――☆★さんぐ/撮速日記★☆――

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かぐや姫の物語

2014年01月03日 23時22分05秒 | ipad
新年あけましておめでとうございます。
いつの間にか開けてしまいました。

正月2日は新宿でかぐや姫の物語を見ました。
原作に忠実で、非常に丁寧な作りで好感を持ちました。
雰囲気がとても良くて、線画で作るアニメの最高峰、なのかもしれません。
しばらくは感想を話したくないくらい浸れる映画で観て良かったと思いました。

映画と少し離れます。

原作の竹取物語ですが、この話を見て、改めて思いをはせると、凄い話だったことがわかります。
中世の世の中は、今の人が思っているようには地縁血縁から自由でなく、また宗教や世俗の権力やさまざまなしきたりから分離していません。だから、この物語を見るとすごいです。彼女が結婚したくない、または出来ないというのが予定調和で決まっているものだという限界はあっても(映画ではちょっと違いました)、時の最高権力者の希望ですら否定してしまうこの物語を書けるのはちょっとありえない感じです。さぬきのみやつこという、今で言う県知事が自分のつてを頼って娘の幸せを思い自分の栄達を考え、天皇の后となるというその時代のヒエラルキーでは頂点になるところまで話が進む、という男の夢のような話でありながら、それを全否定してしまえるというのが本当にその時代で出来たことをにわかには信じられない。

子供のころは、宇宙にかえる部分のみが気になって、かぐや姫宇宙人説とかアホな感想しか持ちませんでしたが、これはおそらく同時代の人々にとって画期的な思考の飛躍で、これを考えた人はやはり当世随一の書き手であると考えてしまいます。

そして書き手の気持ちについて。

最近では竹取物語は紀貫之の作ではないかと言われており、土佐日記を書き、任地先で娘さんを亡くした紀貫之の話、とすると非常に身につまされるものがあります。娘は天からの授かりもので、すくすくと病気もなく(おそらく娘さんの生きていた時間の間に)あっという間に成人してしまう。娘は非常に美貌で、天からの授かりものだから記憶も優れ何でも優秀、と想像は続き、やがて大臣や天皇の后というところまで達するのだ、と夢を広げます。しかし…娘さんはもう亡くなっているのです。生きていた短い間に、あっという間に成長していたらという想像を広げましたが、寿命というお別れの時間は近づいているのです。

もう、月に帰らなければいけません。

時の最高権力者の権威も、翁たちの懇願も、もう彼女には届きません。天女の衣という布をかけられたら、もう、娘とはお別れしなければならない。(なくなると顔に布をかけますが)そうなってしまったらもう娘は別人のように現世のことは忘れ、遠くの世界に旅立ってしまう。だからその非情さやるせなさが、この物語を千年も生き続けさせてきたのだと、映画を見ながら全く別にぼんやりと考えていました。

昔々の物語は原作を忠実になぞり、口伝えすることで伝承されてきました。口伝えのうちに作者の想像の部分(設定だけ存在する部分)は伝える人の経験で補われ、豊かな内容になっていきました。最近の創作は、ちょっと作者の想像が入りすぎる帰来があります。こうした誰もが知っている映画を原作に丁寧に作ってくれている作品を見ると、あらためてその良さに気付かされます。