気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

スティーブ・マックイーンとトライアンフ(Triumph 955i Daytona)

2010-06-29 20:00:12 | バイクの絵
 私が高校生の頃、一番好きな映画俳優がショーン・コネリーからスティーブ・マックイーンに変わった。マックイーンがブルーのタンクカラーのトライアンフ・ボンネビルに跨った写真は私のお気に入りだった。その写真をもとにイラストも描いたが、友人のH君の当時のガールフレンドへのプレゼントになってしまった。写真はいつのまにか紛失してしまったが、イラストは残っているだろうか。当時描いた17枚のイラストは全て女性に渡っていった。
 ところで、最近のトライアンフはトム・クルーズ主演のM・I・2に登場したが、昔のトラボンネのほうが断然個性的だった。


フォード マスタング ボス351 1971年式

2010-06-23 20:36:49 | 車の絵
 高1の3学期が終わった春休みに、私は自動二輪の免許を取得した。高2の夏休みに中3の弟をホンダCB350の後ろに乗せて、初めて長距離ツーリングを経験した。お盆に家族で万博見物を兼ねて吹田の親戚を訪ねることになり、父母と姉、末弟、妹はフェリーを利用して乗用車で行き、定員オーバーの私と弟はバイクで陸路を走ろうと一日早く出発した。当時、高速道路は名神高速が阪神高速とつながったくらいで、神戸までは国道2号を走るしかなかった。朝の4時に意気揚々と門司を出発したが、ほどなく雷雨に会い、濡れ鼠となった。さらに不運なことに徳山の手前で、後輪がパンクしてしまった。人家もない早朝の国道をひたすら大きなバイクを押し続ける兄弟の姿は痛々しかった。1時間近く押したところに小さな自転車屋があった。中に入ると、奥の居間で一家4人が朝食を摂っていた。店主は食事を中断して、バイクのパンクを修理してくれた。それからは食事とトイレ以外黙々と走り続けた。後ろで弟が船を漕ぎだすと、危ないので弟を起こそうと、頭突きを喰らわした。ヘルメット同志だから痛くはなかった。
 日が暮れて阪神高速の料金所に辿り着いたときは、目的地の吹田も近く、ほっとしたが、バイクに二人乗りでは通すわけにはいかないとUターンさせられた。バイクを押して、一般道に降りたが、吹田まで阪神高速を通るつもりでいたし、大雑把な地図しかもってなかったので、このあと道に散々迷った。9時頃、吹田の万博公園が見えたときは感激した。
 過酷なエンデューロレースを完走したようで、翌朝起きた時、左手が強張って動かなかった。クラッチの動作をどれほどしただろうか。帰りは楽をしようと阪九フェリーを利用したが、お盆の混雑で、2等の雑魚寝部屋でも、寝るスペースがなく、ボイラー室の壁を背にして、通路に座って寝るしかなかった。辛く楽しい思い出となった。
 ところで、吹田に滞在した時、親戚の家の近くのガレージで、黄色の69年式マスタングを見つけた。映画「ブリット」を見て以来、マスタングに憧れていたので、始めて見る実車の迫力に圧倒され、何度も見に行き、写真も撮った。マスタングは1971年式からスタイルが一新され、マッハ1が世に出た。
  

最近気が長くなったのは年のせい?(コルベット1962)

2010-06-15 21:35:47 | 車の絵
 最近、妻は仕事が忙しいようで、私が先に帰宅することが多い。
 先に帰った方が晩御飯の支度をするのが暗黙の了解だ。海鼠を貰って帰った晩もそうだった。真っ暗な部屋の電気を点けてまわり、手洗い、うがい、をする。洗濯物を取り込む。冷蔵庫の中の食材をチェックして作る料理を決める。
 この日は海鼠があるので、お酒を飲むことにした。まず海鼠を調理。冷蔵庫にご飯が残っていたので、オクラ、玉葱、わけぎ、人参、ベーコン、ホタテ貝と一緒に炒めてバターライスを作る。メインディッシュはフィンガーステーキとキャベツ、玉葱をステーキ皿で焼いて、ステーキソースを掛けて出来上り。前日の残りの五目煮を添えて配膳が終わると、あとは妻の帰りを待つばかりだ。
 私の携帯に妻からメールが届いた。「今日も残業でかなり遅くなりそうです。帰る時に連絡します。」
 こういう場合は遠慮なく先に食事を始める。
 20時32分に妻から二度目のメールが届いた。
 「明日検診で晩御飯を食べられないので、用意してくれてたらごめんね。」
 2年前の私なら怒りが爆発するところだが、私は遅くまで働く妻に感謝していた。
 22時2分、妻から三度目のメールが届いた。「今から帰ります。」

海鼠の調理方法(フィアット・トッポリーノ1949)

2010-06-08 21:11:15 | 車の絵

 最近、生きた海鼠(なまこ)を貰うことが多い。調理済の刺身は時々買うが、生きたまま買ったことはない。妻は海鼠は食べるのも苦手で、当然調理もできない。あのグロテスクな外観からは美味なイメージが湧かないのだろう。一人で食べきれない場合の調理方を会社の人から教えてもらったので、昨晩もそれを実践した。
 海鼠を洗ったあと、頭と尻尾というか、両端を切り落す。背中に包丁を入れると溢れ出てくる内臓を取り出す。内部をスプーンでこさいで身だけにして、よく洗う。
 ボールに熱い緑茶を入れて、小さく切った海鼠を入れる。しばらく置いたあと、お湯を切り、海鼠をタッパに移す。このようにすると、海鼠は冷蔵庫で1週間は保存できるし、身も柔らかくなる。
 ところで「このわた」は海鼠の腸を塩漬けにしたもので、酒の肴として私の好物だったが、海鼠を調理する時に生の腸を見てからは、食べる気が失せた。


N君の車遍歴

2010-06-05 20:45:41 | 車の絵
 私が小学6年生の頃、義父の膝の上で日産のクリッパーを初めて運転した時、車を意のままに動かす喜びを知った。ギアを二速に入れ、クラッチを離すタイミングがうまくいくと、大きな2トン積のトラックが動き出すのが嬉しかった。夜間は人気のない公園裏の公道での練習だったが、無免許運転をする緊張と興奮から私の心臓は高鳴っていた。高3になって普通車の免許を取ってからは、義父の会社の軽トラックや、たまにクラウンを運転するチャンスがあった。大学2年の時にバイトで貯めたお金で中古のシビックを買ってから、晴れて自由に車を運転できるようになった。
 一方、私の幼ななじみのN君は、お父さんのスバル360やホンダライフを高3の時から乗っていた。ブルーバードSSSを所有していたお兄さんの影響からか、ほどなくN君の車遍歴が始まった。私が浪人の時、N君はサニークーペからチェリークーペに乗り換え、私がシビックのオーナーになった時、彼はフェアレディZに乗った。彼が乗る車はずっと白色だったが、マルーン色の240ZGが発表されると、自分のZにオプションをつけて小豆色に全塗装をして5ナンバーながら見た目は240ZGに改造してしまった。
 社会人になってからはフィアットX1-9→BMW→BMW→ジャガークーペ→メルセデス→メルセデスと現在に至っている。いくら車が好きでも、私には真似ることなど到底できない。