ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

1995年と2006年 その2

2005年12月27日 18時37分05秒 | Weblog
 1995年と2006年という曜日の一致からいくつかの問題を26日に書いたが、今回は2回目。阪神・淡路大震災は1995年1月17日おきた。そして2006年は耐震偽装問題が政局を揺るがすのか。
 
1995年の震災での被害と今回の分譲マンション居住者に対する公的支援では決定的に異なる。95年は個人保障はしなかった。このため崩壊したマンションのローンと、新たに住むマンションのローンの2重ローンで苦しむ人があとを絶たない。今回は公営住宅化確保や以遠票など、とにかく80億円の公的支援が決められている。

 行政なり法律は一貫性がないとその政府は信頼を失う。法に実効性では、憲法―条約の下位法である国内法は上位法に反していないのは当然である。法の支配、法の一貫性があるからだ。行政もそうだ。今回の処置は突然降って沸いた耐震偽装に弱り果てた住民に対して救いの手を及ぼすのは政府の姿勢としては評価できるいが、淡路・阪神大震災の時はどうだったのか。新潟中越地震の被害者はどうだったのか。建て替え費は支援対象ではなかった。ぜんぜん行政の一貫性がないではないか。

 アスべスト被害では法の時効を配して被害者に労災を適応する。当然だろう。アスベストの施策を今回にあてはめるなら淡路・阪神大震災も新潟中越地震も被害者は建て替えなどの公的支援を受けるべきだ。

 11年で時代が進化したということも出来るが、進化したということなら、政治の透明性が確実に人びとの前で展開されるかだ。
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