10月14日(金) 雨時々曇 (ドイツ村公園~吉野川市・川島橋へんろ小屋)―その1
○ 本日の参拝
第2番札所 日照山無量寿院 極楽寺 (御本尊:阿弥陀如来)
第3番札所 亀光山釈迦院 金泉寺 (御本尊:釈迦如来)
第4番札所 黒巌山遍照院 大日寺 (御本尊:大日如来)
第5番札所 無尽山荘厳院 地蔵寺 (御本尊:勝軍地蔵)
第6番札所 温泉山瑠璃光院 安楽寺 (御本尊:薬師如来)
第7番札所 光明山蓮華院 十楽寺 (御本尊:阿弥陀如来)
第8番札所 普明山真光院 熊谷寺 (御本尊:千手観音)
第9番札所 正覚山菩提院 法輪寺 (御本尊:釈迦如来)
第10番札所 得度山灌頂院 切幡寺 (御本尊:千手観音)
4時30分、起床するも雨。歩きの支度をして小降りになるのを待つがなかなかその気配もなく、5時30分、雨具を着用して出発。
暗い中を、車道を歩き、5時40分、第2番札所の極楽寺山門に到着。
本堂は正面の長く急な石段の上。日の出前でまだ暗く、デジカメは手ブレなり。
ようやく境内も明るくなってきた。
ここでは、暗かったせいもあり、且つ今日の先行きも気になって、大師堂にお参りせずに先に向かってしまった。本堂と大師堂の両方にお参りするものだということなど考えもつかず、大師堂の方は余裕があったらお参りすればいいものだろう、などと考えていた。無知である。(11月下旬に、88ヶ所を終えて1番の霊山寺へお礼参りをした際に、ここの大師堂へ寄ってお参りをし宿題をはたした。)
それと、納経帳については、今回は用意しなかった。いくつか理由はあるが、自分の行動パターンからして、納経所が開いている時間帯(7時から17時)に拘束されるのを避けたことが大きな理由である。但し、もう一度回る機会があれば、その時にはもっとゆとりをもって計画し、納経帳も用意してもいいかなと思う。、
次の札所金泉寺へ向かう野の道。国土交通省が定めた「四国のみち」は、このあたりは歩きへんろ道と重なる部分が多い。
左側に年月を経た古い道標、右に新しい道標。
6時50分、第3番札所の金泉寺山門へ。
本堂。
そして、大師堂。
これは、不動明王の化身といわれる「倶利伽羅龍王」。
8時10分、第4番札所である大日寺へ向かう途中にある愛染院(第3番札所の奥之院)。
少し先の路傍に、日本藍染文化協会が建てた「岩田ツヤ子の碑」。第二次世界大戦中に、食糧増産のため禁止作物に指定された一年草の藍の種を、憲兵警察の目を逃れて命がけで守り続けた・・・とある。徳島名産の「藍染め」の歴史である。
8時40分、第4番大日寺の山門。奥が本堂。
大師堂。
坂道を下ってくると、五百羅漢で再び強い雨。
9時40分、そのまま隣の第5番札所の地蔵寺へ。
本堂。
大師堂。
11時10分、第6番札所の安楽寺へ。
鐘楼門の入り口に、「商用、HPへの掲載を目的とした境内の撮影はご遠慮願います。」とあったので、デジカメは遠慮し、参拝だけにした。
11時50分、すぐそばの第7番札所の十楽寺へ。
この間、雨が降ったり止んだりする中を、へんろ道の赤いシールをたよりに、次々現れる札所を目指して見知らぬ道を進む。しまいにだんだん頭が混乱してきて、交差点で方角を間違え、8番の熊谷寺を飛ばして、9番の法輪寺に向かってしまい、途中で気付いて引き返したりする。
13時10分、第8番札所の熊谷寺の巨大な山門。この山門は、1687年の建立で、高さが13メートルもある堂々としたもの。江戸期の山門としては四国随一の規模だそうである。
多宝塔。
参道を通って、
熊谷寺の本堂。
