そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第35日 香美町  鎧駅へ

2009年03月19日 | 2008年日本海側の旅
5月15日(木) 晴 (「諸寄荘ユースホステル」~香美町・JR鎧駅)



8時30分、出発。昨日自動車に乗せてもらった地点まで行き、そこから歩数をカウントする。
諸寄海水浴場にある近畿自然歩道の案内板。


8時55分、昨年貫通したばかりの、新しくて広い歩道のある塩谷トンネル(219メートル)と、城山トンネル(549メートル)を続けて抜け、旧浜坂町に入る。合併により、今は新温泉町というなんとも無粋な名前になってしまっている。
9時10分~9時50分、マリンポーチという施設の横にある公園へ。昨夜洗ったものの半乾きだったタオル、靴下などを日光に当てて干しながら、スーパー開店までの時間調整を兼ねて休憩。
すぐそばの浜坂漁港にはイカ釣り船が停泊している。ホタルイカといえば富山県が有名だが、浜坂港はホタルイカの水揚量が日本一の漁港である。また、松葉ガニの水揚量も日本一。


近畿自然歩道の兵庫日本海側は、「但馬コースタルロード」とも呼ばれている。


遠浅の海水浴場のサンビーチもシーズンオフのため静か。


10時、新田次郎の文学碑には、加藤文太郎の伝記である『孤高の人』からの一節が刻まれてある。浜坂は、単独行で有名な登山家加藤文太郎の出身地。
「……
 観音山のいただきには寺があった。
そこから彼は、彼の故郷浜坂をしみじみと眺めおろした。
 眼下に岸田川が流れていた。
……」、と。


10時20分、大きな旗のような暖簾がかかったJR浜坂駅前を通過。


ここでちょっとした錯覚におそわれる。トンネルを抜けた後、山陰本線の線路を渡ったわけではないのに、この先が北口商店街という表示がある。今いる賑やかなところが南口の商店街として、この先で線路をわたるわけでもなさそうだし、本当に北口商店街があるのだろうか。おかしいなと思いながらも指示に従って歩いていて、ふと気づいた。自分が今いるこの賑やかなところが北口商店街の側なのだと。というのも、太平洋に面した街に住んでいると、自然と繁華な方が南側だと思い込んでしまうが、日本海側の街では概ね北側に漁港があり、当然北側が商店街などのある繁華街になるわけである。自分が今、日本海側を旅しているのだということを再確認した一場面であった。
10時20分~10時50分、スーパーにて今日の駅寝用食料その他の買い物。食パン、牛乳、オールレーズン、ミニトマト、から揚げ、煮豆、チキンラーメン、柿ピー、レトルトカレー、ビタミンC飴、コーヒー飴、バンドエイド、テーピング。牛乳だけ店頭で飲んで、すぐに出発。
11時05分、岸田川をわたる。


11時25分~50分、川の先の公園で食事休憩。ミニトマトをほおばりつつ、買ってきた食パンにから揚げや煮豆をはさんで、景色を眺めつつのんびりと食べる。
空は晴れわたり、水田に向こう側の小高い山が映って長閑である。あの山が観音山だろうか。ユキヤナギの花も満開だ。


食後は田植えをしている人の写真を撮りつつ178号線を進む。


12時05分、久斗橋先の交差点でしばし思案。今日は時間の余裕があるはずだと考え、海沿いの道を行くことに方針を転換。左折して山陰本線を越え、日本海を目指して行く。
50分ほど上り気味に行き、
12時55分、三尾(みお)トンネル(281メートル)をくぐって行くと、真っ青な海に緑の大島が浮かんでいるのが見える。


眼下に三尾漁港。なんとも夢のような海の色である。


13時10分、急な坂を下って三尾漁港に着く。バスの終点であり、車道はここまで。この先は「御火浦(みかのうら)漁火のみち」の遊歩道にかわる。今日もまた羊腸の小径のアップダウンを繰り返していくことになる。


13時分15、御火之浦の展望台へ。




大島をズーミング。


後鳥羽上皇の、「想いやれ憂き身を御火の浦風に泣く泣く絞る袖のしずくを」という歌碑がある。承久の変に敗れた後鳥羽上皇が隠岐に流される途中にここで詠んだ歌。


13時25分、遊歩道をしばらく行ったところで、「方面崩壊のため通行止め」の表示に出くわす。
これでは戻るしかないかと考えていると、ちょうど民家から出てきたおじいさんがおり、尋ねると行かれると言う。
判然とはしないものの、一応行って様子を見ることにする。
しばらく坂道を上っていくと大きな岩が半分ほど道をふさいでいる。これのことを指していたのだと了解。注意深く脇を通過する。
13時50分、「不老の水」という湧き水があり飲む。実に美味し。海側を見れば、嘴のような鋸岬。


14時10分、リアス式海岸を洗う白い波。


14時15分、新温泉町から香美(かみ)町に入る。
14時50分、最高地点を通過。伊笹岬が海に突き出ている。木々の間から、遠くに白亜の余部崎(あまるべざき)灯台、通称「御崎の灯台」が見える。


15時、灯台着。余部崎灯台は、「日本一高い場所にある灯台」という説明板があり、海面から光点まで284メートルもある。


灯台の下で、海を見ながら、鳥取砂丘の近くに住んでいるという老夫婦と話す。時々ここへ来るが、最近は黄砂がひどいので、春に海がこんなにきれいに見えるのは久しぶり、とのこと。歩き旅をしていると言うと、激励され、冷たい缶コーヒーをいただく。


その先の道はやや下り気味になり、さらにどんどん下っていく。
15時30分、平家伝承の里である御崎を通過。石垣に、「ミサキ ヘイケノサト」と花で書いてある。壇の浦の戦いで破れた平家残党が、命からがら流れ着き住み着いたと伝えられている。


16時、展望がきく地点で香住海岸線を振り返る。


右手がこれから向かう餘部(あまるべ)鉄橋方面。


16時20分、遠くに赤い餘部鉄橋が見えてくる。山陰本線が通る時刻かなと思って時刻表を見ていると、ちょうどやって来た。


鉄橋上を通過していくところを写真に撮る。


餘部鉄橋は高さ41メール、長さ309メールで、天空に聳え立っている。現在架け替え工事中で、残念ながら2011年にコンクリート橋に引き継がれることになっている。


香住地区の観光案内図。


鉄橋の真下を通り、「さようなら余部鉄橋 ありがとう余部鉄橋 香美町」というゲートをくぐっていく。


16時50分、日が傾きつつある。夕刻の水田を見ながら行く。


17時10分、バス停の分岐。左折して無人駅の鎧(よろい)駅方面に向かう。
坂道を大きく蛇行して下っていき、
17時40分、鎧駅着。1番線ホームの待合室が小さいながらもきれいで、しかも今年の3月15日からすべての列車が2番線ホームで発着するとの張り紙もある。どうやら今は使用しされていないようだ。今夜はここで寝かせてもらうことにする。駅は鎧港を見下ろす高台にある。


19時30分頃、すべての支度を終えて寝る体制が整った頃、漁港方面を見下ろすと、暮れゆく海上に漁火が灯りとてもきれいであった。


経費  2,188円     累計  129,759円
歩数  44,418歩    累計  1,604,197歩
距離  27km       累計  1,035km


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