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気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

HONDA HAWK 11

2023-09-30 01:08:43 | バイクの絵

今月、弟がバイクを新車に買い替えた。ホンダ ホーク11。国内専用モデルで年間生産台数1200台、税込1、397、000円。一体成型FRP製のロケットカウルは万一交換することになったら30万円かかるとのこと。レトロっぽいデザインに最新の機能を秘めた大人のバイクで、弟に似あっている。いいなぁ・・・。

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仕事に追われる日々

2023-08-31 23:53:30 | バイクの絵

ここのところ時が経つのが異常に早い。商売をしていると借入金の返済、仕入れ代金の支払い、社員の給与の支給に追われる月末が近づくと憂鬱になる。

全ての支払いが片付き月が替わって一息ついたところで、月初めの大口の支払いと役員報酬の支払いが待っている。

日々の業務をこなしているうちにすぐに月末になる。

一か月が瞬く間に過ぎ、ある日爺さんになった自分に気付くのだろうか。

去年の誕生日に長男から貰った喜寿のプレゼントは精巧なレゴのバイクだった。チャレンジする意欲が残っていてよかった。

 

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思い出のバイク

2023-01-30 00:52:01 | バイクの絵

41年前に衝動買いして部屋に飾ったり、キャンプに連れてったモトコンポ。子供が園児だった頃、二ケツで幼稚園に行ったこともあった。

通勤に使い始めてから戸外に置くようになると、盗難にあったりあちこち傷みが出た。20年近く乗りタンクに穴があいたのか、満タンにしても三日でタンクが空になった。

エンジンは絶好調だったが手放す時が来たと思った。新聞広告で知った若松のバイク屋に査定に来てもらい15000円でドナドナドーナと引き取られていった。

最近ヤフオクで検索すると希少価値が出て20~70万円で出品されていた。発売当時の新車価格は8万円だったのにバブルの再来かも。

 

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毎月の飲酒日収支がついにプラスに!

2021-05-02 01:04:17 | バイクの絵

独身の延長で、私は結婚してからも晩酌をすることが多かった。薄給の身で家計の負担を考えて、酒代は毎月15000円の自分の小遣いを回した。

家族が増え、深酒を戒め健康でありたいと願って、三日に一日の休肝日を想定して、ひと月に晩酌する日を11日とした。

飲酒した日はカレンダーに印を付け、月始めからの飲酒回数と累積収支をその都度記入することにした。

寒い日は熱燗が恋しく、暑い日は冷えたビールの誘惑に負けて、月に11回の飲酒日を守ることが難しく、カレンダーのマイナス日数が増えていった。

ついにマイナス日数が200を超えると、大病で入院したときに精算するしかないと諦めていたが、加齢とともに飲酒量が減っていき、昨日5月1日の

カレンダーはプラス1で始まった。「もう飲酒日のしばりをやめたら。」と妻は言うが私はやめないだろう。

 

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絵を描く楽しさは亡き父から教わった。

2019-07-30 23:27:08 | バイクの絵

私が幼い頃、店舗の一角が居住スペースだったので、売り場の通路は絵を描く(落書きのつもりではない)キャンパスだった。商品の裏に店名を記入するためにチョークを常備していたので、絵を描く道具には不自由しなかった。亡き父が偶に戦艦などの絵をチョークでリアルに描くのを傍でみて自分も描きたくなったのだと思う。

店にお客が入ってきて絵を描けなくなると、店前の道路に描いた。キャンパスが限りなく広いので、大きな絵を描くのが得意になり、幼稚園でクラスの園児が見守る中、先生に画用紙を何枚もつないでもらって長い汽車の絵を夢中で描いたのを憶えている。

小学4年生の頃、両親の似顔絵を家で描いてくる宿題が出た。提出した後、担任の先生の要望で、先生の似顔絵を描かされた。つい最近、傘寿を過ぎた恩師と会う機会があり、その時の似顔絵の話が出た。

