気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

13年前の年賀状を見て13年後を想像

2014-01-31 22:17:10 | PC画
13年前の私の年賀状は新世紀の始まりということもあり、未来への希望と夢を絵に表現した。今年の年賀状のイラストと見比べながら思った。私たち夫婦は裕福な暮らしには縁がなかったが、しっかり者の子供たちやかわいい孫に囲まれてなんて幸せな親だろう。これからも質素な生活に喜びを見つけながら、お互い労わり励ましあって毎日を大切に生きていこう。13年はあっと言う間だ。

2014年賀状イラスト

2014-01-09 00:53:01 | PC画
年の瀬は例年になく公私ともに慌しかった。二年ぶりにパソコンでイラストを描くことにしたのだが、マウスでチマチマ描くのに時間を喰い、年賀状の投函が28日の朝になってしまった。「来年は早めに年賀状にとりかかろう」と毎年反省しているのだが…。
それにしても1年経過するのがメチャ早くなった気がする。

東へ西へ

2011-04-07 22:23:20 | PC画
 東日本大震災の惨状が連日報道されているが、安全圏の九州にいる私は、被災者の不運に同情するものの、所詮傍観者でしかない。震災直後にネットを通じて救援募金にささやかな寄付をした。天災を他人事として遠巻きに見ているだけで形式的で偽善的な行為しかできないことに多少後ろめたさを感じている。
 私の身近な震災の影響は、福島産工業製品の出荷停止により、一人の顧客に迷惑をかけた事くらいで、食料や燃料の供給をはじめライフラインはまったく問題ない。一昨日、東京に住む次男のリクエストに応えるため、家電量販店に防災ラジオを買いに行ったが売り切れていた。本店にも在庫がなく入荷も未定だという。普通のラジオも在庫がほとんどなくなっているのを目の当たりにして、初めて大震災を身近に感じた。
 大震災の実感がこの程度だから、原発の放射能問題についてはネガティブに考えられず、世論は不安を煽り過ぎだと思っていた。
 東京の親戚が兵庫の妻の実家に疎開したと聞いたときは、乳児がいるから東京の水は飲ませたくないとはいえ、平穏な日常に突然2家族を受け入れることになった義姉の方に同情した。関東圏に住む人々の放射能汚染に対する緊迫感が私には想像できなかった。
 先週、千葉から避難してきた母子が私の店に買い物に来た。放射能を避けて西へ西へと人が逃げてくる。
 ところが、私の娘は人の流れに逆らうように、大震災の日に東京で試験を受けた会社に転職が決まり、先月末に千葉へ引っ越した。
 勝手がいいと思われるだろうが、私は日ごとに放射能汚染が他人事とは思えなくなってきている。幼い孫二人は名古屋にいるから安心だが、関東圏に住む次男や娘の行く末が心配だ。

久々のタンデムツーリング!

2010-05-29 22:54:02 | PC画
 ゴールデンウイークの休みは妻とはすれ違いで、どこにも行けないと諦めていたら、直前になって、5月4日に休みが重なった。3日の夜、末弟からツーリングの誘いがあったのをきっかけに、妻を説得した。5、6年前、熊本へツーリングに行って以来、妻はバイクに乗らない主義を固持していた。今回はバイク2台で走るので楽しさも2倍だ。妻も暫くバイクから遠ざかっていたせいか、私の申し出をしぶしぶ承知した。
 行く先は、5度目の訪問となる豊後高田市の「昭和の町」だ。日帰りツーリングとして距離的に無理がないし、弟がまだ行ったことがないというのが決め手になった。
 4日の朝9時に家を出て、苅田で弟と合流した。弟のCB1300は俊足なので、一緒に走ると私のアフリカツインのペースも速くなる。750ccのバイクが400ccになったようにパワー不足を感じる。10号線は車が大渋滞していたが、バイクは車の間をすり抜けられるので、貴重な時間を浪費せずに済む。大型トラックとガードレールの間をバイクが際どく通り抜けるたびに、妻の体が硬直するのを背中で感じた。
 お昼前に昭和の町に着き、定番の食事処「柊」で早めの昼食を取った。
 「柊」は初めて入った頃、門司港レトロでいえば三井倶楽部のように観光の要所だった。 古い木造2階建ての病院を、2階の床を取り払って吹き抜けとし、豪快な梁や天井は柿渋塗で、窓は年代物の型板ガラスが使われており、古民家風の落ち着いたインテリアだった。 団体の予約が多く、大勢の従業員を抱え、繁盛していた。しかし建物の古さが仇となり、失火を起こして入口に置いてあった希少なラビットスクーターもろとも建物が全焼してしまった。
 今は建物の跡は駐車場となり、隣の鉄筋4階建の自宅の1、2階で細々と営業を続けている。話の好きな女将さん一人で、名物の鶏の天麩羅と、豊後牛焼肉の味を守っている。

