カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

カリフォルニア(その3)

2013-02-17 | アメリカ(カリフォルニア)
今日はオークランドから、東に約320キロメートル先の「ヨセミテ国立公園」に向かうことにしている。午前8時半に、オークランドのホテルから、州間高速道路580号線を走行し、70キロメートル先で205号線に乗り換え、更にマンティーカから99号線に、そして、モデスト、マーセドを通過して、140号線(セントラル ヨセミテ ハイウェイ)の途中で一息ついたところ。


ここまでオークランドのホテルから約2時間(200キロメートル地点)を過ぎた。140号線はハイウェイと名付けられているが、田舎道の直線道で、周囲に建造物はなく、時折、農家や農道との交差路が現れるだけの見渡すばかりの平原地帯が数十キロに渡り続いている。

ところで、一昨日ソノマで、リアタイヤ(後輪)がパンクしたことから、自分で付属の予備タイヤに交換しオークランドのホテルまで乗ったが、今朝、ラッシュ前の早朝に、サンフランシスコ市内に向かい車種変更をしてもらい、オークランドに戻り、改めて出発している。そのオークランドへ戻る途中、サンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジ上でのサンフランシスコ方面へ向かう車線の渋滞は尋常ではなかった。

さて、セントラル ヨセミテ ハイウェイで休憩した後、約30分(30キロメートル)で、ヨセミテ国立公園へのゲートシティとなるマリポサ(Mariposa)に到着した。時刻は昼の12時を過ぎ、こちらのビルの1階にあった中華料理店(China Station)で、唐揚げの甘酢ごまだれ、野菜のカシューナッツ炒め、焼きそばなどを頂く。


マリポサからは「ヨセミテバレー」(Yosemite Valley)に直接向かう北ルートと、ジャイアント セコイアの巨樹が林立する「マリポサ グローブ」を経由してヨセミテバレーに向かう南ルートがある。まずは、南ルートを選択し1時間強(70キロメートル弱)山道を登り、ヨセミテ・エントランスゲート(南ゲート)に到着した。ゲートから更に3キロメートルほど山道(マリポサ グローブ ロード)を上った場所に観光客用の駐車場がある。

マリポサ グローブ ロードは、駐車場の先にも続いているが、これ以上の車両乗り入れは不可で、観光客は、高さ60センチメートルほどの自然木フェンスで仕切られた砂地の見学通路を歩いて見学する。歩いて5分ほどで最初の見どころ「フォーリン・モナーク」(Fallen Monarch)に到着する。見学通路が右左に蛇行する途中にあり、根の部分が通路側に向いている。吹き上げる火炎の様な形状でインパクトが強い。この場所は、撮影スポットとなっており、多くの人が入れ替わり撮影をしている。


フォーリン・モナークとは、” 倒れた国王 ” を意味し、今から約300年前に倒れたといわれている。すぐ先隣は、マリポサ グローブ ロードが見学通路と交差しており、側面から巨木の横たわる姿を見ることもできる。


フォーリン・モナークを過ぎると、左側に老木の風合いを感じさせる巨木がある。その先には、通路を跨いで倒壊した巨木が横たわっている。通路箇所は切断されているが、右側は通路から手を触れる位置にあることから、落書きが多い。そして、少し先の右側に、フォーリン・モナークに似た、倒壊樹木の根が通路側に向いている。

200メートルほど通路を進んだ右側には見どころの「バチェラー&スリー・グレース(Bachelor and Three Graces)」と名付けられた4本の巨木がある。手前が " 学士 " で、後方の3本が " 三美神 " を意味している。足元を見ると重圧と、長い年数経過からか、大きく膨らんでいる。学士を見上げてみるが、先端までは確認することはできない
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その後も、巨木を見ながら歩いて、300メートルほど進むと、正面に見どころの一つ「グリズリー・ジャイアント」が聳えている。通路は、巨木を迂回するように左側から円を描き後方に続いていく。樹齢は約2000年、高さが約64メートル、直径約9メートル、最も太い枝の直径が2メートルといわれ、ヨセミテ国立公園における最大のジャイアント セコイアである。長い歴史から、幾度も落雷による損傷を受けており、下部の裂け目の黒い箇所はその痕といわれている。
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見上げても、覆い茂る枝葉で先端箇所は見えない。名前の由来となったグリズリーとはアメリカに生息する巨大な " ハイイロ熊 " のことで、その貫禄ある立ち姿から名付けられた。
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グリズリー・ジャイアントから100メートルほどで、こちらも見どころの「カリフォルニア・トンネル・ツリー」(California Tunnel Tree)が見えてくる。トンネルは1895年人為的に開けられたもの。以前、更に標高の高い場所に、車が通れる大きなトンネルが空けられた「ワワナ・トンネル・ツリー」があったが、1968年の冬に積雪の重みに耐えられず倒壊したため、マリポサ グローブでは、唯一のトンネル・ツリーとなっている。


