気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

風師山

2009-06-28 23:44:12 | 風景画
 風師山は門司港の背後に控える標高322.2mの小山で、朝日新聞の連載漫画「ののちゃん」に出てくる天狗山みたいな身近な山だ。
 私が小学校低学年の頃、亡き父に引きつられ、家族で山頂まで登ったことがあった。
風師山頂には昔からアンテナ基地があり、そこで私たちは休むことにしたが、飲み物の用意をしていなかった。
 父がアンテナ基地の職員に交渉して、基地の倉庫からラムネを分けてもらった。
 お店でもないのに、なぜかラムネにありつけて嬉しかったが、そのラムネはぬるく、炭酸も抜けており、製造してからかなり日が経っていたようだ。
 次に風師山で思い出すのは、大学生の私がで正月で帰省した時の事だ。
 小学生だった下の弟が、近所のお爺さんから三角胴の大きな飛行機型の凧をもらった。
 清見小学校のグラウンドで揚げると大きな凧には狭すぎたので、豪快に風師山の山頂で飛ばすことにした。今の親父と弟の三人、寒風吹きすさぶ中、車で山頂に向かった。凧は実によく上がり、瞬く間にタコ糸が限界に達した。物足りなかったので、急遽、私が車で町まで降りて、買ってきたタコ糸を継ぎ足した。もう「凧揚げ遊び」というよりも「ギネスに挑戦」するような気分だった。凧は風に流され、点のようにしか見えなかった。
 このあと親父は風邪で寝込んだ。あやうく肺炎を起こすところだった。

平山観音

2009-06-16 09:53:52 | 風景画
 私が小学6年に上がる春休みの事だ。亡き父と、私、姉、弟の四人でハイキングに行った。父が門中5年生(今の高2)の頃、学校の山林作業で植樹をしたところを子供たちに見せたかった。昭和14年8月21日に平山観音の上方の風師山の一角に植樹をして学校林とし、以後山林作業が門中の例年行事となった。この時5年生は平山に宿泊しており、父には思い出の場所だった。
 風師山頂から伊川方向に、枝を掻き分けて下って行くうちに、父が感慨深そうに、「ここだ。」と言った。子供たちには、普通の林でしかなく、さらに探検を続けたかった。
 山から降りて人里に出た所に平山観音があった。そこから2キロほど歩くと、幹線道路に出る。そのT字路の前の食料品店で、一行は飲み物を買って喉を潤した。
 そこから当時住んでいた春日町の我が家まで、あと3キロもなかった。ハイキングも終盤にさしかかっていたが、子供たちははりきっていた。
 すると父が、ここからバスで帰ろうと言った。店の前がバス亭だった。
 
 この何年か前に、一家五人で平尾台に登ったことがあったが、麓のJRの駅から山頂まで気の遠くなるような行程だったが、海軍で鍛えた父は子供たちに弱音を許さなかった。

 予想外の父の提案に、子供たちは歩いて帰りたいと反対したが、父の辛そうな様子に気付いて、素直に従った。

 ハイキングの日からほどなく、父は病の床に伏し、やがて帰らぬ人となった。
 父はそれとなく死を覚悟していたのかもしれない。子供たちが不憫で、体力が残っているうちに、楽しい思い出を残そうと無理をしたのだろう。