気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

ホンダ シビック

2007-08-28 22:26:38 | 車の絵
大学に入ってからの目標の一つが、バイトをして車を買うことだった。入学した年にオイルショックが起き、物価が高騰した。親からの月35000円の仕送りは、10000円の家賃を払うと、瞬く間に消えていった。車どころではなかった。下宿先は6帖一間の間借りで門限があったが、大家の承諾を得てから、日本橋のT貴金属で夜間のアルバイトをすることにした。5pmから10pmまで、時給280円。社員食堂で夜食がでたので、非常に助かった。大学2年になると、少し貯金が貯まり、カー雑誌で中古車を物色しはじめた。30万円くらいで買えるトヨタスポーツ800やフロンテクーペが本命だった。夏休みに帰省した時、父が程度のよい中古のシビックGL3ドアを下関のホンダ店で見つけてきた。1972年7月にシビックが世に出てから2年を経て、そのユニークな姿を時々街でみかけるようになっていた。閉店間際に見に行きその場で購入を決めた。左フェンダーに修理跡があったが、ネイビーブルーの外観とブラウン色のレザー調の内装がよくマッチしていた。一つしかないフォグランプが若者風でかっこよかった。新車価格54万円から考えると諸経費込みで51万円と高かったのは、人気車だったからだろう。生まれてはじめて大きな買い物をした。北海道から九州まで日本中をこれで走りまわった。社会人になって2年目に買った車もシビックだった。得意先のホンダディーラーで中古の1500RSLをローンで購入したが、5速ミッションが磨耗してギア抜けするようになるまでよく乗った。この後に買ったのが、65年式ビートルだった。

ジミー・ペイジ

2007-08-07 00:34:30 | イラスト
高2の時、クラスメートが学校を休んで、広島まで行き、レッドツエッペリンのコンサートを観てきた。当時の私は関心がなかったが、友人にとっては、ビートルズを生で観たくらいの出来事だった。大学浪人の頃、「ブラックドッグ」があちこちの有線から聞こえてきた。遅ればせながら、友人の家で「胸いっぱいの愛」を聞かせてもらって衝撃を受け、ツエッペリンのファンになった。
結婚して家庭を持っても、SGギターでツエッペリンの曲のフレーズをひいては自己満足していた。長男が受験間近の中3のとき、ジミーペイジ・ロバートプラントのワールドツアーが福岡のマリンメッセに来た。ロックの好きな長男には、またとないチャンスだからと、コンサートに連れていった。ジミーペイジは、若い時のイメージとは少しギャップがあったが、ロバートプラントは容姿も声のハリも昔のままだった。次に会えるチャンスはあるだろうか。

ジェフ・ベック

2007-08-06 23:34:43 | イラスト
大学1年の時、クラスメート4人で期間限定のロックバンドを作った。「ゲットバック」「ジャンピングジャックフラッシュ」「キャロル」の3曲だけを引っさげて、先輩バンドの前座として、よその学園祭に三度出させていただいた。少し度胸がつくと、自分たちの学園祭で小遣い稼ぎをしようと、ドリンク付きのコンサートを企画した。「ドントレットミーダウン」「アンジー」「ラブインベイン」「スーパースティション」の4曲がレパートリーに加わった。本番前日、偶然見つけた社会人のロックバンドに声をかけて、急遽出演してもらった。オールマンブラザーズのコピーバンドでプロ級だった。何時間でも演奏を続けられそうだった。気付いたら自分たちは前座になっていた。「スーパースティション」はスティービーワンダーのヒット曲だが、当時、ベック・ボガード・アピスがアレンジした曲の方がかっこよかった。

エリック・クラプトン

2007-08-05 23:39:12 | イラスト
高2の時、同級生がロックバンドを作った。リードギターの家を訪ねると、アニマルズの「朝日のあたる家」を大音量で練習していた。ハレの舞台は野外コンサートで、クリームの「ホワイトルーム」、グランドファンクレイルロードの「ハートブレイカー」「孤独の叫び」など旬の曲だったが、観客はまばらだった。後日ラジオでクリームのライブを聞いた。「クロスロード」「スプーンフル」「サンシャインオブユアラブ」に衝撃を受けた。