この辺りで、大きな松かさ状の球果や、リスと遭遇した。カリフォルニア・トンネル・ツリーをくぐって100メートルほど先には、マリポサ グローブ ロードが交差しており、この時間、観光用トラム(トロッコバス)が到着していた。まだまだ、見学通路は続くが、駐車場から1キロメートルほど歩いたこの場所までとし、再び見学通路を見学しながら歩いて引き返した。マリポサ グローブではゆっくり3時間近く滞在した。


次に、ヨセミテ・エントランスゲート(南ゲート)の手前まで戻り、ヨセミテバレーに向かうワウォナ ロードを30キロメートル北に走行し、途中から、グレイシャー ポイント ロードに右折して、26キロメートル進んだ最北端にある「グレイシャー ポイント」(Glacier Point)にやってきた。こちらの見晴らし台は、ヨセミテ渓谷のあるヨセミテバレーの南壁の「カリー ビレッジ」(標高2,199メートル、標高差975メートル)直上にあたる。周囲には、ヨセミテ国立公園のすばらしい眺望が広がっている。時刻は、午後6時になり、辺りは強風が吹き荒れ、かなり寒い。

こちらは、南北に連なるシエラネバダ山脈を西側から眺めた様子となる。右側(南)に急峻に切り立つ花崗岩の頂きが、手前を縦に割った様な形状から「ハーフ ドーム」と呼ばれている。直下がヨセミテ渓谷の東端となり、頂部との高低差は1524メートル(標高2,682メートル)ある。ハーフ ドームの北東側の雲がかかっている箇所は「クラウズ レスト」(標高3,025メートル)で周辺では最高地点の頂きとなる。
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そして、その「ハーフ ドーム」向かい側の高急峻の壁面に、丸みを帯びた頂部を持つ山は「ノース ドーム」と呼ばれている。
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ノース ドームから左側に視線を移した中央やや左側の稜線が窪んだ箇所が「ヨセミテ滝」が流れ落ちる場所となるが、乾季のこの時期は水量が大幅に少なくなる。その直下の渓谷が「ヨセミテバレー」の中心部になり、建物や、道路、駐車場などが木々の間に見て取れる。
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ヨセミテバレーは、シエラネバダ山脈西側斜面の高い花崗岩の頂に囲まれた深さ最大1,600メートル直下の渓谷にある。渓谷は、東西に広がり、直径は13キロメートルほどで、西から東に「マーセド川」が流れ、周囲の懸谷からは、ヨセミテ滝を始め6本以上のクリークが流れ落ち注ぎ込んでいる。マーセド川を挟んで、ノースサイド ドライブ(西方面)と、サウスサイド ドライブ(東方面)の2本のメイン通りがそれぞれ一方通行で通っている。まもなく午後6時半になるので、これから、そのヨセミテバレーに向かう。

グレイシャー ポイントからは距離にして約50キロメートル、ヨセミテバレーにある「ヨセミテ ロッジ」に到着したのは、日の暮れた午後8時頃だった(日の入りは午後6時39分)。こちらは「ヨセミテ ロッジ」のフロントオフィス棟の翌日の様子である。


そのヨセミテ ロッジは、ヨセミテバレーの中央付近にあり、フロントオフィス棟を中心に森の中にロッジが点在している。ヨセミテ国立公園は、世界的に人気のある観光地で、国立公園内に宿泊を希望する場合は、1年前から予約を受け付けるものの、常に満室状態で予約締結が困難である。今回、1年前に何とか予約できやってきた。その予約した部屋は2階建てロッジの1階だった。フロントオフィス棟には、レストランやカフェテリア、ギフトショップ、コンビニストアなどがあるが、レストランではテイクアウトも可能だったので、食材を買いロッジの部屋でソノマで購入したワインとともに夕食を頂いた。


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翌朝、東に3キロメートルほど離れた「アワニーホテル」に朝食に向かった。アワニーホテルは、1927年に完成した歴史ある豪華ホテルで、南側に突出した6階建ての中央棟を中心に左右後方にY字に両翼を持つ姿をしている。客室は100室で、ロビー、高い天井で大広間のダイニングルームなどがある。メインダイニングでのディナーは、ドレスコードが必須だが、朝食なので、ラフなスタイルで訪れた。格式はヨセミテ ロッジと異なるが、宿泊予約の困難さは、変わらない。

