気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

無謀は若者の特権か?(ヤマハ1200Vマックス)

2010-08-16 23:46:52 | バイクの絵
 昨日は盆休みで、13日に続き妻と休みが重なった。帰省していた次男を朝の6時に小倉駅に送ったあとは予定がなかったので、久々に愛車フィットのワックス掛けをすることにした。 車が来てから1年になろうとしているのに、ワックスを掛けるのはこれが2回目だった。
 日中の気温が35℃を超える中、洗車をした後、マンションの日陰の国道3号に接する敷地でワックス作業を始めた。汗が途切れず、喉はからからに渇いたが、あとのビールの楽しみのために我慢した。もう少しで完了というところで、サイクリング中の若者に声を掛けられた。「スミマセン。空気イレ、アリマスカ。」
 男2人女1人の旅行者がそれぞれ自転車を押しており、声を掛けてきた男の自転車の後輪がぺちゃんこだった。聞くと韓国の大学生で、花火大会を見物したあと、2泊3日の行程で福岡市までサイクリングをして、釜山に戻ると言う。フィットの電動空気入れ(最近の車はスペアタイヤの代わりに瞬間パンク修理剤と電動ポンプを装備している)をセットして、自転車に空気を入れてやろうとした。自転車用のバルブアダプターが必要で、家に取りに戻ったがつい最近捨ててしまっていた。若者たちが落胆するので、マンションの住民に空気入れがないか聞いてまわることにした。幸いに2件目でヒットした。
 若者たちが空気入れを見て喜んだのも束の間だった。いくらポンプを押してもタイヤが膨らまない。よく見ると後輪のど真ん中に押しピンが刺さっている。乗りかかった船で、家からパンク修理道具を取ってくることにした。私が家に戻ろうとすると、女の子が空のペットボトルを3本とりだして、「水ヲクダサイ」というので、ウーロン茶を入れてあげるというと、ペットボトルが9本に増えた。あいにくお茶を沸かしたばかりで、冷えたウーロン茶はコップ3杯分しかなかった。氷入りのウーロン茶を若者たちに1杯づつ飲んでもらい、ペットボトルには妻が氷水を作って充填した。
 3台の自転車のうち2台は荷物を満載したマウンテンバイクで、ハードなサイクリングにも耐えられそうだが、パンクをした自転車は20インチの折り畳み式で、変速ギアこそついているが、普通のママチャリだった。「この自転車で国際的なサイクリングをするのは無謀だ」と片言英語で言ったが、通じたかどうか定かでなかった。私のパンク修理キットは暫く使ってないので、パッチがチューブにうまく接着しなかった。結局、近くのホームセンターにワックス途中の愛車を走らせ、パンク修理キットと不用意な若者たちの道中を心配して、自転車用瞬間パンク修理剤を買ってきた。
 押しピンの穴はうまくふさぐことができた。確認のためにチューブを膨らませて、水につけて、空気漏れをチェックした。すると押しピンが刺さったまま自転車を転がしていたせいで、別の部分から空気が漏れ始めた。ふたたび、そこを修理してチェック。また別のとこから空気が漏れはじめる。5箇所パッチ修理をしてまだ空気が漏れることがわかり、もはやチューブを変えるしかないと若者に言った。自転車屋がないか私に聞くので、日曜日は閉まっている、ホームセンターに一緒にチューブを買いに行こうと誘うが、言葉が通じない。
 私は「これが最後の手段だ」と言って、大きな穴を確実にパッチしたあと、そのままタイヤにチューブをセットして瞬間パンク修理剤を充填した。試行錯誤のうえ何とか走れるようになった。若者の目が生き生きしてきた。今日の予定を尋ねると、ナカマで泊まるという。
 中間市の道順を小学校の社会科で使うような簡単な地図を引っ張り出して聞いてきた。
 数本の道路と数箇所の地名しか記載されてないのにあきれた私は、フィットに積載していた北九州全図を広げて、現在地を示し、国道3号をまず黒崎駅まで走り、そこから200号線を南下して県道48号を西に行くと中間市に行けると説明したが、心細そうだったので地図とパンク修理キットをあげた。男の子は私に小さなペットボトル入りの韓国の焼酎をさしだし、女の子は韓国の石鹸をくれようとする。辞退するが、どうしてもというので受け取った。
 石鹸は空気入れを貸してくれた人に旅行者からのお礼として渡した。
 若者たちが出発したあと、愛車のワックス掛けを仕上げ、シャワーを浴び、お酒の肴を用意して妻とビールを堪能した。韓国の焼酎は甘い味だった。若者たちが無事に中間市についたか気がかりだった。

海峡花火大会

2010-08-14 00:51:45 | 写真
 昨夜の海峡花火大会は天気に恵まれ、風もなく、絶好のコンディションだった。
 車は渋滞するので、妻と歩いて会場に向かった。花火はきれいだったが、人の多さと往復5キロのウオーキングとで疲れ果てて帰宅した。

