気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

きっと明るい未来が待っている

2024-01-25 22:16:23 | イラスト

昨年9月に次男一家に二人目が生まれた。五番目の孫はお姉ちゃんになった。

今月2日に長男、次男の家族が私たちが滞在する娘家族の家に集まって新年を祝った。最年長の孫だけは塾で高校受験勉強に励んでいたので会えなかった。

六番目の孫とは初対面だったが、孫はそれぞれ個性があり、将来が楽しみだ。元旦から暗いニュースが続いているが、子供たちは希望の光だ。

孫たちの世代に明るい未来が待っていることを祈っている。


宗像、大島へツーリング続き

2022-03-22 01:00:53 | イラスト

フェリー「おおしま」の乗客はまばらで、車両はバイク2台とリヤカー1台しかなかった。

客室は一階と二階にあったが、私は迷わず屋上デッキに向かった。

予想以上に乗客の多くが屋上デッキに集中しており、全員寒いのを我慢して景色を楽しみたい観光客のようで、客室内で寛ぐ少数の乗客は地元の方たちと思われた。

フェリーは25分ほどで大島港に到着した。

上陸準備が整い車両甲板に通じるドアが開くのを待っている間、筑豊ナンバーのアメリカンバイクのライダーに声をかけた。

二十代の青年は大島に来るのは二度目だが、初めてバイクで島を巡るのを楽しみにしていた。

「お気をつけて」と青年に声をかけて先にフェリーから走り出た私だが、島内の見どころを周遊する間、何度も青年と再会し、帰りのフェリーも一緒になった。

最初に誰もいない宗像大社中津宮(ナカツグウ)を参拝。

 

次に、天気がよければ49Km先に「沖ノ島」が望めるという宗像大社沖津宮遙拝所を参拝。この日は雲が多く、用意した双眼鏡を通しても沖ノ島を拝むことはできなかった。

大島最高峰の御嶽山山頂にある御嶽神社を参拝。御嶽山展望台より宗像大社辺津宮(ヘツグウ)方面を眺めた。沖ノ島にある沖津宮(オキツグウ)から中津宮まで49㎞、沖津宮から辺津宮まで11㎞の距離で三宮は直線で繋がっている。辺津宮(総社)のあたりは昔は内海だったようで、海上交通で往来していたようだ。

 

御嶽山を降りて島の北岸にある風車展望所に向かった。

馬を驚かせないように徐行しながら牧場を抜けたところに、日露戦争の遺物の砲台群の跡や西洋にあるような風車が現れた。

ここからさらに西の端に神崎大島灯台があるのだが、16時20分発のフェリーを逃すと18時の最終便に乗ることになるので、大島港に戻ることにした。

「大島交流館」の前を通りかかったので、土産を買おうと入館した。入口で消毒、検温をして中に入ると、若い受付嬢に入館者情報の記入を求められた。

記入をしてから「ここで土産を買えますか。」と問うと、大島の魅力を紹介する資料の展示が中心で、二階で書籍は買うことができるという。

入館した目的が違ったが、16時の閉館前に観光客が現れて張り切っている様子の女性に、5分に編集した映像を鑑賞することを勧められて、退出できなくなった。

一階のミニシアターで鑑賞した世界文化遺産「沖ノ島」の映画がよくできていたので、二階の展示室も見ることにした。二階にも映像コーナーがあり二本のタイトルの中から一つを選び

見始めたが、今度は五分を過ぎても終わりそうもなかった。受付嬢に時間がないので放映途中で出ていくことを詫びて、フェリー乗り場に向かった。

フェリーの車両待機所にバイクを停めて、乗船窓口で特殊手荷物券を購入し、バイクに戻った。

係員に土産を買う時間があるかたずねると、乗船開始まで5分あるというので、ターミナル内の売店に駆け付け、大島名物のアカモク2袋、アカモク煎餅1袋、甘夏みかん1袋、沖ノ島日本酒2本セットを購入した。

帰りのフェリーには普通トラックと乗用車にバイク2台が乗り込み、甲板はほぼ満杯になった。乗客も来るときの倍はいるようだ。

屋上デッキの客席に腰を落ち着け、バッグから飴を取り出した。後ろの席の若いライダーに飴を差し出すと自然に受け取った。2時間の慌ただしい大島ツーリングで共感するところがあった。

16時50分ごろ神湊を出発し18時に帰宅すると、妻も仕事から帰ったばかりだった。

家族に心配をかけることなく無事にツーリングを終えることができ、神仏に感謝した。

 


焼き鳥が嫌いになりそう!

