「2005年体制」という言葉た生まれた今年。無論、55年体制ではない新たな時代ということだが、55年体制崩壊は冷戦の崩壊ですでに終えているところだが、政治体制の変化が顕著になったのが2005年ということだろう。時代の変化をどう読むのか。その序論である。
今年は経済評論家(田中直樹さん)が「2005年体制」と名づけるほど社会構造がくっきり輪郭を異にした。「2005年体制」とは旧来の組織依存頼みの票田主義ではとても政治的勝利を得ることが出来ない政治的変化を遂げた体制に突入したことをいう。日経新聞でまず用語を田中さんが使った。
これまでの族議員が代弁する政治構造は55年体制で軌道が敷かれたことと関係をもつのだが、その政治構造が崩壊したーと田中さんは言う。この「2005年体制」という言葉はもうマスコミの社説にまで登場している(「日本経済新聞」12月30日)。
こうした状況下、高瀬淳一さん『武器としての〈言葉政治〉』という本が表れた。言葉を戦略的に使い有権者の支持を高め、新たな状況をつくる時代に突入したという著者の主張だ。小泉純一郎首相はその時代をかぎ分けマスメィアを大いに活用して自民が30議席に迫る勝利を収めたというわけである。
言葉を武器として政治を行う「言葉政治」。しかし、富裕層と貧困層の2極化というより、日本での貧困率が高い数字を示したのも今年なのだ(毎日新聞の注目すべき連載「縦並び社会」が12月30日から始まったが、貧困率が掲げてある。メキシコ、あめりか、とるこ、アイルランドに次いで5位だという。ただしアジア、中東、南ア、アフリカが表に現われていない)。
こうした状況下、高瀬淳一さん『武器としての〈言葉政治〉』という本が表れた。言葉を戦略的に使い有権者の支持を高め、新たな状況をつくる時代に突入したという著者の主張だ。小泉純一郎首相はその時代をかぎ分けマスメィアを大いに活用して自民が30議席に迫る勝利を収めたというわけである。
言葉を武器として政治を行う「言葉政治」。しかし、富裕層と貧困層の2極化というより、日本での貧困率が高い数字を示したのも今年なのだ(毎日新聞の注目すべき連載「縦並び社会」が12月30日から始まったが、貧困率が掲げてある。メキシコ、あめりか、とるこ、アイルランドに次いで5位だという。ただしアジア、中東、南ア、アフリカが表に現われていない)。
一方でアントニオ・ネグリが唱えた「マルチチュード」の概念が指示を広げている。それは主権が侵害される、希薄化するとみる反動化が右傾化による国家主義を台頭させているのに対して、国家主権に収斂あれない民衆(市民権をも排除された人たち)が世界を動かしていくという主張だが、主権と非主権のせめぎ会いは今後ますます大きくなるだろう。なぜなら貧困化の加速は「マルチチュード」を生み続けるからだ。
なににしろ「2005年体制」は、田中さんに言わせれば、社会的弱者で真に救済すべき対象者が絞られるという。この間の動向を見ていたら2005年に始まったわけではないし貧困率も1990年代半ばから顕著になっている。リストラにより企業生き残りは1990年代から始まっているからだ。だから2005年に始まったのではないのだ。ただ既得権勢力がしっぺ返しを受けたのが2005年であり(郵政族など)、自助社会という題目でギスギスした「勝ち組」「負け組」という用語が1人歩きし出しているのだ。
来年6月には憲法「改正」を巡る国民投票法案の可決予定を年表で示した新聞(産経新聞12月30日)をみて、少数政党にどんな力があるのか、主権の暴走を止める歯止めが憲法9条2項なのにと思うのは私1人だけではないだろう。
「2005年体制」という言葉た生まれた今年。無論、55年体制ではない新たな時代ということだが、55年体制崩壊は冷戦の崩壊で指摘されたところだが、政治体制の変化が顕著になったのが2005年ということだろう。時代の変化をどう読むのか。その序論である。
なににしろ「2005年体制」は、田中さんに言わせれば、社会的弱者で真に救済すべき対象者が絞られるという。この間の動向を見ていたら2005年に始まったわけではないし貧困率も1990年代半ばから顕著になっている。リストラにより企業生き残りは1990年代から始まっているからだ。だから2005年に始まったのではないのだ。ただ既得権勢力がしっぺ返しを受けたのが2005年であり(郵政族など)、自助社会という題目でギスギスした「勝ち組」「負け組」という用語が1人歩きし出しているのだ。
