曼珠沙華(彼岸花科、お経の言葉を思わせるような名前)今年も忘れずに
白 や赤や黄色いのが沢山でもないが、ささやかに 咲いてくれた。
9月23日の誕生日の花。 花言葉は 「再会」 今日の一句・・・突き抜けて
天上の 紺 曼珠沙華・・・・山口誓子作。 なんと秋天に相応しい、いい句
でしょう!
NHKラジオ深夜便より、(眠れぬ夜や早朝目覚めた時、イヤホーンで聞いています・・・)
作詞 阿木耀子、作曲宇崎竜童 “ まんじゅーしゃか (華) ”山口百恵
ちゃん の歌は大好き・・・いまでも時々テープで聞いています。
田圃の畦や土手に群生する「彼岸花は毒花」と子供の時から聞かされて
いたので、美しいという感覚で見た思い出はない。
後年、色々、本なんかで知ったことだけど、
昔・戦乱や飢饉の続いた時、 草や木の皮まで食べ尽くしたあとは・・・
最後にこの彼岸花の根を掘り起こし、刻んで 晒し、晒して毒抜きして食
べて命をつないだ。とか
悲しかった大昔の<百姓達の命の遺産かな?
大関「琴欧州」のふる里「ブルガリア カザンラック民族舞踊団」
の公演を見て来ました。
どこの国であれ、民族固有の伝統舞踊はいいものですねー・・・
酪農農耕民族の仕事と村祭りでの娘との愛の出会い・・・多分
地味な作業姿の村娘達・・・かなー?
葡萄が実って・・・今年も美味しいワインが出来て幸せ・・・?
村の娘たちは・・・着飾って・
若者との出会い・・・ダンスを楽しむ・・・・
笛 太鼓 小さな弦楽器(変形ウクレレ?)バクパイプ(スコットランド
とは違う形?)
東欧の小国、歴史に翻弄された悲しい過去も多いが・・今はこじん
まり、それ並みに安定! ちょっと羨ましい様な気もするが!
日本は負けず嫌いな国だからこの種の平和は無理かな?・・独白
フラッシュなしの隠し撮りだから写真は良くないです。
病院で2時間の検査待ち時間が出来たので、時間つぶしに、確かこのあたり
に「濡れ衣塚」があった筈だから探してみようと、ぶらり出かけた。
場所は石堂川沿いの国道3号線の千代3丁目付近、うん十年?ぶり。大きく変
わった。3号線の上に2段の高速道路が通り、交差点信号の増えた事と車の数
に圧倒されて、お寺は見つけたが目標の「塚」は遂に見付けきらなっかった。
さて、そのお寺だけど。改めてなんて読むんだろー?「ヌレギヌ山松源寺」
ちとおかしい「ジュイサン・・・」かなー?・・ともあれ中に入った。
寺内は昼下がりの人っけのない「親鸞聖人」の銅像のある浄土真宗らしい 普通
のお寺です。静寂な箒の掃き後も綺麗な寺内を周ったが、「ぬれ衣由来云々・・・」の
期待した説明文の記載もそれとおぼしき立て札も一切なし。
手洗い鉢にも「山衣濡」と昔風に右から書いてはある。
多分“塚”は道路の立体化や拡張工事で撤去されたのかなー?と思いながら
帰った。が、どうも気になるのでINで検索したら「濡れ衣塚」は矢張りというか、
今もあるらしい(私が見付けきらなかっただけ!)
IN さいとの写真を借用したが、確かにこれだけど、小さくて暗く、よくみえない
ので、
又 勝手に「品原氏」の塚のスケッチを借用しました。
梵字三字の塚です。 「ぬれ衣を着せられた・・」身に覚えのない、無実の罪
を着せられた・・・ですが、この語源の発祥地であることに間違いない。
語源の由来は、随分古い奈良時代の出来事で「長話は書き切れない」大昔
の、要するに、後妻の継子殺しの “おどろおどろしい” 話で、殺された娘が
亡霊となってあらわれ、「濡れ衣の 袖より伝う涙こそ 長き世までの無き名な
りけり」と詠んだとか・・・・現代っ子に「濡れ衣」の言葉自体が通じるか???
上下を走る車の陰にひっそりとこんな昔話が今も眠っている。ということです。