そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第39日 舞鶴市  JR松尾寺駅へ

2009年03月27日 | 2008年日本海側の旅
5月19日(月 ) 曇のち雨 (「天橋立ユース」~舞鶴市 JR松尾寺駅)



7時50分、出発。
雨の予報が出ており、朝から湿気を含んだ風がやや強い。ユースホステルで朝食をとったため出発時間が遅くなったが、今日の行程は45キロを越える長丁場の予定。気合を入れていく。
8時、天橋立に入る。


内部の遊歩道は車両通行止。
右側に阿蘇海を、


左側に宮津湾のさざ波を見ながら松並木の中を行く。


時々、通学生の自転車が通るだけの静かな道を一人占めして歩く。


いろいろと名前がつけられた松が次々と出てくる。
見返りの松、


羽衣の松、


夫婦松、いずれも言いえて妙なり。


8時25分、天橋立神社


また、剣豪石見重太郎が父の仇討ちをした場所というのもある。


与謝野鉄幹、晶子夫妻の歌碑
「小雨はれ みどりとあけの虹ながる 与謝の細江の 朝のさざ波 寛」
「人おして 回旋橋のひらく時 くろ雲うごく 天橋立 晶子」


夫妻は1930年(昭和5年)5月に吟遊の旅で当地を訪れた、と案内にある。
78年前の同じ5月に、与謝野晶子がここに立ったことを思うと感慨深い。
こちらは天橋立大天橋から


ここの案内板には、
「よさの海の 海士のしわざと みしものを さもわがやくと 汐たるるかな 和泉式部」
「船をいで 十町が程 踏みたりし 白き真砂子の 橋立の道 与謝野晶子」。


天橋立南側の案内図。


天橋立公園概要(おさらい)


知恩寺山門。天橋立は、この知恩寺文殊堂の境内なのだそうである。


8時40分、天橋立を抜ける。実際に中を通って見て、まぁ率直に言えば、天橋立は遠くから眺める方が良いような気がするが。
お土産店街を通り抜け、国道176号線を宮津湾に沿って回り込んでいく。


9時10分、北近畿タンゴ鉄道宮津線の宮津駅を通過。
9時15分、宮津漁港を通ると、京都府が日本海に面した漁業の地でもあることに思い至らせられる。


9時50分、宮津湾を半周して、栗田トンネル(588メートル)を抜ける。
10時、宮津線がやってくる。


さらに曲がりくねった道を今度は栗田湾沿いに行く。岩壁が迫り、狭く見通しの悪い海沿いの道を、自動車が次から次へとやって来る。
1045分、「安寿ロマン海道」と書かれた大きな観光看板があり、
「春の夜はしずかに更けぬ はゆま路の並木のけぶり 箱馬車は轍をどりて 宮津より由良へ急ぎぬ 月落ちて闇の夜ぶかに 箱馬車は由良へとどきぬ 客人は車をおりて 西東みちに別れぬ 大正浪漫詩人 薄田泣菫」と、彼の詩「おもひで」からの抜粋が書かれている。


11時10分、コンビニで買い物と食事。牛乳、おにぎり2個、ガム2個。
11時25分、丹後由良駅を通過。
11時45分、北近畿タンゴ鉄道宮津線のガードをくぐり、由良川左岸を遡行して行く。道端に花菖蒲。


11時50分、安寿と厨子王の像がある。ここ丹後由良は、姉弟が長者である山椒太夫に売り渡され酷使された地である。


12時05分、舞鶴市に入る。


12時45分、赤く塗られた八雲橋を渡り、念仏峠に向かう。


坂を上っている途中でパラパラと来たが、しばらくすると雨は止んでしまう。
13時15分、峠のT字路で国道175号線に合流。そのままゆるやかに西舞鶴の市街へ下っていく。
13時55分、「道の駅舞鶴港とれとれセンター」に出る。道の駅では大陶器市を開催していたが、天候を考え立ち寄っていられず。


隣のコンビニで買い物をして先を急ぐ。牛乳、チョコチップスティック。
西舞鶴にて国道27号線の丹後街道に合流し、JR舞鶴線を見たりしつつ坂を上る。
15時、五老トンネル(180メートル)を抜ける。
15時20分、西舞鶴市街に出て、右折する歩道橋の道路標識は福井県が間近いことを示している。


舞鶴港の東港には海上自衛隊の艦船が停泊中。舞鶴は水産業とともに軍港の町でもある。


曳船(タグボート)3隻。


PGー825ミサイル艇「わかたか」。


15時45分、その先の赤レンガ倉庫群も観光スポット。






倉庫の写真を撮っていると再び雨が降り出し、大急ぎで雨具を着るが、しばらくすると止む。
16時15分、ドラッグスーパーで買い物。テーピング、カロリーメイト3個。
その後は、雨につかまらないうちに何とか松尾寺(まつのおでら)駅まで行こうとやみくもに歩く。
16時50分、スーパーがあり、安売りしていたので、明日以降のことも考えて食料を仕入れていくことにする。バナナ、ミニトマト、焼き鳥。
途中にあった「西国三十三箇所観音霊場二十九番松尾寺」の案内石標。



17時15分、またもや雨が降り出す中を歩き、JR小浜線の無人駅の松尾寺駅に着く。


その後また雨は止んでしまった。今夜はここで泊まらせてもらうことにする。
駅でJR小浜線を待っていた舞鶴工業高専の生徒3人と話。どんなことを勉強しているのか、卒業生の就職先はどこが多いのか、等々。ここも就職先は地元ではなく、大阪・神戸が多いという。こちらの旅の話になり、驚かれるとともに激励される。
いよいよあと2キロ足らずで福井県。京都ともお別れである。京都といえば、修学旅行等から観光の県というイメージばかりが強かったが、丹後半島の農業や、舞鶴湾の漁業など、京都府の第一次産業についても知ることができた。

経費  2,585円     累計  146,846円
歩数  62,578歩    累計  1,816,160歩
距離  45km       累計  1,175km


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