栂池高原

2010-01-06 00:46:35 | PC画
 年末恒例の年賀状用のPC画を書き上げるとほっとする。「年賀状は25日までに…」というテレビCMに急かされながらも、仕事で疲れ果てた、就寝前の数時間では、思うように絵が進まない。ペンタブレットやレイヤーを使うと、もっと楽に描けるのだろうが、マウスで描くことに自分が拘っている。年賀状投函のデッドラインを28日と決めてから、26日は3時間、27日は5時間しか寝ていない。
 PC画は目への負担が大きいので、年に一度挑戦するくらいが丁度いい。(毎日PCでデザインの仕事をしている妻には頭がさがる。)
 
 この絵は昨年10月に長野へドライブしたときの栂池高原を描いたものだが、実際はリフトではなくゴンドラが運行している。風景画ではなくイラストのつもりなのでご容赦願いたい。ゴンドラといっても6名乗りの簡単な造りで、全長4120m、高低差743.5mを20分かけてゆっくり登るのでスリルがある。途中、71名乗りのロープウェイに乗り換えて、さらに全長1200m、高低差269mを5分ほどで登ると、そこが栂池高原で、10月初めで既に紅葉も最盛期を過ぎようとしていた。

名古屋城

2008-01-06 14:33:03 | PC画
 新年おめでとうございます。
 本年の初投稿は、今年の年賀状の絵です。PCで描いたもので、人物が少々シュールになっております。(絵と実物とは異なりますのでご了承ください。)
  
 昨年、名古屋に住む長男に良い御縁が出来、婚約挨拶を兼ねて、久々に妻と旅行した。息子とフィアンセの案内で、国宝の犬山城を見学した。名古屋は歴史上の名所が多く、次に訪れる時はどこを見ようかと迷うほどで、今後が楽しみだ。
 名古屋城は外から見ただけだったが、銅葺き瓦の天守閣と金の鯱が印象に残った。次はもっと近くから見よう。 
 
 

家族の要

2007-10-31 22:43:20 | PC画
 一昨年、私たち夫婦は銀婚式を迎えた。子供たちは気付かないだろうと思っていたが、さすがに女の子だけあって、娘から祝福のメールが夫婦それぞれの携帯に届いた。
 子供が小さい頃、家族の生活は私一人に懸かっており、私の収入だけで何とかやっていけるだろうと、根拠のない自信を持っていた。
 子供の成長につれ、家計を預かる妻の方が現実をわきまえていたようで、家計を助けるために、赤ペン先生の内職をしながら、ワープロをマスターしてスキルを積みあげ、自分で働き口を見つけてきた。今の天職に辿り着くまでの妻のバイタリティーには、私は頭が上がらない。
 結婚した頃のお嬢のどこに、こんな生活力のある芯があったのだろうと今にして思う。知らない間に、母親は家族の要になっており、それが家庭円満の基だろう。

宮島

2007-10-02 01:58:23 | PC画
 子供が三人とも県外に進学して、夫婦ふたりきりの生活になった。
 妻も仕事をしているので、空巣症候群におちいることはなかったが、お互いの休みが重なる日が、一年で数えるしかない。
 一人旅で、すばらしい景色や美味しいものに出会っても、妻と感動を共有できないのが淋しい。話題の九重夢吊り橋もいつか一緒にいこうと大事に取っている。 
 できたらタンデムツーリングで行きたいが、以前、南阿蘇で一度立ちゴケして以来、信用をなくしたようで、車しか受け付けてくれなくなった。
 旅先も、秋月、竹田、津和野、宮島など、渋いところが多くなった。

門司港駅

2007-08-01 02:16:18 | PC画
国の重要文化財の門司港駅。1913年(大正2年)3月16日、ドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテルの指導で着工し、翌年2月1日に竣工した。ルネッサンス様式で、ヨーロッパでは、石造りとなるところだろうが、なんと木造2階建てなのだ。第二次世界大戦の空襲によく生き残ったものだ。