気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

忙しいにもほどがある

2012-10-24 23:39:47 | バイクの絵
 今日(10/24)は仕事がオフで天気も良かったので11時前にツーリングに出発した。宇佐から玖珠に通じる国道387号に「宇佐のマチュピチュ」と例えられる絶景があるのをブログで発見して、その絵を描きたいと思っていた。帰路は耶馬溪の紅葉の中をバイクで駆け抜ける計画だ。
 1時頃、道の駅「院内」の食事処に入った。人手が足りないのか、食事を終えた盆が放置されたままのテーブルが目立った。
 入り口のレジのおばさんに「食券を買うんですか。」と尋ねた。
「あとで注文をとりに行きますから。」
 空いている席につくと、さきほどの女性がお茶とポットを運んできた。「鳥天定食をお願いします。」待つこと15分。
私と同時に来店した中年女性三人組は食事が佳境にあり、私の後から入った男性に至ってはカレーライスを食べ終えてレジに向かおうとしていた。
 厨房からは女性のおしゃべりしか聞こえてこなくなったので、ちょっと憂鬱になりレジに向かった。レジには誰もいなかった。
「すみません…。」と声をかけると、厨房からレジの女性が出てきた。「何でしょうか。」「料理がまだ来ないんですけど。」女性はあわてて言った。
「何を注文されてたんですか。」
「鳥天定食。これから作るんですか。もう15分も待ってるんですけど。」
「5分でできます。すみませんね。」
 テーブルに戻って待っているとレジのおばさんが小走りで料理を運んできた。
「お待たせしました。おたくの後で鳥天の注文が入っていて、おたくのをそちらに持って行ってしまい、もう済んだとばかり思っていて、ごめんなさいね。」
 お詫びのしるしか、メニューの写真より、鳥天の数が多いように感じた。大分と言えば「鳥の唐揚」が有名で、辛子醤油に漬けて食する「鳥の天麩羅」も大分の名物だろう。
 「おいしかったです。待った甲斐がありました。」レジで900円を支払った。


 2時頃「西椎屋」の観光スポットに着き、絵を描き始めた。景色が逆光で眩しく、帽子を忘れたので、フルフェイスのヘルメットを被って絵を描いた。絵を描いていると、マチュピチュ風の写真を撮りに来る人が絶えなかった。絵の着彩にかかった時、おじいさんが話しかけてきた。
 地元の人で、私の絵に興味津々の様子だった。風景の説明やら自分の田の話やら、以前来た絵描きの話をする。話が尽きると私のバイクのことを聞いた。私はおじいさんとの会話を続けながら筆を持つ手は止めなかった。10分ほど話こむと老人は満足して立ち去った。集中力が削がれ、日も傾いてきたので、スケッチを切り上げ、帰路に着いた。4時をまわっていた。深耶馬溪は紅葉シーズンには少し早かった。本耶馬溪の山国川沿岸は先の豪雨の爪跡が痛々しく、国道212号はあちこちで片側通行の工事をやっていた。
 椎田を抜けるあたりで陽が落ち、寒さに我慢できなくなったので、バイクを停めて、リュックに詰めておいたニットのシャツを着込んだ。グローブも防寒タイプに変えた。
 7時に無事帰宅し、風呂を沸かして冷え切った体を温めた。今日一日の走行距離は220kmと少なかったので、ほとんど疲れはなかった。

 
 晩飯の支度をしながら、携帯のメールをチェックした。妻から「今日はかなり遅くなりそうです。」とあった。それに対する私の返信。「お疲れ様。あまり無理をしないでね。晩飯は作っておくから。」

 8時半ごろ、食事が出来あがり、ウイスキーで晩酌をしながらテレビを見た。
 11時30分、妻が疲れきった様子で帰宅した。

小倉城

2012-10-17 10:05:41 | 風景画
 残暑の厳しかった9月が終わり、少し涼しくなったので10月の最初のオフの日にスケッチに出かけた。といっても、雑事を済ませて2時頃家を出たので、あまり遠くへは行けない。夕飯の支度もあるのでリバーウォークの裏手から小倉城を描くことにした。B6Eのスケッチブックとコンパクトな水彩セットは短時間で絵を描けるので最近の私の外出時の必携アイテムとなっている。
 絵を描いているとき、社会見学の授業中らしき小学生の一団が教師の説明を聞きながら私の後を通り過ぎて行った。背中から聞こえてくる声から、従順な子、私語に夢中な子、集団から遊離しがちな子らが想像できた。小学生の頃の自分をふと思い出した。                私が小2の時の担任教師は、かつて私が学んだ中で一番好きな先生だったが、よく私を廊下に立たせた。教室に戻るよう許されても、私が先生の仕打ちを許さず、教室に戻らなかった。下校時まで…。小6になってすぐに父と死別し、教師たちやクラスメートの同情を集めた私は「かわいそうな子供」を演じなければならず、時には悪意のからかいに怒って暴力をふるった。一人だけ授業をさぼって校庭で時間をつぶした事も2度あった。それでも教師からのお咎めはなかった。特別扱いの問題児だったからだろう。

 ある日曜日、悪友と二人で自転車に乗って小倉へ遊びに行った。小倉城の敷地内で今は中央図書館のある一角は、当時ジェットコースターがあり、ちょっとした遊園地となっていた。そこに自転車を停めて遊んでいると、なにやら人だかりがしている場所があった。近寄ると「ボクたち絵を描かない?」と大人たちに声を掛けられた。有無を言わさず画用紙とクレヨンを渡された。絵を描くのが幼い頃より好きだったので、素直に絵を描くことにした。 小倉城とジェットコースターの絵だったと記憶している。私たち二人はさっさと描いて本来の遊びに戻った。

 絵を描いたことも忘れたある月曜日の朝礼の時だった。運動場で全校生徒が整列し、校長先生の訓示を聞き流していると、突然私の名前が呼ばれた。あの日書いた私の絵が、読売新聞西部本社主催の第一回絵を描く運動の優秀賞を取ったのだった。私は狐につまれたように、全校生徒の前に歩み出て、賞状と盾を校長から手渡された。私の人生で初めての表彰体験だったが、ただ恥ずかしかったとしか憶えていない。