中学生の頃、美術の教科書を見るのが好きで、絵画や彫刻の写真を真似てノートに鉛筆で描いた。美術部に入ればよかったのだが女々しく思われたくないので卓球部に入り、半年で退部した。美術の女の先生は、期末考査の試験問題に修学旅行で宿泊した旅館名を問うような型破りの教師で、芸術家肌だった。美術室には公募展に出品する描きかけの大きな油絵がイーゼルに掛かっていた。ある時、焼き物を作る授業があり、私がミロのヴィーナスのミニチュアを作ったことが職員室で問題になりかけたが、その先生のお陰で叱責を免れた。私は純粋にヴィーナスを作りたかっただけで、問題行動とは思わなかった。中三になりストーリー漫画を描く楽しさを知った。

高校に入学して芸術の授業を、美術、音楽、書道の中から選択しなければならなかった。私はこの順番で志望を届けたが、書道のクラスになった。二年間書道の授業を受けても私の字が上達しなかったのは、こっそり墨絵を描いていたせいだろう。高二でバイクを乗り回すようになると、墨汁でバイクのイラストを描く楽しさを知った。バイクの雑誌に「スズキ・ハスラー」と「ハーレーダビッドソン・エレクトラグライド」の二枚を投稿したが掲載されなかった。高3から浪人にかけて勉強もせず、バイクや車や俳優の絵をたくさん描いたが、すべて友人にあげたので、何も残っていない。

大学3年のとき、美大生だった妻が私の誕生日にスケッチブックをプレゼントしてくれた。しばらく絵から離れていたので、再びイラストを描く気になった。社会人になってから絵を描く機会がなくなった。数十年間に描いたのは、妻から油絵の手ほどきを受けた頃に描いた3枚だけだった。

母が亡くなったとき、心にぽっかり開いた穴を埋めるように母の肖像を描いた。絵画は癒しになると感じた。子供たちが成長して家を出て行き、妻がボタニカルアートを描き始めた。妻の道具を借りて私も水彩でイラストを描くようになった。携帯できる水彩道具を買ってからは、風景画も偶に描くが、奥が深くなかなか思うように描けない。十代や二十代の頃の集中力が最早なくなっているのだ。

 

 

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暑い盛りのツーリング(2)

2016-09-12 15:40:37 | バイクの絵
 ビュッフェスタイルの朝食を8時にすませたが、部屋に戻ってテレビのオリンピックを見ているうちにチェックアウトが9時になってしまった。
 前夜、グループ店の社長に八代の見所を尋ねたところ、八代城は石垣しか残ってないし、お奨めできる観光地がないとのことだった。
 朝、ホテルの朝食係の年配女性に同じ質問をすると、少し考えたあと、名前は覚えてないが海の中に祠と鳥居が立つ良い景色があると言う。
 フロントの男性に手がかりを求めたが、ややこしいようで、大まかな説明のあと、途中で訊いてみてくださいとのことだった。
 ホテルを出てすぐに八代城跡を通りがかったのでバイクを停めて歩いた。お城の建っていた辺りに今は神社が建っており、一組の集団が祝詞をあげてお宮参りをしていた。

 八代海が見える場所にいけば見当がつくだろうと思っていたが話に聞いたような景色が見えない。港湾施設の守衛に聞いても知らなかった。八代港で魚釣りの準備を始めた一団に尋ねると、探している景色が水島の事らしいと分かった。目的地を絞ることができたが、ホテルを出てから小一時間走っていたが水島にたどり着けない。三回目に農家の老人に尋ねた際、「水島」に行きたい旨を伝えると、そこからは近かった。教えられたとおりに河沿いに道を進むと、右手の海上にそれらしい景色が見えた。
 途中の自販機で飲み物を買っておくべきだったと少し後悔したが、バイクを降りて、炎天下スケッチポイントを探した。
 水島の由来を記した立て看板があった。
 「球磨川の河口に位置する海抜約11メートル、東西93メートル、南北37メートルの小島。
  日本書記に景行天皇が芦北の小島に留まって食事をされたとき、飲み水がなかったので小左(オヒダリ)という者が神に祈りを捧げたところ、
  たちまち清水が崖のほとりから湧き出したので、その水を汲んで天皇に差し上げた。
  このためこの小島を水島というようになった。」
 
 祠にお参りしてお賽銭を入れ、手水の水で喉の乾きを癒した。
 2時間のスケッチ中、60代くらいの夫婦がお参りし、70代の男が景色をマニアックなカメラに収めに来ただけで、カラスや雀の集団が手水でのんびり喉を潤していた。
 
