新勝庵

元サラリーマン、映画・読書・芸術好き。
おんとし 92歳 です。

ザ・ロープの会(2)

2010-08-22 13:39:42 | デジタル・インターネット

8月8日に書いた「亀船」は「ヨカトピア出展用に」韓国まで行って、復元船を

見て自分で設計(3~4隻も作ればオリジナルな設計もできる)して心魂を傾け

作ったので、 しまっておいたのを又持ちだして、床の間にかざっている。

玄関の靴入れの上に置いているのが・・・焼却を免れた「ラ・シレーネ」号

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「ラ・シレーネ」 長さ 90㎝ × 高さ70㎝ × 巾20㎝ 

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「展示会用ネーム」 会員の中に、一級建築士の人がいて、高級建築材料の

「赤樫」の木に銅板(エッチング)を貼り付けたネームプレートを作ってくれた。

 “ ラ・シレーネ ” 1750年フランスの軍艦。2層構造のフリゲート艦。 砲30

門で船首には ギリシャ神話の「サイレーン」が飾られている。

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船の前部門・・・上から

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船の後部門・・・上から

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左側面・・・大きな船体から、小さなキャビン・・ロープ張り・・・どこも神経を使って

作るが、一番難しいのが仕上げ「塗装」。

ペーパーで磨いて・・磨いて・・フエルトで木の艶を出し、最後にさーっと「クリアラッカー」

を塗ったように覚えている。

単純な船だけど・・細部に凄く気を使ったf船だから「焼かれずにすみ」今も我が家の

片隅で存在を保っているわけ・・・!!!。


ザ・ロープの会(1)

2010-08-21 12:36:00 | アート・文化

30年前リタイヤして子会社へ、かなりひまが出来た。

そんな時、岩田屋別館F6のギヤラリーで帆船模型展を見てアーッ これだ

ー!と即 入会「ザ・ロープ九州」帆船模型を作る趣味の会。

ヨーロッパでも“キングズホビー”といわれる、かなり高度な技術のいる格調

高い?趣味。 会員約40人、毎月一回例会があり、食事しながら・・今作って

いる船の製作具合や技術の情報交換・・・医者・大学教授から私の様な

サラリーマンから商店主・・幅広い多様な人達で年齢も様々・・だが同じ趣味

で話題は専ら船のこと・・・楽しかった。 そして年に一回岩田屋での作品展・・

40~50隻は集まった。

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(当時の様子・・PKB TVの取材)

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(会長の製作実演風景)

十年位在籍して船作りに熱中した。何隻作ったか十数隻?・・・丁寧に

作ると年一隻(まだ在職中なので土・日)多くて2隻・・。船は溜まるばかり

貰ってくれる人にはただで差し上げた、埃はつくし、置き場はなくなるわ

で・・・思い切って焼いてしまった。

作る過程が楽しいので・・出来上がったらもう興味は次の船に移って

いる・・・ので焼却する時もさほど惜しいとも思わなかった。


亀船

2010-08-08 15:27:18 | うんちく・小ネタ

私は行けなかったが、友人達が二泊三日で韓国東海岸沿いの桜名所巡りに

行きました。桜は四部咲きで残念だったそうですが、偶然「鎮海」で41日から

10日間だけ公開される海軍士官学校の祭りに遭遇し、運よく入れ、復元された

珍しい「亀船」を見る事が出来たそうです。

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「この写真はその時友人が撮影したものです」

私はその「亀船」には特別の思い入れがあり、話を聞いて驚きました。

実は、昭和64年のアジア太平洋博(よかトピア)に、当時私が所属していた

帆船模型同好会(ザ・ロープ九州)に対し、福岡市から帆船模型出品の依頼

があり、会で引き受ける事とし、私は珍しい「亀船」を作る事にしました。

その為私は釜山の少し西側の「麗水」に復元されている亀船を見に行き

「私流に設計」して約半年以上(当時はまだ在職中)かけて作りあげました。

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75cm×高さ(含む台座)70cm (絵をクリックすると大きくなります)

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これは、ヨカとピアのメインテーマ館(今の福岡市博物館)に半年間展示

されました。

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私の模型は随分“けばけばしく飾りましたが”本当は海軍士官学校の再現船

の方が実戦的で正しいです。

この珍しい形の舟は1593年から7年に亘る日本(秀吉軍)の侵攻の再、小島

の多い朝鮮海峡で、神出鬼没の作戦を行い、日本軍の補給路を断ち、朝鮮

勝利?をもたらした、「李峻臣将軍」の発明した軍船です。

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船体は全部厚い木で覆われ、屋根は全面針の山で切り込めない。亀の口から

は威嚇の黄色い煙を吐き、上の角窓からは矢を射る。下の丸窓からは(おおず

つ)を放つ。帆も張るが、一番下の穴からは数十本の櫓を出して漕ぐ。

十年以上仕舞い込んでいたこの模型を、久し振りに引っ張り出し再組み立て

て、今我が家の「床の間」に帰り咲いています。


七卿落ち

2010-08-02 19:41:40 | まち歩き

81日(日)NHK大河ドラマ「龍馬伝」で、竜馬が長崎から長州の高杉晋作

に会う為に、大宰府天満宮の「延寿王院」に行き(高杉晋作は不在だが)

盟友中岡慎太郎の紹介で三条實美ら都落ちした公家達と会うシーンがある。

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主役の竜馬・・・なかなかの好演技・・・・・・

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七卿の筆頭、三条實美から桂小五郎(のちの木戸孝允)宛ての親書を貰う。

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文久三年の政変・・・で公武合体派に敗れた攘夷派の公家達「三条實美ほか

六人」が密かに京都を脱出して都落ちする(七卿落ち)。その落ち先が大宰府

と云う事になっている。

私は八幡、黒崎、舟町生まれだから、舟町(江戸時代は結構栄えた港)に

七卿が密かに上陸して黒崎宿の「桜屋旅館」に匿われた・・云々の話は子供

の時から親族、先生から随分聞かされていて、よく知っていた。

話は・・変わるけど・・・!

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先日 知人と、在所宗像の原町ー旧・唐津街道筋にある,

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街道そば・・“たからい”と云うところでそばを食べた。

そこの座敷に三条實美の直筆の大き表装額がある。又西郷吉之助の

書もある。 昔は大きな造り酒屋で、有名人の宿泊客が多かったらしい。

で、8/1 のドラマを見て、七卿の足取りが分かった。

黒崎港に、密かに上陸した、七卿は、「櫻屋」に泊して、唐津街道の原町の

酒造屋で寛ぎ・・・大宰府に向かったものとうなずける・・・。

長崎 ~ 京 江戸は、長崎街道が普通だが・・・大村あたりから・・唐津街道

のコースも結構多かった事がうなずける(本道を避ける!)。