気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

妻の冒険Ⅱ

2012-11-27 23:46:18 | 風景画
 勤労感謝の日、妻が車で実家に帰った。二回目ともなるとロングドライブは慣れたもので、母親と思い出話に浸る小道具として、両手に余る多量のアルバムを車に詰め込むと、いつもの出勤よりちょっと早い時間に颯爽と出て行った。
 今回は姫路駅で合流する娘に、姫路・出石間の運転を任せたようで、前回よりは気楽だったようだ。ただ、連休で往復とも高速道路が渋滞したらしい。日曜の朝、出石を出た妻と娘は姫路駅の近くで昼食を摂り、世界遺産の姫路城に向かった。本丸の改修工事現場の櫓に上るエレベーターに乗るのに一時間半並ぶほどの混雑だったという。姫路駅で娘を見送ったあと、妻の孤独なドライブが始まった。7時すぎ宮島SAで晩飯をすませ家に帰り着いたのは10時に近かった。二泊三日の強行軍の翌日から再びハードな仕事が待っていた。

(宇佐のマチュピチュ)

下関、中ノ関、上関

2012-11-16 23:18:06 | 風景画
 先月、上関にツーリングに行った。原発の建設を巡って揉めている場所だが、過疎に悩む島の復興に原発は寄与するだろうが、その代償に瀬戸内の美しい自然環境が破壊されるかもしれない。穏やかで清澄な海が、鏡のように島々を映しだす光景に心を奪われ、絵に描いた。

 ところで、門司の隣の下関の名前だが、幼い頃より「しものせき」と頭に入っていたので、「下」と「関」の間に「の」がなくても気にならなかった。「上関」も「の」がなくても「かみのせき」と読む。何かつながりがあるのではと気になっていたら、司馬遼太郎の「菜の花の沖」の三巻を読んで合点がいった。江戸時代、長州毛利家が直轄地の「中ノ関(現在の防府あたり)」を長府毛利家の「下関」のように発展させようと画策して、中ノ関付近の海図とともに「泰平の御代にとざさぬ中の関 ここに集まる黄金白銀」と刷り込んだ扇子を諸国諸港の船頭たちに配ったという。近代的な寄港誘致の宣伝方法が江戸時代になされたことに驚いた。
 さらに「関」には「関所」「水門」の意味があるので、長州藩の東から順に「上関」「中ノ関(防府)」「下関」が生まれたことに私は気づかされた。