気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

フォード マスタング ボス351 1971年式

2010-06-23 20:36:49 | 車の絵
 高1の3学期が終わった春休みに、私は自動二輪の免許を取得した。高2の夏休みに中3の弟をホンダCB350の後ろに乗せて、初めて長距離ツーリングを経験した。お盆に家族で万博見物を兼ねて吹田の親戚を訪ねることになり、父母と姉、末弟、妹はフェリーを利用して乗用車で行き、定員オーバーの私と弟はバイクで陸路を走ろうと一日早く出発した。当時、高速道路は名神高速が阪神高速とつながったくらいで、神戸までは国道2号を走るしかなかった。朝の4時に意気揚々と門司を出発したが、ほどなく雷雨に会い、濡れ鼠となった。さらに不運なことに徳山の手前で、後輪がパンクしてしまった。人家もない早朝の国道をひたすら大きなバイクを押し続ける兄弟の姿は痛々しかった。1時間近く押したところに小さな自転車屋があった。中に入ると、奥の居間で一家4人が朝食を摂っていた。店主は食事を中断して、バイクのパンクを修理してくれた。それからは食事とトイレ以外黙々と走り続けた。後ろで弟が船を漕ぎだすと、危ないので弟を起こそうと、頭突きを喰らわした。ヘルメット同志だから痛くはなかった。
 日が暮れて阪神高速の料金所に辿り着いたときは、目的地の吹田も近く、ほっとしたが、バイクに二人乗りでは通すわけにはいかないとUターンさせられた。バイクを押して、一般道に降りたが、吹田まで阪神高速を通るつもりでいたし、大雑把な地図しかもってなかったので、このあと道に散々迷った。9時頃、吹田の万博公園が見えたときは感激した。
 過酷なエンデューロレースを完走したようで、翌朝起きた時、左手が強張って動かなかった。クラッチの動作をどれほどしただろうか。帰りは楽をしようと阪九フェリーを利用したが、お盆の混雑で、2等の雑魚寝部屋でも、寝るスペースがなく、ボイラー室の壁を背にして、通路に座って寝るしかなかった。辛く楽しい思い出となった。
 ところで、吹田に滞在した時、親戚の家の近くのガレージで、黄色の69年式マスタングを見つけた。映画「ブリット」を見て以来、マスタングに憧れていたので、始めて見る実車の迫力に圧倒され、何度も見に行き、写真も撮った。マスタングは1971年式からスタイルが一新され、マッハ1が世に出た。
  


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