気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

エーワン食堂

2019-02-27 10:22:58 | イメージ画
 1歳から10歳まで私は商店街で育った。木造3階建ての1階を父が借りて家業の支店を開いたのだが、商品の展示を優先したため、店の奥の50センチほど床を高くした六畳の板の間が生活の場となった。店舗との間仕切りは何もなかったので、来店した客からは私たちの生活が丸見えだった。太平洋戦争が終わって9年、朝鮮戦争が休戦した頃で、食べることで精一杯の時代だった。
 夜になって店を閉めると、一家で近くの銭湯に行った。帰り道のキヨスクのような小さな食料品店で牛乳を飲んだり、貸本屋に寄って漫画を借りたりする時もあった。
 家に帰ると母が晩飯を用意し、食べ終わった後は絵を描いたり、父と戦いごっこをして遊んだ。テレビはなかったが退屈した記憶はない。
 たまに家の向かいにあるエーワン食堂から出前をとった。透けるような蒲鉾2切れと葱が入った「素うどん」は20円くらいだったが五人前の素うどんは贅沢だった。
 父がビフテキ(牛肉のステーキ)を次は食べようかと冗談を言っていたが、鯨や豚肉以外、食べた憶えがなかったのでステーキの味は想像するしかなかった。
 エーワン食堂は肉屋の直営店で、進駐軍の兵隊が時々ジープに乗ってステーキを食べに来ていた。厨房から勢いよく揚がる炎が食堂の外からもよく見えた。
 食堂の一角でソフトクリームを売り始めたときは、アイスキャンデーしか知らなかった私は目を輝かしてソフトクリームが装置から出てくるのを見物した。
 テレビが出回り始めると、さっそくエーワン食堂で観ることができたが、お金にならない子供はさぞ迷惑だったろう。
 父が郊外にアパートを建てて引っ越してから、エーワン食堂は遠い存在となった。
 
 成人した頃か、所帯を持った頃か、はっきり憶えないが、エーワン食堂が懐かしくなって、美味しい素うどんとカレーを同時に味わえるカレーうどんを一人で食べた。味は昔のままだった。
 いつでも行けると安心していたら、いつのまにかエーワン食堂は無くなっていた。
  

 

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