大師堂は石段の上にあった。
(以下、その2へつづく)
○ 本日の参拝
第2番札所 日照山無量寿院 極楽寺 (御本尊:阿弥陀如来)
第3番札所 亀光山釈迦院 金泉寺 (御本尊:釈迦如来)
第4番札所 黒巌山遍照院 大日寺 (御本尊:大日如来)
第5番札所 無尽山荘厳院 地蔵寺 (御本尊:勝軍地蔵)
第6番札所 温泉山瑠璃光院 安楽寺 (御本尊:薬師如来)
第7番札所 光明山蓮華院 十楽寺 (御本尊:阿弥陀如来)
第8番札所 普明山真光院 熊谷寺 (御本尊:千手観音)
第9番札所 正覚山菩提院 法輪寺 (御本尊:釈迦如来)
第10番札所 得度山灌頂院 切幡寺 (御本尊:千手観音)
4時30分、起床するも雨。歩きの支度をして小降りになるのを待つがなかなかその気配もなく、5時30分、雨具を着用して出発。
暗い中を、車道を歩き、5時40分、第2番札所の極楽寺山門に到着。
本堂は正面の長く急な石段の上。日の出前でまだ暗く、デジカメは手ブレなり。
ようやく境内も明るくなってきた。
ここでは、暗かったせいもあり、且つ今日の先行きも気になって、大師堂にお参りせずに先に向かってしまった。本堂と大師堂の両方にお参りするものだということなど考えもつかず、大師堂の方は余裕があったらお参りすればいいものだろう、などと考えていた。無知である。(11月下旬に、88ヶ所を終えて1番の霊山寺へお礼参りをした際に、ここの大師堂へ寄ってお参りをし宿題をはたした。)
それと、納経帳については、今回は用意しなかった。いくつか理由はあるが、自分の行動パターンからして、納経所が開いている時間帯(7時から17時)に拘束されるのを避けたことが大きな理由である。但し、もう一度回る機会があれば、その時にはもっとゆとりをもって計画し、納経帳も用意してもいいかなと思う。、
次の札所金泉寺へ向かう野の道。国土交通省が定めた「四国のみち」は、このあたりは歩きへんろ道と重なる部分が多い。
左側に年月を経た古い道標、右に新しい道標。
6時50分、第3番札所の金泉寺山門へ。
本堂。
そして、大師堂。
これは、不動明王の化身といわれる「倶利伽羅龍王」。
8時10分、第4番札所である大日寺へ向かう途中にある愛染院(第3番札所の奥之院)。
少し先の路傍に、日本藍染文化協会が建てた「岩田ツヤ子の碑」。第二次世界大戦中に、食糧増産のため禁止作物に指定された一年草の藍の種を、憲兵警察の目を逃れて命がけで守り続けた・・・とある。徳島名産の「藍染め」の歴史である。
8時40分、第4番大日寺の山門。奥が本堂。
大師堂。
坂道を下ってくると、五百羅漢で再び強い雨。
9時40分、そのまま隣の第5番札所の地蔵寺へ。
本堂。
大師堂。
11時10分、第6番札所の安楽寺へ。
鐘楼門の入り口に、「商用、HPへの掲載を目的とした境内の撮影はご遠慮願います。」とあったので、デジカメは遠慮し、参拝だけにした。
11時50分、すぐそばの第7番札所の十楽寺へ。
この間、雨が降ったり止んだりする中を、へんろ道の赤いシールをたよりに、次々現れる札所を目指して見知らぬ道を進む。しまいにだんだん頭が混乱してきて、交差点で方角を間違え、8番の熊谷寺を飛ばして、9番の法輪寺に向かってしまい、途中で気付いて引き返したりする。
13時10分、第8番札所の熊谷寺の巨大な山門。この山門は、1687年の建立で、高さが13メートルもある堂々としたもの。江戸期の山門としては四国随一の規模だそうである。
多宝塔。
参道を通って、
熊谷寺の本堂。
大師堂は石段の上にあった。
(以下、その2へつづく)