――☆★さんぐ/撮速日記★☆――

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川越散策_13

2007年01月27日 14時14分13秒 | Weblog
氷川神社で水の流れている場所に割り箸程の太さの柱に紐を渡して、白いひし形の紙が連なったものが下がったものが立っていました。
何だかミニチュアみたいで面白かったのですが、これは人形流し(ひとがたながし)という行事のようです。

この清水に人の形をした紙を流し、ここをくぐらせると、身体の穢れ等を払ってくれるそうです。

川越散策_6

2007年01月27日 12時21分24秒 | 散歩(京ぽん写真)
川越、三芳野神社です。
ここは、とおりゃんせの歌の発祥となった神社、と言われています。
詳しくは下記を参照してもらえればと思います。

これは昔から神社のあった場所に城が出来て、城の内部まで入らない
と参拝できなくなってしまったため城から出る一般客の中にスパイが
紛れこんでいないかを徹底的に取り締まったようです。
このため、唄にあるように、行きはよいよい、帰りは恐い、となった
ようです。

とおりゃんせ、とおりゃんせ。
ここはどこの細道じゃ?
天神さまの細道じゃ。
ちょっと通してくりゃしゃんせ。
御用のないもの 通しゃせぬ。
この子の七つのお祝いに
お札を納めに参ります。
行きはよいよい、帰りは恐い、
恐いながらもとおりゃんせ、とおりゃんせ。

自分の覚えている歌は確かこんな歌詞でした。


とおりゃんせ

三芳野神社
童歌「とおりゃんせ」は当社の参道が舞台といわれる。当社は川越城築城により天神曲輪に位置することになり「お城の天神さま」と呼ばれた。城内にあることから一般の参詣ができなくなったのだが、信仰が篤いことから時間を区切って参詣することが認められた。しかし、この天神さまにお参りするには川越城の南大手門より入り、田郭門を通り、富士見櫓を左手に見、さらに天神門をくぐり、東に向かう小道を進み、三芳野神社に直進する道をとおってお参りしなければならなかった。また、一般の参詣客に紛れて密偵が城内に入り込むことをさけるため、帰りの参詣客は警護の者によって厳しく調べられた。そのことから「行きはよいよい、帰りは怖い……」と唄われるようになり、それが伝わっていったものと思われる。なお、参道は江戸時代より若干変化している。