亡き母が再婚した時、義父は28歳の初婚でいきなり、中3、中1、小5の3人の父親になった。義父は亡父の末弟で、叔父になるのだが、私達姉弟と年が離れていなかったこともあり、ものごころついた頃より、「アキ兄ちゃん」と呼んでなついていた。
義父と一緒に暮らすようになってからも、照れくささや亡父への思いもあって、「お父さん」と呼べなかった。
新しく弟や妹が生まれてもそれは変わらなかった。
弟が3歳になったある日、家族団欒の場で唐突に聞いてきたことに、周りがあわてた。 「本当のお父さんは写真の人なんやろ。」
姉弟で話し合って、次の日から、義父を「お父さん」と呼ぶようになった。
義父がいなければ、今の私達は違った人生を歩んだことだろう。
義父には感謝してもし尽くせない。
(私が結婚した頃、妻に油絵の手ほどきを受けた。
生まれて初めて描いた油絵は市松人形の絵で、実家の応接間に掛けた。
次に描いた油絵は、アンティ-クドールで、姉の新居にプレゼントした。
三番目に描いた油絵がこの絵で、未完成のまま、本棚に埋もれていた。)
義父と一緒に暮らすようになってからも、照れくささや亡父への思いもあって、「お父さん」と呼べなかった。
新しく弟や妹が生まれてもそれは変わらなかった。
弟が3歳になったある日、家族団欒の場で唐突に聞いてきたことに、周りがあわてた。 「本当のお父さんは写真の人なんやろ。」
姉弟で話し合って、次の日から、義父を「お父さん」と呼ぶようになった。
義父がいなければ、今の私達は違った人生を歩んだことだろう。
義父には感謝してもし尽くせない。
(私が結婚した頃、妻に油絵の手ほどきを受けた。
生まれて初めて描いた油絵は市松人形の絵で、実家の応接間に掛けた。
次に描いた油絵は、アンティ-クドールで、姉の新居にプレゼントした。
三番目に描いた油絵がこの絵で、未完成のまま、本棚に埋もれていた。)