そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

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四国の旅 第30日 今治市・青木地蔵堂へ

2012年08月23日 | 2011年四国の旅-1
11月11日(金) 小雨のち曇 (「ホテル エコ道後」~今治市・青木地蔵堂)

○本日の参拝
第52番札所 瀧雲山護持院 太山寺 (御本尊:十一面観世音菩薩)
第53番札所 須賀山正智院 圓明寺 (御本尊:阿弥陀如来)



5時15分、今日は星の浦海浜公園までの予定で、歩行距離は40km以上、よってまだ夜が明けないうちに出発する。出発直前に、雨が降り出し、とりあえずザックカバーと傘で行く。

暗い中を、道後温泉脇を通過し、護国神社や愛媛大学の前を直進。夜明け前のため、歩きへんろ道ではなく、分かりやすい国道437号線を行き、県道19号線、県道183号線と辿って、

7時15分、第52番札所である太山寺の一の門へ。


長い参道を通っていくと、二の門の仁王門。


さらに句碑が点在する参道を上っていく。

山頭火
「もりもりもりあがる雲へあゆむ」。


7時25分、一の門から20分ばかり登って、三の門。




後ろ側


本堂。




さすが国宝だけあって、大きな威厳のある本堂である。


大師堂。


鐘楼。


境内に、芭蕉の句碑、
「八九間 空へ雨ふる柳かな」。


朝のせいか、まだ参拝客はさほど多くはない。雨は降ったり止んだりする。

8時20分、第53番圓明寺へ。雨あがる。

仁王門。


境内。


中の門。


本堂と、


大師堂。


お参りを終えた頃、団体のお遍路さんたちがやって来た。

8時55分、堀江港。宇和島以来の久しぶりの海。


海はもう瀬戸内海で、小島が点在。




この後、県道179号線を北上する。


9時10分、五右衛門堂。


江戸時代の義民の供養塔。


左手に海、右手にJR予讃線。




9時30分、旧北条市(現松山市)小川にある粟井坂大師堂。


境内に句碑。


「しほひがた隣の国へ つゝきけり   子規
 釣鐘のうなる許に 野分哉      漱石 」。


「涼しさや 馬も海向く 淡井坂    子規」。


「淋しさや 鴫さへ逃げて うらの秋  春恕」。


その後、県道を黙々と歩いていると、高齢の夫妻に「お遍路さん」と呼び止められ、「有難いお姿に接することができて感謝いたします。」と言われて、「お接待」に500円をいただく。突然のことに驚き恐縮して、「南無大師遍照金剛」。

10時30分、西ノ下大師堂。


高浜虚子の像。虚子はこの近くで生まれ、幼時を過ごした。


虚子の句碑、
「この松の下にたゝずめば露のわれ」。


「道の辺に阿波のへんろの墓あはれ」。


境内の片隅に、小さな「阿波の遍ん路之墓」があった。




小休止をとっていたところ、車から中年女性が下りてきて、「これお接待です。」と、ミカン2個、アメ1袋、それと紙包みを差し出した。「南無大師遍照金剛」。
後で紙包みを開けると、中に500円硬貨が入っていた。

11時40分、鎌大師へ。




芭蕉塚。


吉井勇の歌碑、
「腰折の小燕子花はいちらしや いとしき人のなさけにも似て」。


境内の「ヘンロ小屋・鎌大師・第27号」にて小休止。


12時5分、峠まで上ると、浅海の街が見下ろせる。


里山の中をゆるゆると下り、


12時40分、ふたたび海へ。


JR予讃線。


12時45分、今治市へ。


さらば松山市。


ここは菊間町。


海を眺めながら、国道196号線を北上。


13時、砥鹿山トンネルを抜けると、


菊間漁港。


菊間は瓦の町。


製瓦工場が続く。




さまざまな瓦。










13時30分、途中に「お接待処」があり、ミカンとカエルのお守りをいただいた。「南無大師遍照金剛」。


13時40分、番外霊場の遍照院。


仁王門には瓦。






その後、コンビニにて食料調達。657円。

14時10分、前方に太陽石油の工場。


やって来た予讃線。


14時20分、太陽石油コンビナート。




工場横手の青木地蔵堂へ立ち寄ってみる。
青木地蔵堂の前の休憩所には、地元の人らしきいずれも高齢の男性2人と女性1人がおり、男性の一人が「ここは4時過ぎに到着した人でないと泊まれない」と言う。こちらはここで泊まる気は無く、この先の星の浦海浜公園までいくつもりなので、少し休ませてもらいたい旨言った。彼らから「お接待」として、ミカン2個、バナナ、菓子パン、ペットボトルなどをいただく。また女性からは、さっき作ったばかりという草餅をいただいた。「南無大師遍照金剛」。
その後、声をかけてきた男性(Hさん)と話をする。彼らはこの青木地蔵堂を自主的に管理しているようで、休憩所には職業遍路などは泊めないのだそうだ。Hさんは、歩き遍路のための宿泊地のネットワークをつくるのが夢で、そのための行動を始めている、とのこと。そして、話はHさんのこれまでの人生の曲折について、に移り、彼は話に夢中になり、こちらも興味深く聞いているうちに、気がつくといつのまにか夕刻になってしまっており、結局、「ここに泊まって行きなよ。」ということになった。

休憩所の中は、畳敷きで、電気もつくし、布団もある。野宿の予定が、一転、快適な泊りになった。


Hさんが帰った後、夕食、日記、家にメール、用足し(地蔵堂の裏手にトイレあり)をして、眠りに就く。朝が早かったので、一気に熟睡。

と、どこか遠くから小生の名前を呼ぶ声。目を覚まし時計を見ると8時過ぎで、こりゃ寝過ぎたかと思いきや実は午後8時。入り口にHさんが立っており、「さっき火を持っていないと言っていたから、寒いだろうと思って牛丼を買ってきた。食べなよ。」と言う。さらに先ほどのお婆ちゃんからと、缶コーヒーもいただいた。そして彼は、今後の善根宿をいくつか紹介してくれてからさっと帰って行った。

今日は実に「お接待」尽くしの一日。南無大師遍照金剛。

歩数 51,821歩 (累計 1,203,771歩)
距離 36km    (累計 830km)
費用 657円    (累計 118,003円)












































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