今や無残に身を削られた秩父の名峰、武甲山。秩父市街から見るその姿は、すでに登山の対象とは思えないほどに変貌している。以前の姿を知らない人なら、なぜこんな姿の武甲山が秩父の名峰と呼ばれるのかも分らないかもしれない。
山頂近くを大きく削られた武甲山
でもこの写真で見る武甲山の反対側は昔のまま。
南側から見る「無傷の武甲山」をまた見たくなって8年ぶりに、前回と全く同じコースで再訪しました。
登山口となる一の鳥居無料駐車場に車を止めて、午前7時半にスタート。
ひたすら登りっぱなしで結構キツイです。大杉の広場で小休止、水分を補給してまたひたすら登り。途中かなりぬかるんでいる箇所があり、靴がドロドロ。ここはアイゼンがあったほうが良かったくらい(笑) なんとか苦手な登りを耐えて山頂に到達しました。
一の鳥居
壱丁目石
二十丁目石
大杉の広場の大杉
三十五丁目石
なんか妙に微笑ましいですな(笑)
ぬかるんだ道
武甲山
秩父市街を見下ろす
武甲山を後にして南へ進む。武甲山の肩を過ぎ、一気に下って小持山との鞍部となるシラジクボへ。ここから再びキツイ登りで小持山へ。ブナ林を過ぎると小持山に到着。
小持山手前のブナ林
小持山
小持山に辿り着き、後ろを振り返るとそこにあるのは…
無傷の武甲山
緑に包まれ傷ひとつ無いピラミダルな武甲山。なんとも雄大で美しい!
この姿が見たくてここまで来たようなもの。しばし見とれておりました。
後ろ髪を引かれる思いで小持山を辞したあとは、ところどころに岩場の混じる稜線を登ったり下ったりしながらやがて大持山。大持山を下り、ブナやミズナラの混じる稜線を少し進むと大持山の肩に出る。ここはずいぶん前に樹木が刈払われて南側の有間山方面の眺めが良い。ここで昼食大休止。いつものごとくカップ麺におにぎり。食後にはコーヒー。のんびりと優雅なひとときを。…となるはずが、やたらとハエがうるさい(笑) あんまりのんびりとも出来ずにここを後にして、妻坂峠へと向かう。
大持山
ブナやミズナラの混じる稜線
結構なブナの大木も
妻坂峠への下りは最初のうちこそ歩きやすい道だが、やがて中央がエグれて土嚢で補修されている激下りへ。コケないように慎重に下ります。ここは膝に不安のあるハイカーにはつらい下りかも。土嚢道が終わればすぐに妻坂峠。モータリゼーションの波が押し寄せるまでは、名栗と秩父を結んだ重要な交通の要所。昭和初期の頃までは、ここを花嫁行列が徒歩で越えて行ったそうです。
ちなみに妻坂峠のいわれは、横瀬の生川に住んでいた畠山重忠が鎌倉へ出仕の折、妻がこの峠まで見送りに来ていたことから名づけられたそうです。まあウソでしょう(笑)
土嚢道
妻坂峠
妻坂峠を過ぎればあとは生川の一の鳥居へと下るだけ。古の生活道路であった峠道をひたすら下ります。
古の生活道路
峠道を下りきると一の鳥居。本日のゴールです。時間は午後1時15分。休憩込みで5時間45分の行程でした。ちなみに8年前は7時間かかりました。今日は特に急ぐこともなくのんびりと歩いたつもりですが、それなりにランニングの効果はあるようです(笑)
武甲山は40年前に父親と初めて登った本格的な山。その後ずっとご無沙汰で次に登ったのが8年前。それからは特に武甲山に登ろうと思うこともなかったんだけど、最近なぜかまたあの無傷のピラミダルな武甲山を再びこの目で見たくなって本日8年ぶりの再訪となりました。南面は以前と全く変わらず綺麗なまま。再訪したかいがありました。もっとも武甲山南面は石灰岩が採れないので今後も無傷のままなんですけどね(笑)
いずれ武甲山は、北側斜面が「削られた石灰岩の壁」となって採掘が終わるそうです。 その後はいったいどのように保存・活用されていくのか。地下に大地底湖があって、採掘が終わったら公開されるなんて話も聞いたことがありますが、たぶん単なるガセネタでしょう(笑)
秩父ロータリークラブのサイトに採掘される以前の武甲山の写真がありますのでご覧ください。(一番下までスクロール)
Googleフォトアルバムにオリジナルサイズの写真37枚をアップしました。
本日のコースレポはヤマレコでご覧いただけます。
こちらは高血圧で一時期走るのを抑えていたんですが、最近は問題ないレベルで安定してきたのでロング走やら峠走なども、またやりだしました。
すでに生活習慣病倶楽部の会員ですから、やり過ぎるとヤバいですがw
しかしもう五十路とは感慨深いものがありますな。
人生すでに3分の2が終わっているではないですかw
冥途の土産に瑞牆山でも行きませんか?
瑞牆山いいですなぁ~あの花崗岩の頂きに言ってみたいものです。7月行きますか!
瑞牆山は昔からずーっと行きたいと思っていたんですよ。ぜひ予定を組みましょう!