――☆★さんぐ/撮速日記★☆――

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夕食

2006年10月07日 18時19分14秒 | Weblog
旅館の料理w。
普通だけど、疲れてお腹すいてたからとりわけ美味しかった。

冷酒で浦霞というのを頼んだんだけど、宮城のお酒なのに茨城のだと勘違いしてた(´ヘ`;)
旅館の人すいませんw。

こけし

2006年10月07日 17時19分06秒 | Weblog
鳴子はこけしで有名な場所らしく(日本こけし館というのも有るらしいです(行ってませんが・・・))、橋の欄干までこけしの形してたりますw。
写真は駅にあったショーウィンドーみたいな場所に飾ってあったこけしです。

"鳴子系(鳴子温泉・宮城)
首が回るのが特徴。首を回すと「キュッキュ、キュッキュ」と音がす"
るらしいので、しまった回しておくんだった・・・w。

足湯

2006年10月07日 17時09分09秒 | Weblog
 鳴子温泉に来ました。写真は足湯です。
 駅の傍に温泉があるし、共同浴場でホテルに泊まらなくても利用できたり、外から来た人でも使いやすい場所だと思います。ここは以前他の温泉に行って感じた寂れた感じがあまり無く、静かに活気のあるところでした。
 温泉宿は場所によってかなり違うような気がします。

鳴子温泉郷観光協会/宮城県鳴子温泉郷
鳴子温泉旅館組合
鳴子温泉歴史と由来
●鳴子の名のおこりは、一説には源義経が北行(源頼朝に追われて平泉へ落ちのびる途中)した際に、出羽の国で婦人が子供(亀若丸)を産み、この地に来て産湯をつかわせたところ初めて呱々の声をあげたことからくる「啼子」説や、承和二年(835年)に潟山が大爆発し、熱湯が轟音をあげて噴出したことから、村人が「鳴郷の湯」と名付けたとする説があります。

多賀城跡

2006年10月07日 14時17分58秒 | Weblog
多賀城跡です。(写真は再現模型)
城跡はほぼ礎石(建物の土台となり、柱を支える石)が残るだけの場所で、あまり面白みがあるわけではありませんが、
岩手(陸奥国)の多賀城は平安時代、まだ朝廷の統治が全国に及んでいない時期、
対蝦夷の前線基地として存在していました。(国境がここにあったイメージです)
724年に陸奥国に多賀城が築かれ、桓武天皇の時代に朝廷は東北地方へ権力の伸長を計り、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じて蝦夷討伐を行いました。
坂上田村麻呂は功績を上げ、この後盛岡あたりまでを勢力下に置きます。

※これは当時の朝廷側からの視点で書きましたが、蝦夷側をわるく言うものではありません。

特別史跡 多賀城跡
宮城県多賀城跡調査研究会
多賀城の成立について
多賀城碑(壷の碑)について(芭蕉庵ドットコムさん)

坂上田村麻呂「出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」

牛たん きすけ

2006年10月07日 12時37分15秒 | Weblog
仙台駅前、牛たんのきすけに行って来ました。
仙台といえばやはり牛たん。シンプルだけど、味も量も満足できる多さでした。

牛たんの老舗「きすけ」
牛タン(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

牛タンの由来
第二次世界大戦終了後、仙台にもGHQが進駐しました。この時、牛肉を大量に消費する米軍の使わない部位、タンとテールを活用した料理が考案されました。これが仙台の牛タン料理の元となっているようです(Wikipedia「牛タン」参照)