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アワニーホテルの右側後方のはるか上のノース ドームを確認しようと、見上げてみたが、雲に覆われている。ちなみに、こちらが昨日、グレイシャーポイントから、左下に見えるアワニーホテルと上部のノース ドームとを同時に眺めた様子である。

食後、アワニーホテルの南側の見晴らしの良い場所を散策すると、草を啄むミュールジカ(Odocoileus hemionus)に遭遇した。北アメリカ西部では普通にみられるシカで、耳がラバ(ミュール)に似ていることから名付けられている。後方がノースドームである。


アワニーホテルから南に200メートルほど歩くと、マーセド川に架かるアーチ橋があり、南側のグレイシャー ポイントのあるカリー ビレッジが望めるが、頂部は雲が立ち込めている。
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次に、2キロメートルほど、西方向に向かったヨセミテ ロッジの近くから、北側のヨセミテ滝の壁面を一望する。中央右側の縦に黒ずんでいる箇所の上部から739メートルの落差で流れ落ちるが、夏の乾季ですっかり水は枯渇しているらしい。。少し場所を移動して、ヨセミテ滝が流れ落ちる箇所を正面から眺めてみた。頂部の注ぎ口が窪みになっており、真下の中腹に滝つぼの様な形状も確認できる。少し水が流れている様にも見えた。
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更に、道なりに、南西方面に4キロメートルほど移動する。南壁には「カテドラル・ロックス」(Cathedral Rocks)があり、対する北壁には、巨大な花崗岩のモノリス(一枚岩)である「エル キャピタン」がある。エル キャピタンの絶壁は、様々なクライミング ルートがあることと、1年を通じて登れるため、世界中で人気の高いロッククライミングのスポットである。


更に西側に移動して「マーセド川」越しに「カテドラル・ロックス」方面を見上げてみた。先ほどは、手前から2番目の岩山を近距離から見上げたが、いくつかの尖塔状の岩山が並んでいる。中でも3番目の岩山は、この場所からは確認できないが、共通の岩山の中腹から切り立って聳え、ゴシック聖堂の尖塔に形状が似ていることが名前の由来となっている。1番目の岩山の手前の黒ずんだ壁面箇所が「ブライダルベール滝」だが、少しだけ水が落下している。
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さて、最後に、ヨセミテ国立公園への南ルートからの入口の一つ、ワウォナ ロード沿いの展望地「ワウォナトンネル」の東側「トンネルビュー」(Tunnel View)から、東側の「ヨセミテバレー」を一望してみる。ヨセミテバレーの景観では、最も有名な景観スポットで、左側(北)のエル キャピタン、右側(南)のカシードラル ロックスを手前に、グレイシャーポイントのあるカリー ビレッジや、その先のハーフ ドーム(見えない。)などが一望できる。
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以上で、ヨセミテバレーの見学を終え、これから、東側のシエラネバダ山脈を越えて「マンモス レイクス」(Mammoth Lakes)まで向かう。ヨセミテ渓谷から直接東に抜けるルートはないため、トンネルビューからは一旦、「カテドラル・ロックス」の麓付近まで戻り、Uターンするように、ノースサイド ドライブで西に向かい、トンネルビューの北側から、ビッグ・オーク・フラット・ロードに入り、カリフォルニアで最も高所を走る(3,031メートル)タイオガ・パス・ロード(120号線)(11月から5月までクローズ)で、大きく北側を回り込んで、シエラネバダ山脈を横断していく。

トンネルビューから1時間半が経過したころ、タイオガ・パス・ロードの途中にある景観スポット「オルムステッド・ポイント」に立ち寄った。駐車場の隣には、地面の長い亀裂で覆われた巨大な岩塊の斜面があり、その斜面越しに、ハーフ・ドームの北側を捉えることができる。この時間ちょうど、雲海からせり上がる様に神秘的な姿を見せるハーフ・ドームと、左側には、グレイシャーポイントや、ヨセミテバレーから見ることができなかった「クラウズ レスト」(標高3,025メートル)の頂きまではっきりと姿を見せている。まさに絶景!
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オルムステッド・ポイントから、東に3キロメートルほどで右側に「テナヤ湖(Tenaya Lake)」が現れる。直径2キロメートルほどの長方形で、水面の標高は2,484メートルあり、近隣からの多くの支流や泉からの水が流入している。ヨセミテバレーの先住民アワネチー族の指導者テナヤ酋長(~1853)にちなんでいる。


