気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

一瞬でズタボロになった衣服

2008-07-23 23:25:22 | イラスト
新小文字病院に到着すると救急スタッフが玄関で待機していた。ストレッチャーに移されICUに運び込まれた。治療室の寝台に寝かされると、すぐに右手首に点滴が繋がれた。寝たまま、両手、両足のレントゲンを撮った。骨には異常がなかった。左膝まわりの4ケ所の深い裂傷、左足首の2ケ所の裂傷、右膝1ケ所と右足裏の深い裂傷の処置がされた。左肘関節裏に直径1センチくらいのえぐれ傷と3センチの深い裂傷があった。「これはひどいな。」「局所麻酔をしよう。」「ちょっと痛いですよ。」洗浄液を2パック使って、傷口を歯ブラシのようなものでしごいて、傷口の不純物を取り除いた。「ここは縫ったほうがいいね。」「眼科用のメスを持って来て。」8針縫った。「肘の神経が集中したデリケートな所なので、あとで痺れが出るかもしれません。」8ケ所以上の浅い裂傷や打撲については何の処置もされず、次にMRIで頭の検査をした。脳に異常はなかった。すべての検査と処置が終わり、控え室に移動した。そこで、衣類や靴、警察が届けてくれた現場の遺留品を確認しながら渡された。服を着て、渡された大きな無地の白い紙袋2枚にリュックサック、レインスーツ、弁当、イオン水をいれる4Lの空ペットボトル、ヘルメット、バイクカバー、ブーツカバー、靴等を収めて、受け取り書にサインをした。「あと会計のカウンターで手続きをしてください。」
ICUの控え室のベッドからおりて、足を引きずりながら、教えられたホールに向かった。そこは玄関ホールだったようで、すぐに病院の案内係がとんできた。
「靴は御持ちじゃないのですか。当病院に何か御用ですか。」
広くて新しい病院内を、穴だらけの靴下をはいただけで、大きな紙袋を二つぶらさげ、ズタボロの衣服を纏ってフラフラ歩いている姿は、どこから見てもホームレスに見えたのだろう。
治療費は12万円ほどで、交通事故は社会保険の対象外で全額自己負担になるという。当然持ち合わせがないので、誓約書を書かされた。
 薬局で薬を受け取ったあと、タクシーで帰宅した。仕事に出るのに着替える必要があった。病院で出された診断書には5日間の安静加療を要すると書かれていた。
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アフリカツインのおなか

2008-07-17 23:48:04 | バイクの絵
相手の車は本線への合流ではなく、Uターンするつもりだった。避けきれないはずだ。
軽自動車のフロントバンパーの右角がアフリカツインの左後ろのステップに接触したようで、アルミ鋳物のステップステーが引きちぎれていた。車はバンパーが緩んだ以外、無傷だった。バイクは、転倒によるダメージが大きく、左ステップがもぎ取れ、タンクは凹み、カウリングやサイドカバーがひどく傷ついていた。
周りの人が携帯をかけていた。「事故を起こしたんです。場所は---」「救急車を---」「救急車はいいです。大したことないですから。」「頭を強く打ってたから大事をとったほうがいいよ。」
促されるまま歩道に蹲ると目の前のバイクからオーバーフローしたガソリンが流れ出ていた。引火でもしたら大変だ。
「すみません。バイクを起こすのに手を貸してください。」二人の男性に手伝ってもらいバイクを歩道の脇に停めた。
会社に事故の連絡をしようとピッチをかけたが、まだ誰も来ていないようで繋がらなかった。郵便局長の奥さんが、綺麗なハンカチを差し出して「これ、使ってください。」という。よくみると、左肘から血が滴っている。「もってますから。どうも。」自分のハンドタオルをあてがった。郵便局長の夫婦は、長男の中学のPTA以来の知り合いだったので、何かと心配してくれた。家から冷やしたまっさらのタオルを何枚も持って来て怪我した両足を冷やしてくれた。白いタオルが赤く染まっていくのが申しわけなかった。
救急車が到着した。
「警察の現場検証に立ち会うまでここにいます。」と言うのに、救急車に運びこまれ、問診をしているうちに搬送先が新小文字病院に決まった。外の喧騒から警察が来たのがわかったが、救急車が動き出した。
「会社に連絡したいので、ピッチを使ってもいいですか?」今度は事務の女性が電話にでた。事故で救急車で搬送中の旨、午後から出社する旨、午前中の仕事の段取りを指示して電話を切った。
救急隊員や病院関係者、事故現場で御世話になった人たちが、私に家族や妻に連絡するよう言ってくれたが、入社したばかりの妻の立場を考え、心配をかけるほどのことはないと思い、妻への連絡を怠った。
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2008年6月27日午前9時7分

2008-07-17 22:23:16 | イメージ画
9時6分頃家を出て、二夕松町の信号にひっかかった時、路側帯を徐行して、車列の先頭に出た。信号が青になって発進し、左カーブを曲がると葛葉郵便局の前の道路脇に青い軽自動車が止まっていた。こちらは本線を走行しているので直進するつもりだった。と、その時、軽自動車が本線に入ろうとしてきた。ブレーキをかけても間に合わない、回避するしかないと咄嗟に判断した。バイクを右に寄せながら、何とか間に合ってくれと思った瞬間「ドン!」という衝撃とともにバイクもろとも弾き飛ばされた。
横向きに寝た状態でアスファルトの上を体が滑っていった。目の前を独楽のように回るアフリカツインが同じ方向に流れていった。バイクのどこかが私のヘルメットを直撃したあと、対向車線を塞ぐ形で二つの物体が止まった。
私はすぐに起き上がった。朝のこの時間帯に対向車がなかったのは奇跡だった。
まず、倒れたバイクを起こそうとした。体の左側にダメージを受けており、左足のふんばりが効かない。いつもなら簡単に起こせるのに。
葛葉郵便局の人たちがかけつけてきた。
「大丈夫ですか!」「動かないでじっとしてた方がいいよ。」「歩道に座っとき!」
軽自動車を運転していた若い女性がおろおろしながら言った。
「すみません。私が後ろを見ていなかったんです。」
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葛葉郵便局前

2008-07-17 21:10:38 | 風景画
28年間通い慣れた国道3号門司-小倉線にはかつて路面電車が走っていた。
自宅から会社まで片道3km、時間にして5~8分の通勤タイムは、一日のうちで
バイクに接する貴重で楽しいひと時だ。
その日の天気によって様々に変わる空や海の表情、停泊する船舶、優雅な関門橋、何度みても見飽きないコースだ。
いつもどおり家を出て1分、日常の平和な光景がこれから始まるはずだった。
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KTM LC8 950 F. Meoni 2002

2008-07-03 02:15:55 | バイクの絵
アフリカツインのオーナーになって早6年。走行距離も3万キロを越えている。
このタフなバイクは10万キロは軽く乗れるらしいので、愛着も増すばかりだ。
もし買い換えるとするなら、レーサーレプリカやネイキッドスポーツも魅力的だが、やはりアフリカツインのようなエンデューロマシンを選ぶだろう。
サハラ砂漠を縦断する過酷なレースに耐えられるような頑丈なボディを持ち、アクシデントが起きても、ライダーのダメージを軽減するように設計されている。
アフリカツインに乗ってて良かった。
 
※絵のマシン(オーストリアのKTM)でファブリツイオ・メオーニ(伊)は2002年のダカールラリーの二輪車部門のチャンピオンとなった。
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