下関から見た門司港

2010-08-13 01:27:02 | 風景画
 先日久々にスケッチに出かけた。みもすそ川公園は平日とあって、人影もまばらだった。適当なテーブルを見つけて画材を広げ、絵を描き始めてすぐに、小学校の男の子と園児の女の子を連れた母親が話しかけてきた。男の子が夏休みの宿題に関門橋の絵を描きたいので見学させて欲しいという。橋の下絵はまだ数本の線しか描いてなかった。
 関門橋は書くのが面倒だからやめたほうがいいとアドバイスしたら、三人はお礼を述べて去っていった。再び絵に集中しだすと、今度は近くで魚釣りをしていた老人が寄ってきた。
 今日は引きが悪いので釣りはやめた、長府まで自転車で帰るので大変だと言う。「今頃は何が釣れるんですか。」と聞いたのが悪かった。過去の獲物のことなど嬉しそうに話し始めた。
 老人が帰ると、今度は観光客相手に紙芝居をしていた同年代と思われる男が隣に座ってきた。「3時まで紙芝居をすることになってるけど、今日は客が集まらないから暇だ。お宅のやっていることは形に残るからいいね。私のは何も残らない。」という話から始まって、自分の身の上話を始めた。神戸の出身で、阪神大震災で職を失ってここに流れついた、下関市のボランティアで紙芝居を交代でやっている、本業は音響関係の仕事だけど、夜警と音楽ライブのバイトもして何とか生活している、ジャズバンドのベースを担当しているが、自分で作詞作曲してギターの弾き語りもする、高校時代は美術と音楽が得意で担任の教師に音大への進学を勧められたが、音楽では食べていけないと思って違う道にすすんだ、云々。一時間くらい喋ってから、3時になったので引き上げていった。
 再び絵に取り組んで、色を塗りはじめたところで、タイムリミットとなり、続きは家で描いた。スケッチを楽しむつもりが、他人の話を聞きにいったような一日だった。
 今夜は一年に一度の海峡花火大会が開催される。門司と下関の両岸で1万3千発の花火が打ち上げられる。どうか天気になりますように。
   

人生何事も経験、その二

2010-08-09 23:00:59 | イメージ画
 私が中学生の頃、「天下一家の会」が世間を騒がせたことがあり、ネズミ講は社会悪だと思った。その後、合法的なマルチビジネスが雨後の筍のように出現したが、自分から始まる人のピラミッドを築かなければ、ビジネスチャンスが出来ないところはネズミ講と共通していた。
 アムウェイ、ニュースキン、ミキ食品、等、誘いがあってもマルチ商法には関心がなかった。ある日、親戚からスーパーダイエーの子会社が運営するネットワークビジネスの可能性を教えられ、即座に入会を決めた。それがエックスワンだった。11人の子会員が出来たが、会員制通信販売に重きを置いた健全なネットビジネスだけあって、子会員が増えただけでは何も始まらなかった。洗剤や化粧品のサンプルを子会員にプレゼントしたり、非会員には原価で提供したりして、愛用者を増やそうとしたが、ただの便利屋になってしまった。親会社のダイエーが破綻したこともあり、高額な日用品を使い続けて台所事情が厳しくなってきたこともあって、エックスワンを始めてから7年目に脱会した。商品購入累計は1、369、655円だったが、ダイエーの可能性を信じて株式を買ったことが裏目にでて、株式の損失が980、000円にもなった。福岡のシーホークホテルで開催されたエックスワンセミナーに参加して、大成功した会員が泊まるスイートルームで話を聞く機会があったが、年収数千万を稼ぐようになるまで、相当な出費と苦労をしてきたことだろう。

人生何事も経験、その一

2010-08-04 00:22:31 | イメージ画
 大晦日の仕事を終えて、7時頃帰宅した。例年なら家族で新年を迎えるゆったりした時間を過ごすところだが、この日は違った。心配する家族を家に残し、私は福岡市へ車を走らせた。
 福岡市郊外の教団支部に集まった巡礼ツアー参加者は、教団が用意していたお遍路さんの衣装に着替え、貸切バス2台に分乗した。車中では旅の安全を祈願してお経をあげるためのマイクが回された。最初の聖地は、教祖の生家で閑静な住宅街にある普通の民家だった。夜明け頃、広島にある教団の本山に到着した。全国から参集した巡礼のバスがひしめいていた。
 特別の日にしか公開しないというご本尊を拝んだあと、大講堂で催された正月の宴に参加した。宴の途中で私たち福岡組は退席して、次の聖地の鹿児島に出発した。
 日の出の頃、バスは大隅半島にある教団の多宝仏塔に着いた。解脱式を終えて、夕食後、塔の周りに信者が集まり読経した。中学教師の話では、この場で巨大な普賢菩薩が目の前に現れたとのことだったが、日付が変わっても奇跡は何も起きなかった。
 翌日知多半島にある教団の涅槃城をお参りして帰途についた。
 2泊3日のツアー中、まともに寝ていなかったが、明け方家に帰り着くや、3日からの仕事始めのために、会社へ向かった。私は心の中で、正月から家をあけ、家族に心配をかけたことを後悔していた。