来年6月には憲法「改正」を巡る国民投票法案の可決予定を年表で示した新聞(産経新聞12月30日)をみて、少数政党にどんな力があるのか、主権の暴走を止める歯止めが憲法9条2項なのにと思うのは私1人だけではないだろう。
「2005年体制」という言葉た生まれた今年。無論、55年体制ではない新たな時代ということだが、55年体制崩壊は冷戦の崩壊で指摘されたところだが、政治体制の変化が顕著になったのが2005年ということだろう。時代の変化をどう読むのか。その序論である。
今年は経済評論家(田中直樹さん)が「2005年体制」と名づけるほど社会構造がくっきり輪郭を異にした。「2005年体制」とは旧来の組織依存頼みの票田主義ではとても政治的勝利を得ることが出来ない政治的変化を遂げた体制に突入したことをいう。これまでの族議員が代弁する政治構造は55年体制で軌道が敷かれたのだが、それが崩壊したーと田中さんは言う。この「2005年体制」という言葉はもうマスコミの社説にまで登場している(「日本経済新聞」12月30日)。
こうした状況下、であり、高瀬淳一さん『武器としての〈言葉政治〉』という本が表れた。言葉を戦略的に使い有権者の支持を高め、新たな状況をつくる時代に突入したという著者の主張だ。小泉純一郎首相はその時代をかぎ分けマスメィアを大いに活用して自民が30議席に迫る勝利を収めたというわけである。
言葉を武器として政治を行う「言葉政治」。しかし、富裕層と貧困層の2極化というより、日本での貧困率が高い数字を示したのも今年なのだ。一方でアントニオ・ネグリが唱えた「マルチチュード」の概念が指示を広げている。それは主権が侵害される、希薄化するとみる反動化が右傾化による国家主義を台頭させているのに対して、国家主権に収斂あれない民衆(市民権をも排除された人たち)が世界を動かしていくという主張だが、主権と非主権のせめぎ会いは今後ますます大きくなるだろう。なぜなら貧困化の加速は「マルチチュード」を生み続けるからだ。
なににしろ「2005年体制」は、田中さんに言わせれば、社会的弱者で真に救済すべき対象者が絞られるという。この間の動向を見ていたら2005年に始まったわけではないし貧困率も1990年代半ばから顕著になっている。リストラにより企業生き残りは1990年代から始まっているからだ。だから2005年に始まったのではないのだ。ただ既得権勢力がしっぺ返しを受けたのが2005年であり(郵政族など)、自助社会という題目でギスギスした「勝ち組」「負け組」という用語が1人歩きし出しているのだ。
来年6月には憲法「改正」を巡る国民投票法案の可決予定を年表で示した新聞(産経新聞12月30日)をみて、少数政党にどんな力があるのか、主権の暴走を止める歯止めが憲法9条2項なのにと思うのは私1人だけではないだろう。
こうした状況下、であり、高瀬淳一さん『武器としての〈言葉政治〉』という本が表れた。言葉を戦略的に使い有権者の支持を高め、新たな状況をつくる時代に突入したという著者の主張だ。小泉純一郎首相はその時代をかぎ分けマスメィアを大いに活用して自民が30議席に迫る勝利を収めたというわけである。
言葉を武器として政治を行う「言葉政治」。しかし、富裕層と貧困層の2極化というより、日本での貧困率が高い数字を示したのも今年なのだ。一方でアントニオ・ネグリが唱えた「マルチチュード」の概念が指示を広げている。それは主権が侵害される、希薄化するとみる反動化が右傾化による国家主義を台頭させているのに対して、国家主権に収斂あれない民衆(市民権をも排除された人たち)が世界を動かしていくという主張だが、主権と非主権のせめぎ会いは今後ますます大きくなるだろう。なぜなら貧困化の加速は「マルチチュード」を生み続けるからだ。
なににしろ「2005年体制」は、田中さんに言わせれば、社会的弱者で真に救済すべき対象者が絞られるという。この間の動向を見ていたら2005年に始まったわけではないし貧困率も1990年代半ばから顕著になっている。リストラにより企業生き残りは1990年代から始まっているからだ。だから2005年に始まったのではないのだ。ただ既得権勢力がしっぺ返しを受けたのが2005年であり(郵政族など)、自助社会という題目でギスギスした「勝ち組」「負け組」という用語が1人歩きし出しているのだ。
来年6月には憲法「改正」を巡る国民投票法案の可決予定を年表で示した新聞(産経新聞12月30日)をみて、少数政党にどんな力があるのか、主権の暴走を止める歯止めが憲法9条2項なのにと思うのは私1人だけではないだろう。
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