今夜の目的地「マンモス レイクス」までは、テナヤ湖から約90キロメートルの距離である。テナヤ湖から40キロメートルでタイオガ・パス・ロードのシェラネバダ山脈の横断が終わり、突き当りの丁字路を右折する。片側2車線の395号線を南に向かうと、しばらくして「マンモス レイクスまで20マイル(32.2キロメートル)」の標識が現れた。時刻は、午後6時半を過ぎたところ。


午後7時過ぎ、マンモス レイクスにある「エコノ ロッジ ワイルドウッド イン」(Econo Lodge Wildwood Inn)に到着した。ロッジは、町の中心部の東西に延びるメインロード北側にある。チェックインを済ませ、通りに出るが、街灯が少なく、町の様子がよくわからない。メインロードを東に350メートルほど行った南沿いにイタリアンカフェ(Perry's Italian Cafe)があったので食事をすることにした。飲み物は、アイアンストーン(メルロー)を頼み、オリーブ チーズのイタリアンサラダ、ムール貝のグリル、海老のタリアテッレ・クリームソースなどを頂いた。味は普通だったが、お腹が減っていたので美味しかった。


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翌朝、最終目的地のネバダ州南部にあるラスベガス(約500キロメートル)に向け出発した。途中でデスバレーを見学することにしている。ロッジを出発して、395号線を南東方面に約30分進んだところで、ビスタポイントと表示がある休憩スペースがあったので、車を停める。南側にシエラネバダ山脈が一望でき、白く雪に覆われた頂きが見える。


ガードレールの手前に案内板が設置されていた。一枚目は「周辺マップ」で、ピンク色の395号線を中心に、5のヨセミテ、6のアンセル・アダムス山の東側にあるマンモス レイクス、目的地となる13のデスバレーなどの位置関係が確認できる。隣の二枚目は「エッジ(鹿)の生活」(Life on the Edge)で、周辺の鹿の行動ルートを示し、鹿に注意して走行することを促す注意案内だった。

ビスタポイントを過ぎると、395号線は大きく右にカーブし南方向になる。


しばらくすると再び東へと方向を変え、周囲にちらほら建物が現れ始める。前方で道路が大きく右方向に曲がり南に進路を変えると、左右に、スーパーマーケット、ガソリンスタンド、ファーストフード店、モーテルなどが立ち並ぶ「ビショップ」の中心部となる。右側にコック帽子を被ったキャラクターが飾られた「エリック・スコットベーカリー」(Erick Schat's Bakery)があったので、こちらで食材を買い込むことにした。ビショップ到着は午前10時だった。


マンモス レイクスから、約140キロメートルの「インディペンデンス」を過ぎた395号線沿い右側に復元された「監視塔」が現れる。第二次世界大戦中の1942年に日系アメリカ人強制収容所跡があった「マンザナール国定史跡」である。当時、アメリカ合衆国政府は、11万人以上の日系アメリカ人と在留日本人を強制を収容所に拘禁しており、カリフォルニアには10ヶ所あったが、そのうちの一つである。。すぐ先右側の駐車場の奥には「マンザナー・ビジターセンター」があり、収容者の名簿や、関連書籍、記録映画の上映などが行われる。


敷地内の一番奥(最西端)には、収容者によって1943年に建てられた慰霊塔が建てられている。背後には、シエラネバダ山脈とカリフォルニア州の両方で2番目に高い(米国本土で6番目に高い山)標高4,383メートルのウィリアムソン山が望めるが、山頂付近は雲で覆われていた。


しばらくすると、デスバレーまで104マイル(約167キロ)と書かれた左折標識が現れるが、すぐ先右側にディーアス・レイク(Diaz Lake)があるので、直進して休憩した。周囲を少し散策したが、特に見るべきものはなかったので、軽く食べて、午後1時半、交差点まで戻り395号線に別れを告げ、136号線をデスバレー方面に向かった。


東に向かう136号線は、すぐに190号線になる。ゆるやかに右にカーブしながら、南東方向に進む。その後左にカーブして、山肌を抜けると、再び、眺めの良い平原が現れる。街道は、平原の先の山脈に向けて続いている。
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山間部に入る前、少し休憩した。周囲に生える草は、ほとんど枯れており、荒野が広がっている


前方の山間に入ると急に雲が立ち込め、周囲が見えにくくなったが、15分ほどで、再び平原となり、直線道が前方の山脈に向かっている。周囲の砂漠地帯は先ほどと変わらないが、いたるところに、植物の塊が生えている。デビルズコーンフィールド(悪魔のトウモロコシ畑)と呼ばれるキクの仲間アローウィードの残骸で、根を張っていた場所だけが残っている。
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他にも、巨大なソテツなど、インパクトが強い形状の植物が現れる。


