気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

仙崎港

2008-03-29 21:02:17 | 風景画
 昨秋、弟とバイク2台のツーリングで仙崎に来た時、この穏やかな港の風景を
いつか絵に描きたいと思った。
 仙崎には、何度も来ているが、青海島観光の拠点港で、蒲鉾の美味しい所という印象しかなかった。今は金子みすゞ記念館でも有名だ。
 先週、妻と妻の母を金子みすゞ記念館に連れて行き、見学してもらっている間に念願の絵を描くことにした。
 絵になる所をあちこち探しまわって、やっと見つけたのが王子山公園の展望台だった。
 山と海に囲まれた小さな半島に住宅が密集している様は、町が海にポッカリ浮かんでいるように見えた。金子みすゞの詩にあるとおりだった。
 ---木の間に光る銀の海、わたしの町はそのなかに、竜宮みたいに浮んでる--- 

(お昼の店を捜していて偶然見つけた仙崎魚市場の敷地内にある「白菊食堂」は大当たりだった。 店の外観は悪いが、新鮮な海の幸が、安く、美味しく食べられる。店主兼調理人の主人と二人のお手伝いさんの応対も家庭的で楽しかった。
 お勧めは刺身定食。ごはん、汁物、いか・鯛・鰈の刺身、大根煮、ほうれん草ゴマ和え、連子鯛煮漬け、漬物、以上で800円。他に、サザエのつぼ焼き6ヶ500円も。)
 

ポルシェ356

2008-03-17 23:23:07 | 車の絵
 妻が楽しそうに花の絵を描いているのに触発されて、私がスケッチブックを買いに行ったのは昨年の6月のことだ。
 思えば、自分でスケッチブックを買うのは初めてだった。
 高校生の頃、イラストは、B4ケント紙に描いていたし、大学生のときに使っていたスケッチブックは、妻からのプレゼントだった。
 馴染みの文具店で店主から渡されたそれは予想外に安かった。(380円)
 これにどんな絵を描いていこうかと、胸が高鳴った。
 しかし、そのスケッチブックは、妻に言わせるとお子様向けのものだった。
 半分くらい使った頃、妻が高そうなスケッチブックをプレゼントしてくれた。
 安物のスケッチブックでも白紙のままにしておけないので、並行して使った。
 24枚目の最後の絵がこの絵になった。
 紙にコシがなく、皺だらけのスケッチブックだが、感慨深いものがある。

TRIUNPH TR6

2008-03-15 00:15:23 | 車の絵
 雪の八丁峠から一週間後、義母が行きたがっていた秋月に再び向かった。
 幸いこの日は天気に恵まれ、快適なドライブとなった。
 八丁峠に近づくと、路肩のあちこちに雪のかたまりが残っていた。
 一週間前の雪がどれほど深刻だったか、またあのドライブを続行することがいかに無謀だったかよくわかった。
 私が秋月を訪れるのはこれで3回目で、最初は妻とドライブで、二回目はバイクのソロツーリングで来たが、タイムスリップしたような静かな町のたたずまいが懐かしかった。
 最初に来た時に入った「秋月郷土館」は、秋月黒田家の遺品以外に、ピカソやルノワールの肉筆画も展示しており、本物ならば、かなり得をした気分になる。そこで私が一番印象に残ったのは昔の新聞の切り抜きだった。明治の初めの記事で、秋月の藩士が親の仇討ちに成就したとの内容だった。                              江戸時代、藩を出るには、まず藩主の許可が必要で、「お家」の名誉の為の仇討ちを申請するには決死の覚悟が必要だった。仇討ちを藩に願い出て認められれば、禄も最低限保証されたようだが、成就するまでは帰郷できない。
 今と違い、仇の写真も、情報もない中で、仇に遭遇する確立は、奇跡に近かったろう。
 幕末、秋月藩の藩政改革派により藩の要職にあった臼井亘理が暗殺された。その子、六郎は、一族の期待を担って、仇討ちの旅に出た。明治の世になっても仇を捜し続け、ついに明治13年、東京上等裁判所の判事となっていた山本克己をナイフで討ち果たした。江戸時代なら親の仇を討った英雄だったろうが、大日本帝国憲法の下では、ただの人殺しにすぎなかった。
 この事件を題材に、吉村 昭が「最後の仇討」というタイトルで小説を書いたのを知り、買って読んだが、非常に面白かったので、長男にあげた。
 小説の最後に、主人公が、出所後の一時期、門司で暮らしていたように描かれており、秋月がますます身近に感じられた。
 秋月は何度も訪れたい町だ。

MV AGUSTA 500 JOHON SURTEES 1956

2008-03-10 21:18:55 | バイクの絵
 長男の結婚式は肩肘張らない自然体で、大いに感動させてもらった。若い二人が準備に奮闘したおかげで、親はとても楽だった。親孝行の息子夫婦には感謝!感謝!
 式のあと、二週間ぶっとおしで働き、久々の休日は、ゲストの妻の母親を誘って、秋月に行くことにした。
 あいにく雨模様だったが、最初に嘉穂劇場を見学したあと、秋月に車を走らせた。天気が回復すればスケッチをするつもりだった。
 難所の八丁峠にさしかかった辺りから、雨が霙(みぞれ)になった。
 山道を登るにつれ、牡丹雪になり、さらに粉雪になった。
 妻は引き返そうと言うが、峠さえ越えればなんとかなるだろう、と前進を続けた。雪で足止めを喰うにしても、人里まで辿り着きたかった。あと少しで峠というところで、完全に銀世界になり、タイヤが空回りをして、まったく進めなくなった。
 あと4~5キロで秋月だというのに、あきらめてUターンした。
 このあと国道322号線八丁峠は雪のため、二日間全面通行止めになった。
 秋月の代わりに久留米の石橋美術館に行き、アカデミックなひと時を過ごした。
 
※MVアグスタ500
 F1チャンピオンのジョン・サーティースが2輪ライダーだった22歳の時、このバイクで1956年のワールドチャンピオンに輝いた。