DREAM CB500T 1974

2007-08-05 23:06:50 | バイクの絵
高1の秋にバイクの免許をとった。父の会社にあるCB350に乗るのが、毎日の楽しみで、学校の帰りに、バイクに直行した。外観はメッキタンクに黒塗装と地味だったが、空冷4サイクル2気筒のエンジンは軽くレッドゾーンまで回転して、ホンダサウンズとともに、私を別世界へ誘ってくれた。高3の秋に、普通車の免許をとると、会社のトラックやクラウンに乗るほうが多くなった。その頃、中学のときの同期生だった建材店のS君が、発売されたばかりのCB500FOURに乗り始めた。人気の確立したCB750ではなく、なぜCB500を選んだのか気になったが、ナナハンよりもコンパクトな造りで、小柄な彼には乗り易すかったのだろう。ツートンカラーのタンクが渋く、大人の雰囲気のある良いバイクで、一度だけでも乗ってみたいと思った。色々なバイクに思いを寄せながら私のバイク好きは今に続いている。

ビートル

2007-08-01 23:31:24 | 車の絵
1982年(昭和57年)、父の知人の骨董屋の縁で、1965年式のフォルクスワーゲンのオーナーになった。通称ビートルとよばれ、個性的なスタイルに惹きつけられた。ビートルの中でも、ダブルバンパー仕様で、ライトカバーも付いたビンテージモデルだ。
今は亡き母が、父とこの車で買い物に出かけたことがあったが、熟年カップルにお似合いの車だった。ただ、電装系が6ボルトで、雨天や、夜間の走行には、不安があった。走行中にアクセルペダルが根元から折れてしまい、右手でスロットルコードを引っ張りながらアクロバティックな運転をしながら、家に帰りついたことがあった。
クラシックカーは部品の入手も困難で、走れる状態を維持するだけでも大変だとわかり、1年ほどで、手放した。熊本5せ6209ナンバーのビートルは、今でもどこかを走っているだろうか。

ポルシェ917K

2007-08-01 22:58:57 | 車の絵
私が高3の時、スティーヴ・マックイーンの主演映画「栄光のルマン」を見た。その頃の私は受験勉強よりも、バイクにうつつをぬかしていた。そして、初めて異性と見た映画がこれだった。おそらく初デートだったのだろうが、今は映画のことしか憶えていない。マックイーンが映画の中でルマン優勝を飾ったのが、この車だ。37年たってもこのフォルムの完璧な美しさは現代に通用する。どこから見てもうっとりする。

ムスタング350GT

2007-08-01 22:38:01 | 車の絵
高1のとき、スティーヴ・マックイーン主演映画「ブリット」を見た。彼を深夜のテレビドラマ「拳銃無宿」で知った頃は、青臭い西部劇役者という印象を持ったが、ちょっとニヒルなところが好きだった。テレビで「大脱走」を見てから、彼の大ファンになり、彼の出演する映画は全て観た。
「ブリット」では、彼はサンフランシスコ市警の刑事役で、タートルネックセーターを着たカジュアルな服装が粋だった。殺し屋を追い詰めるカーチェイスシーンは、映画史に残る名場面だ。ラロ・シフリンのジャズ風の音楽が、映画によくマッチしていた。ブリットが乗り潰したムスタング350GTは私の憧れの車の一台となった。

門司港駅

2007-08-01 02:16:18 | PC画
国の重要文化財の門司港駅。1913年(大正2年)3月16日、ドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテルの指導で着工し、翌年2月1日に竣工した。ルネッサンス様式で、ヨーロッパでは、石造りとなるところだろうが、なんと木造2階建てなのだ。第二次世界大戦の空襲によく生き残ったものだ。