 八代の次は熊本城に向った。
 国道3号は熊本市内の手前からひどく渋滞した。
 熊本城は震災の傷跡が生々しく、内堀から先は立入り禁止となっていたが、大勢の観光客で賑わっていた。
 3時をまわっていたが暑さのために空腹を満たすよりも体を冷やしたかったので、食事処でかき氷を注文した。ポカリスエットを飲みながら、堀沿いに散策した。妻への土産に菓子などを買って熊本城を4時に出た。

 熊本城から国道3号に出る道に迷いながらも、植木、山鹿、と快調にバイクを走らせた。黒木あたりから雲行きが怪しくなり、何度か雨降りに会ったが、メッシュのジャケットに滲みる雨が心地よい。久留米の有名なラーメン店に後ろ髪を引かれたが、晩御飯は妻と一緒でと思い我慢した。鳥栖からは、仕事で毎月通って勝手知った200号線をひた走った。7時35分帰宅。風呂上り、長距離ツーリング後のビールは格別に美味しかった。
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アベノミクスもいよいよ行き詰ったか!?

2016-02-24 23:52:56 | バイクの絵
 増税後のデフレ脱却を狙った政府の景気対策も日銀のマイナス金利導入で打つ手がなくなったように見える。
 商売をやっていると景気が底冷えしているのがよくわかる。新年早々世界的に株価は暴落するは、北朝鮮は弾道ミサイルを発射するは、明るい材料が見当たらない。
 春が来るのが待ち遠しい。暖かくなれば、人の動きがよくなり、景気が上向くかも…。祈願。
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精巧なハーレーの模型をゲット!

2015-06-20 19:58:02 | バイクの絵
 四月に長男の高校時代の同級生の実家に家具を配達した。新居への引越しに際して、ご主人のコレクションの整理をしたそうで、私がミニカーファンだという事を妻から聞いていた奥様に、ご主人が作ったバイクの模型を貰って欲しいと電話で打診された。
 引越し前の新居に家具を納品したときに奥様が細心の注意をはらいながら、大きな紙袋にいれた模型をもってきてくれた。
 模型はタミヤの1/6ハーレーFLHTCエレクトラグライドクラシック1980年型、幅42センチ奥行17センチ高さ16センチの堂々としたものだ。
 久々にバイクの絵を描きたいと思って絵にした。
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一昨年の危惧が現実に…

2015-02-28 23:00:31 | バイクの絵
 一昨年、私たちの店の駐車場が消滅することも省みず、父が隣接するビルを売却したとき、店を廃業させたいのかと腹立たしかった。運よく店の裏に小さな駐車場ができ、月5万円で借りることができた。店を運営するうえで駐車場を持たないという最悪の事態は回避できた。
 父からビルを買った人は、当初七階建の賃貸マンションに建て替える計画だったが、建築資材の急激な値上がりにより、ビルを取り壊してコインパーキングを作ることになった。昨年9月に工事が始まると粉塵や騒音で二ヶ月間悩まされた。工事業者に遮蔽幕や歩道の洗浄を聞き入れてもらったが、鉄筋三階建てのビルの撤去工事は容易ではなかった。工事の完了間際、ビルの敷地にあった排水口を潰してアスファルト舗装をしたため、雨が降ると逃げ場のなくなった地下水が店の売り場に大量に染み出た。雨の日は、社員一同床の排水作業に追われて商売どころではなかった。
 隣に善処を要求するが、公共の排水口が私有地にあったことを問題にして、役所と話し合いがなかなかつかず、工事がしばらく中断した。
 雨が降る度、隣と店の間に溜まった地下水を電動ポンプで排水して店の浸水を防いだが、歩道が泥まみれになり、歩行者に迷惑をかけた。
 結局、隣地のオーナーの負担で、店の敷地内に排水溝を作り、役所の負担で排水溝を下水溝に連結する工事をすることになった。
 店の敷地の一部を排水溝にされて大損だが、営業を正常に戻すためには仕方が無い。
 工事中、隣の駐車場が消滅したので、お客様に裏の駐車場を知ってもらうのに苦労した。広告のチラシに駐車場の略図を入れたり、駐車場案内の看板を店の正面に掲げていても、車から降りて駐車場の場所を聞いてくる人は稀で、今までより確実に不便になっているので、来店客が大幅に減ってしまった。
 隣の駐車場がいかに重要だったか認識させられた。コインパーキングのオーナーと交渉して、店でお客様にお渡しする駐車券も利用できるようにしてもらった。一月にコインパーキングがオープンすると、裏の駐車場よりも隣の方が利用者が多く、出費が増えたわりに客足はなかなか戻ってこない。ここ四ヶ月、店の赤字が続いている。
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忙しいにもほどがある