2021-09-24 21:54:15 | イラスト

呼吸器科の病院で処方されたレルベアを一日一回夕食後に吸入し始めて一週間もすると、喘息の症状がやわらいだ。喘息の発作が酷い時に使うように処方された強力なサルタノールの出番がなくて良かった。だが咳込む頻度が減ってきても、処方された薬の使用を勝手にやめると喘息が急激に悪化することがあるとのことで真面目に吸引は続けている。月初めに妻が買った強力な空気清浄機も症状の改善に寄与しているようだ。

妻と私に残された課題は階下の焼き鳥の煙だ。私は居酒屋のオーナーに我々の窮状を穏やかに訴えることにした。

居酒屋店外で焼き鳥を売るようになってから咳喘息を夫婦とも発症したこと。煙が換気口から入って来ないように換気扇をなるべく作動させていること。部屋中にトリ皮を焼く臭いが籠っていること。洗濯物を室外に干せないこと。焼き鳥営業中は窓を開けられないこと。外壁に数か所ある下向きに開いた空気取り入れパイプをビニールで塞ぎたいこと(居酒屋オーナーは住宅設備が本業)。

階下で半分事務所、半分居酒屋の形態で営業を始めて一年を過ぎたが、オーナーとあらたまって話をするのは初めてだった。

オーナーは私の話を聞き終えると、大変恐縮して、自分も咳喘息の治療をしたことがあるので、その辛さがわかると言った。

「こちらのマンションに居住している方の御意見ですから遠慮せずに言ってください。最近の住宅は24時間強制換気をしていますが、ここのマンションは古いので付いてません。換気扇を使うと室内の気圧が低くなり、かえって隙間から外気が入って来ます。外壁のパイプは各戸の天井隔壁の外側に通じるもので、塞いでも意味がありません。私のほうでフィルター付きの24時間作動する換気扇を取り付けますよ。焼き鳥の煙は(南側の)ベランダから入ってくると思いますので、(北側の)玄関の上に取り付けるのが良いでしょう。」

私とオーナーは外壁の換気口や新たな換気扇を取り付ける位置を一緒に確認した。

「換気扇を玄関ドアの上に付けるとマンションの共有部分の外壁に穴をあけることになるので、工事をするには自治会の承諾が必要でしょう。」

「自治会長の○○さんに聞いてみます。」

「私としては店の外で焼き鳥を焼くのをやめてもらえれば良いのですが。コロナが落ち着いたら以前の居酒屋に戻すのですか。」

「そのつもりですが、私も社員を食べせていかなきゃならないし・・・。」

最近、マンションの当番役員が私たちの喘息の事を知って、人の命に関わることなのですぐに換気扇を付けて貰うべきだと言ってきた。

「新型コロナが落ち着けばテークアウトはやめるらしいので、換気扇を付けなくてもいいと思ってるんですが。」

「前より、お店が流行ってるから止めないみたいですよ。聞いた話では、焼き鳥のテークアウト専門の店を出すため、土地を探してるそうです。フェースブックでも宣伝しているみたいで

しばらく今のままの営業を続けるようです。」

階下の居酒屋を新型コロナ禍以前に、夫婦で四回利用したが、二回目に行ったときにメニューの中で焼き鳥が一番うまいと気づいた。

住宅設備会社のオーナーが居酒屋を始めるにあたり、JR小倉駅ビル内の焼き鳥屋のベテラン店長をスカウトしただけあって、炭火で焼いたトリ皮はジューシーで柔らかく絶品だった。

今は畳や寝具から漂ってくるその匂いに悩まされている。緊急事態宣言が解除されれば、久々に階下の居酒屋を利用するつもりだが、トリ皮はもう食べたくない。


ファイザーワクチン二回目接種完了

2021-06-27 23:35:23 | イラスト

6月2日に一回目、先週の水曜日に二回目の新型コロナワクチンの接種をした。

一回目の接種後、副反応だろうか、倦怠感、手首の関節痛、立ち眩み症状がでた。

二回目の接種後はさらに微熱も出て、立ち眩みの回数も増えたが、次第に落ちついてきた。

緊急事態宣言が解除されたことだし、孫たちの元気な様子を見に行こう。


久々の雪景色

2021-01-09 02:01:43 | イラスト

1月8日風が止み静かな朝だった。窓の外は一面の銀世界。しかしのんびり眺めているわけにはいかない。道路に雪が数センチ積もっただけで家の前の国道3号は上下線とも大渋滞で車が動いてない。

