気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

川尻岬

2017-07-28 01:41:36 | 風景画
 家の用事もなく、雨も降らない、久々のオフ。朝食を済ませ溜まった新聞を読む。朝刊の折込チラシをチェックして近くのドラッグストアに品薄の発泡酒とノンアルコールビールを買いに行く。20キロを超える荷物をアフリカツインのキャリヤに括りつけ、ハンドル軽く満たされた気持ちで家に戻る。時計は11時半。昼食を作るとどこにも行きたくなくなるので、バイクウェアに着替えツーリングバッグにスケッチ道具を詰めこんで家を出た。
 南は雲行きが怪しいので北に向う。関門トンネルを抜け山口の県道34号を走る。仙崎漁港の白菊食堂で久々に魚料理を食べる様子を想像しながらバイクを走らせた。そのままのペースで行けば、午後一時までに仙崎港に着きそうだった。豊田湖畔で「→石柱渓2.5km」の案内板が目に入った。中国自動車道の美祢の辺りに「国の天然記念物、名勝、石柱渓」の看板が昔からあり、そこを通るたび気になっていたので、この機会に寄ってみることにした。通り過ぎてしまうほど目立たない入り口の道路脇にバイクを停めると夏の猛暑を思い知らされた。絵を描くことを考えてバッグを抱えて涼めそうな峡谷へ入っていった。陽が射さない鬱蒼とした散策路は枯れ葉や枯れ枝が重なり、トカゲや蛙が私が近づくと足元から逃げ出した。いろいろな虫が頭の上をうるさく飛び廻り、とても絵を描く気にならない。猪に遭遇した際に投げつけるのに手頃な石や逃げる時に登れそうな木を確認しながら渓流を登っていった。倒木やゴミさえなければ柱状節理と滝によって山水画のような景観になりそうなのに、車が入れない渓谷の整備に手が回らないのだろう。濡れた岩場に何度も脚を取られながら誰とも会わずに歩くこと一時間。涼むどころか大汗をかいた。景観は期待外れだったが渓谷の中ほどにある「おしどり観音」の由来を書いた案内板が心に残った。━江戸時代、長州藩士の衣笠万作が田を見回り中、飛んできた雑草に袴を汚された。無心に田の草取りをしていた百姓の娘、お通が畦道に投げ上げたものだった。万作は無礼な百姓を手打ちにしようとしたが、お通の可憐さに心を奪われた。ほどなく二人は石柱渓で密会するようになった。しかし身分も住む世界も違う二人が夫婦になることは許されなかった。絶望したお通は石柱渓の滝に身を投げた。愛する女性を失った万作は、あの世で夫婦になろうと渓谷で切腹し、お通の後を追った。二人を不憫に思った村人たちが渓谷の崖に「おしどり観音」を祭って二人を供養した。━


 再びバイクを走らせたが午後一時半を回っていたので仙崎に行くのをやめて俵山温泉から県道38号に入り油谷を目指した。
 油谷町の楊貴妃の里を抜けたところで「川尻岬」の案内板を見た。「本州最西北端の岬」はどんなところだろう。興味をおぼえ行ってみると迫力のある景色に私の絵心が動いた。強風でめくれるスケッチブックを左手で抑えながら苦闘すること2時間。なんとか絵を描きあげた。
 午後4時半、帰路につく。途中、今日のスケッチ候補の一つだった角島に寄って角島大橋を往復した。台風のように風が強く、とても絵を描ける状況ではなかった。
 6時半無事帰宅。本日の走行距離195キロ。部屋に掃除機をかけ、汗と泥だらけのバイクウェアを洗濯して、晩ご飯の準備に取り掛かった。8時すぎに妻が帰宅。ツーリング中、水筒の麦茶しか口にしていなかったので、よく冷えた発泡酒が最高にうまかった。