レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)(1452~1519、享年67歳)
たけしの誰でもピカソ・緊急特別企画として、ダ・ヴィンチ・コード~天才のもう1つの謎という2時間特別番組を見てました。20日公開の映画、ダヴィンチ・コードの中にも出てくるモナリザの作者、レオナルドダヴィンチの特集です。(ダヴィンチ・コードは何と全世界で5000万部突破したそうです!)
★おおまかな流れ
父セルピエーロ、母カテリーナの間に生まれたレオナルドダヴィンチは、母が貧しい農家の娘であったことから、生まれてすぐ母から離され、父の元で育ちます。(実は父親は4回結婚していて13人も子供が・・・(汗))
14歳の時フィレンツェに引越し、絵の才能を認められ、ヴェロッキオの工房へ入り修行。
30歳でミラノに出ます。(ミラノに出たときには子供の頃から苦手だったラテン語と数学に苦しめられ、結局ラテン語はモノにならなかった、という逸話に、非常に親近感を覚えましたw)。
41歳の時にミラノで最後の晩餐を描きます。
63歳(1515)にフランス軍がミラノを奪回し、ダヴィンチはボローニャへ逃れます。
64歳(1516)の時、フランソワ1世の招待を受け、フランス アンボワーズへ。(晩年は右手が麻痺)
67歳で(1519)死去。
★ダヴィンチの言葉(または考え方)として印象に残ったもの
・ダヴィンチは自らを「経験の弟子」と呼びました。これは、さまざまな経験が自分を育て、画家として大きく成長させてくれた、という意味だそうです。
・「画家は万能でなければ賞賛に値しない、画家は常に自らが鏡でありたいと願う、なぜなら鏡は自然をありのままに映すからだ。画家も鏡のようにありのままを書かなければ立派な画家とは言えない。」
・何故画家は解剖学を学ぶのか、筋・骨・腱の関係を知ることが大事、だから。
・未完成の仕事をこんなに残して死ぬことに対して神と人類に詫びたい。
★モナリザは誰なのか
1、エリザベータ(ジョコンダ)説
・モナ・リザは、伝記作家ヴァザーリによってこう呼ばれるようになった。
エリザベータの愛称がリザであること、同時期に子供を亡くしていて喪服だったことなどがあげられている。
2、イザベラ・デステ説
・イタリアの小国、
マントヴァ侯夫人
イザベラ・デステの肖像と同じパーツをしていること、以前レオナルド・ダ・ヴィンチがこの国に立ち寄ったときに肖像画を基に絵画を描くことを約束している。
3、自画像説
・レオナルドの絵画は、名前と似た響きの小道具や背景(白テンやヒノキの木、など)で配されることが多かった。モナ・リザの胸の模様には、良く見るとイグサの紋様があり、イグサはレオナルドのDa Vinci≒vinchiと似た響きである、などの論拠がある。
★レオナルド・ダ・ヴィンチの手掛けた絵画(15点)
1、カーネーションの聖母
2、モナ・リザ
3、ジュネグラーデ・ベンチの肖像
4、受胎告知
5、ブノワの聖母
6、岩窟の聖母(ルーブル美術館)
7、岩窟の聖母(ロンドンナショナルギャラリー)
8、東方三博士の礼拝
9、最後の晩餐
10、聖ヒエロニムス
11、白テンを抱く婦人
12、聖アンナと聖母子
13、貴婦人の肖像
14、音楽家の肖像
15、洗礼者ヨハネ
このうち、2、モナ・リザ 12、聖アンナと聖母子 15、洗礼者ヨハネ は終生手元に置いて手放さなかったと言われています。番組では、この3枚の背景が、若々しい山(12)、右が若々しい山と橋(人間による構造物)、左が濁流と奇妙に崩れた山のようなもの(2) 漆黒の闇(15)を示し、これは、レオナルドが描いた予言(雨が山を崩しやがては陸地の全てが水の底に沈む)を絵にしたものではないか、という仮説を紹介していました。
★その他
レオナルド・ダ・ヴィンチの工房が新たに発見された(!)ということで、イタリアの海軍研究所に初めてカメラが入った、というのをやっていました。壁面を削っていたときに500年前のフレスコ画が出てくる、というのはさすがにローマとか、歴史の街イタリア、という感銘を受けました。