雨が降ろうと風が吹こうとバイクで通勤しているが道路が冠雪しては走れない。会社まで3キロの道のりを歩くしかない。

パッチとウールのズボン、靴下二枚をはき、ホッカイロを前後に貼り付けたアンダーシャツ、厚手のシャツ、ベスト、セーター、作業着、インナー付きバイク用ジャンパー、ネックウオーマー、マスク、帽子を身につけた。着膨れしてツーリング用の防寒防水ブーツを履くのに手間取った。弁当、水筒、革靴を入れたリュックを背負って普段より早く家をでた。

国道3号を歩く人は私だけのようで、歩道の雪の上に足跡をつけながら歩くのは心地よい。上りの車線は少し動き始めたが、反対車線はほとんど止まったままだ。走行をあきらめたチェーンを装着していない車が路肩に放置されている。普段は気付かないような緩い上り坂で、信号が青になってもタイヤがスリップして発進できない車をスタッドレスタイヤを着けた車がゆっくりよけていく。

家を出てから二つ目のバス停に差し掛かった頃、後方からバスが来た。今日始めて見るバスに迷わず乗った。

バスは通勤客で満席で、一人浮いたような重装備の私は中央部の手摺に摑まった。乗車して程なくバスは渋滞に嵌った。

中心市街地に近づくにつれて渋滞がひどくなり、私は乗車してから二つ目のバス停で降りて再び歩き始めた。目的地に着くまで乗っていたバスが私に追いつくことはなかった。


四人目の孫デビュー

2019-10-18 00:48:07 | イラスト

七月末に娘が出産で帰省した。初めての出産で、ただでさえ不安だろうに、産院の検診で、胎児の首に臍の緒が3重に巻いていることがわかり、それを解消するための運動や体操に励んでいた。臨月で人目を引くので、早朝と日没後に、毎日大きなおなかを抱えてウォーキングに出かけていた。定期検診の度、首の臍の緒が2重に減り、予定日近くには解消されて安心していた。

予定日を一週間過ぎても産気がないので陣痛促進剤を投与して出産することになった。入院時の検査で臍の緒が再び首を二周していると指摘された。婿も出産に立ち会うとのことで名古屋から駆けつけてきて、娘の居る特別室に泊まった。

入院翌日、妻は朝から産院で待機した。

仕事中の私の携帯にメールで娘の様子を妻が知らせて来る。

12時2分:「さっき分娩室に移動しました。まだしばらく時間がかかりそうですが。」

13時13分:「赤ちゃんの向きがよくないらしく、いま四つん這いになって向きを変えようと頑張っているそうです。

しばらくまだ時間がかかるということで、〇〇君と私は部屋で待機している状態です。」

13時51分:「逆子ではないけど向きがよくないらしく、赤ちゃんの心音が痛みのたびに弱くなるそうです。

子宮口もまだそこまで開いてないらしく、△△の体力は大丈夫だけど、赤ちゃんが耐えられないかもしれないので

帝王切開に切り替えた方が良いとのこと。もうすぐオペ室に入るようです。」

14時11分:「今、麻酔が終わったところで、2時20分頃、帝王切開で出産予定です!」

私は娘と孫が心配で仕事が手につかなくなり、会社から歩いて5分くらいの産院に駆けつけた。

生まれたばかりの元気な孫を囲む婿と妻の姿を見て極度の緊張状態から開放された。娘も無事だと聞き胸をなでおろした。

父になるのは易いが、母になるのは命がけだと、女性の偉大さをつくづく感じた。

 

 

 

 

 

 


あれから一ヶ月…

2016-06-28 23:26:35 | イラスト


早いもので長女の結婚式から一ヶ月が過ぎた。遠方から親戚が名古屋に馳せ参じるので気を揉んだが、案ずるより生むが易し、娘夫婦の尽力や長男夫婦、次男のセッティングで楽しい結婚式となった。このようなハレの場に、遠くの親戚が集まり、和気藹々のひと時を過ごすのは良いものだ。北九州から参加した我ら五人は36時間行動をともにし、楽しい旅行だった。