前方の山脈を避けるように北東方向に延びる渓谷沿いを通り、山脈の向かい側に出て、道なりに南に向かうと、デスバレー国立公園の観光拠点となる「ファーニス クリーク」(Furnace Creek)に到着する。時刻は午後4時を過ぎていた。こちらのビレッジには、ビジターセンターがあり、デスバレーの自然や歴史に関する展示館などが併設されている。広場には、古いダイナ蒸気トラクター(1894年)が飾られている。


予定より遅れているので、急ぎ、ファーニス クリークから190号線を東に進んだ最初の交差点を右折してバッドウォーター・ロード(Badwater Rd.)を、南北に延びる岩山に沿って南へ30キロメートル進む。正面に大きな岩山が迫ってきたらまもなく到着である。通りは岩山大きく右に避けるように迂回したところに駐車場がある。こちらがデスバレーの名所の一つ「バッドウォーター」で、北アメリカ大陸で最も海抜の低い地点(マイナス86メートル)の内陸湖になる。
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かつてバッドウォーター盆地は塩水湖であり、悪い水という意味が由来となっている。一面に塩が堆積しており、水溜まりもある。案内板にあるソルトフラッツ(塩類平原)と比較すると、この日は塩の重なりが少なく、うっすらとしたまだら模様だった。
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次に、約10キロメートルほどバッドウォーター・ロードを戻り、右折して、アーティストドライブ(Artists Drive)に入り、7キロメートルほど行った「アーティスト パレット」に到着した。夕方近くが見どころとされることから、時間的にはばっちりである。ピンク、藤色、黄金色、緑、ラベンダー色など、多数の色を乗せた”絵画アーティストのパレット”のような色彩を楽しむことができる。この虹色の地層は、アマルゴサ山脈の堆積丘陵が浸食され、露出し酸化した数種類の鉱物が、それぞれに異なる色となり、まるで丘をパッチワークしたように見せる。
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次に「ザブリスキーポイント」に向かう。アーティストドライブは一方通行なので、北方面にある出口からバッドウォーター・ロード(Badwater Rd.)に合流し、190号線を右折して、5キロメートルほど行ったところになる。駐車場から、舗装されたゆるい坂を、300メートルほど徒歩で上った展望台が目的地となる。
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ザブリスキーポイントは、黄金色をはじめ、豊かな色合いのバッドランドの絶景を見渡すことができる展望台のことで、風でけずられた岩の数々が広がり、岩がうねり折り重なる様な姿が一望できる。岩が一番美しく見えるのが、朝日の当たった直後である。もともと湖だったとされる。
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まもなく午後6時半になる。急ぎ駐車場に戻り、出発した。目的地は、約200キロメートル先のラスベガスにある今夜の宿泊ホテル「ベスト ウエスタン マルディ グラ ホテル & カジノ」(Best Western Mardi Gras Hotel & Casino)で、ラスベガス・モノレールとラスベガス・コンベンションセンターから徒歩5分ほどの場所にある。

走行後、日が暮れ暗くなってきた。30分ほどで、ネバダ州に入った。街灯もなく、砂漠地帯に延びる一本道をヘッドライトを頼りにひたすら進んでいく。1時間半ほどで、前方に、ラスベガスの街の光に照らされる明るい空が見えてきた。。デスバレーから約2時間半で宿泊ホテルに無事到着した。

ラスベガスでは2泊した。「ルレーブ(Le Reve The Dream)」のショー(O(オー)や、Mystere(ミスティア)をプロデュースした フランコ・ドラゴーヌ氏による ” 水 ” を極めたショー)や、ハイド ベラージオ(Hyde Bellagio)前から、パリス ラスベガス(Paris Las Vegas)のシンボル(エッフェル塔や凱旋門など)を背景とした「噴水ショー」を鑑賞した。
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他にもスタートレック シリーズのラスベガス・テーマアトラクション「Star Trek The Experience」やフレモント・ストリート・エクスペリエンス(歩行者天国兼アトラクション)などを堪能した。食事は、サンコースト ホテル&カジノ、ホテル ウィン・ラスベガス(The Buffet) 、パリス ラスベガス ホテルのブッフェを利用した。

そして、ラスベガス滞在3日目の朝、午前10時28分ラスベガス発ユナイテッド航空(UA1511便)22EFに乗り、サンフランシスコで、ユナイテッド航空(UA853便) 34ABに乗り換え日本に帰国した。 
(2007.9.19~23)

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