2012-10-24 23:39:47 | バイクの絵
 今日(10/24)は仕事がオフで天気も良かったので11時前にツーリングに出発した。宇佐から玖珠に通じる国道387号に「宇佐のマチュピチュ」と例えられる絶景があるのをブログで発見して、その絵を描きたいと思っていた。帰路は耶馬溪の紅葉の中をバイクで駆け抜ける計画だ。
 1時頃、道の駅「院内」の食事処に入った。人手が足りないのか、食事を終えた盆が放置されたままのテーブルが目立った。
 入り口のレジのおばさんに「食券を買うんですか。」と尋ねた。
「あとで注文をとりに行きますから。」
 空いている席につくと、さきほどの女性がお茶とポットを運んできた。「鳥天定食をお願いします。」待つこと15分。
私と同時に来店した中年女性三人組は食事が佳境にあり、私の後から入った男性に至ってはカレーライスを食べ終えてレジに向かおうとしていた。
 厨房からは女性のおしゃべりしか聞こえてこなくなったので、ちょっと憂鬱になりレジに向かった。レジには誰もいなかった。
「すみません…。」と声をかけると、厨房からレジの女性が出てきた。「何でしょうか。」「料理がまだ来ないんですけど。」女性はあわてて言った。
「何を注文されてたんですか。」
「鳥天定食。これから作るんですか。もう15分も待ってるんですけど。」
「5分でできます。すみませんね。」
 テーブルに戻って待っているとレジのおばさんが小走りで料理を運んできた。
「お待たせしました。おたくの後で鳥天の注文が入っていて、おたくのをそちらに持って行ってしまい、もう済んだとばかり思っていて、ごめんなさいね。」
 お詫びのしるしか、メニューの写真より、鳥天の数が多いように感じた。大分と言えば「鳥の唐揚」が有名で、辛子醤油に漬けて食する「鳥の天麩羅」も大分の名物だろう。
 「おいしかったです。待った甲斐がありました。」レジで900円を支払った。


 2時頃「西椎屋」の観光スポットに着き、絵を描き始めた。景色が逆光で眩しく、帽子を忘れたので、フルフェイスのヘルメットを被って絵を描いた。絵を描いていると、マチュピチュ風の写真を撮りに来る人が絶えなかった。絵の着彩にかかった時、おじいさんが話しかけてきた。
 地元の人で、私の絵に興味津々の様子だった。風景の説明やら自分の田の話やら、以前来た絵描きの話をする。話が尽きると私のバイクのことを聞いた。私はおじいさんとの会話を続けながら筆を持つ手は止めなかった。10分ほど話こむと老人は満足して立ち去った。集中力が削がれ、日も傾いてきたので、スケッチを切り上げ、帰路に着いた。4時をまわっていた。深耶馬溪は紅葉シーズンには少し早かった。本耶馬溪の山国川沿岸は先の豪雨の爪跡が痛々しく、国道212号はあちこちで片側通行の工事をやっていた。
 椎田を抜けるあたりで陽が落ち、寒さに我慢できなくなったので、バイクを停めて、リュックに詰めておいたニットのシャツを着込んだ。グローブも防寒タイプに変えた。
 7時に無事帰宅し、風呂を沸かして冷え切った体を温めた。今日一日の走行距離は220kmと少なかったので、ほとんど疲れはなかった。

 
 晩飯の支度をしながら、携帯のメールをチェックした。妻から「今日はかなり遅くなりそうです。」とあった。それに対する私の返信。「お疲れ様。あまり無理をしないでね。晩飯は作っておくから。」

 8時半ごろ、食事が出来あがり、ウイスキーで晩酌をしながらテレビを見た。
 11時30分、妻が疲れきった様子で帰宅した。
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