んでいる。


ホテル ロマンスの下り側にもホテルが並び、坂道の向かい側(東側)は、高低差があり低い場所に広場がある。その広場へは、ホテル ロマンス前に設置された大階段を下りて行く。途中の踊り場には、噴水のオブジェが飾られている。


大階段を降りたすぐ左側には、トルジニー・コロナーダがある。コロナーダ(Kolonáda)とは温泉水を飲むことができる施設のことを指している。つまり、日本のように温泉に浸かるのではなく、温泉街にある温泉水(16ヵ所のコロナーダがある)を飲み比べしながら散策するのがカルロヴィ・ヴァリ流の楽しみ方という訳である。

こちらのトルジニー・コロナーダの温泉口は、大階段を下りすぐ左に回り込んだアーケード内の左壁側にあり、2番、源流、カール4世、64度と書かれている。そしてその上には、神聖ローマ皇帝カール4世(1316~1378)(ボヘミア王カレル1世)が遠征中、偶然に源泉を発見した際の様子が木彫りのレリーフに表現されている。カール4世は、カルロヴィ・ヴァリの温泉水により負傷していた足が治癒したと伝えられている。
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更に、ホテル ロマンス前の坂道の上にあり、広場からは高台にある「シャトーコロナーダ(Chateau Colonnade)」は、列柱で囲まれた円形の東屋内に蛇口があり、見晴らしが良い。温泉水を飲む際は、地元のお店で販売している専用のカップがお勧めで、取っ手部分がストロー状になっており、熱い温泉水も安心して飲むことができる。

時刻は午後6時を過ぎ、ホテルレストランのテラスが空いていたので夕食にすることにした。飲み物は、生ビール(ブドヴァイゼル・ブドヴァル)、フランコフカ種の赤ワインを頼み、料理は、トースト・ハワイクリーム系のニンジンスープクネドリーキを添えたローストビーフ、新鮮なブロッコリーの春のスパゲッティ、ポテトピューレと魚の切り身、レモン添えで、最後にデザート(チョコバナナアイス)を頼んだ。見た目も美しく丁寧に調理されており、美味しく頂いた。洗練された高級感漂う街の風景や、テラス席の気持ち良さも相まって大変満足できた。


正面に建つアールデコの建物は、アストリアホテルで、その左隣には、L字型の敷地を持つガラス張りの近代建築「ヴジーデルニー・コロナーダ(Vřídelní kolonáda)」がある。その建物内を右側奥の突き当りまで行くと、間欠泉(ヴジードロ / Vřídro)が噴出する場所に到着する。深さ2500メートルの地下から毎分2000リットルの温泉水が噴出するのを室内にいながら目の前で見られることができ観光客に人気がある。


後方に見える二つのバロック様式の尖塔は1736年に建てられたカトリック教会「聖マリー・マグダレナ教会(chram svaté Máří Magdaleny)」である。

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翌朝、レストランで朝食を食べ、温泉街の散策に出かけた。最初に、ホテル前の大階段を降り、左折してトルジニー・コロナーダ前を左に見ながら、石畳の通りを歩いて行くと、左右にホテルや土産ショップなどが続くお洒落な歩行者通り「ラーズニェスカ通り(lazenska)」となり、北方面に続いている。300メートルほどで、視界が広がり広場に到着する。こちらは、その広場から振り返った様子。
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正面のアパートメントの右側が歩いてきたラーズニェスカ通りで、左側にはテプラ―川が、そのラーズニェスカ通りと並行する様に流れており、対岸にも豪華でカラフルな建物が並んでいる。


広場の左側(西側)には、「ムリーンスカー・コロナーダ(Mlýnská kolonáda)」と名付けられた柱が並ぶアーケード状の回廊が続いている。チェコ人建築家「ヨセフ・ジーテク(Josef Zitek)」によって1881年にネオ・ルネッサンス様式で造られた温泉施設である。広場はテプラ―川をふさいでいるが、温泉施設の先からは再びテプラ―川が姿を表している。


更にテプラ―川沿いを下流に向け北に350メートル進むと、ホテル コープ クリヴァンの向かい側の公園に東屋風のサドヴァー・コロナーダ(kolonáda Sadového pramene)がある。


テプラ―川を渡った東側は丘陵地の斜面で、スパ ホテル サーマル(Spa Hotel Thermal)が建っている。そのホテル付属施設のプールの上が展望台でそこからの眺望がすばらしいとのことでやってきた。期待通り展望台からは、自然の風景と調和する様に美しい街並みが広がっている。
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右側の赤い屋根は、ラゼンスキー ホテルで、その右隣がサドヴァー・コロナーダの向かいに建っていたホテル コープ クリヴァンである。そして、右後方の山の中腹に建つ宮殿風の建物は、5つ星ホテルのサヴォイ ウエストエンド ホテルで、アールヌーボー様式のヴィラ5棟から構成されている。

正面の谷間にテプラ―川が流れ、上流側に沿って温泉街が続いている。前方に聖マリー・マグダレナ教会の2つの塔が見え、更に遠方高台の豪華なネオ・ルネッサンス様式の建物は、5つ星スパ ホテル インペリアルである。
(2005.6.23~27)
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