新勝庵

元サラリーマン、映画・読書・芸術好き。
おんとし 92歳 です。

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ぎおん山1

2014-07-31 11:26:33 | うんちく・小ネタ

梅雨があがり夏休みが近づくと、近くの高円寺の広場で祇園

太鼓の練習が始まる。

私は九歳(昭和九年)。 小学校四年生、弾んだ太鼓の音を聞

くと、もう気はそぞろ  頭は山のことで一杯!

母が少しだけ小さくなった、糊のきいた「波模様に小若と書いて

ある」 はっぴ に 帯 はちまき、じきたび類を箪笥から出して、

お守りを貰って来て、はっぴに縫い付けてくれる。

八幡市黒崎町の 黒崎祇園山笠の甘酸っぱい、霞の彼方の

思い出である      井上陽水の「少年時代」を思いだす

当時、八幡市は官営(国営)八幡製鉄所のある、 日本一の

鉄鋼生産量を誇る煙都八幡と言われた、誇り高き町で、景気

も良かった。

山(山鉾)が始まると、まず青年達が担ぐ(動かす)、が思うよ

うに動かせない。 そこで各町内のかしら(頭)達が、学校に

子供達を帰してくれとお願いに来る。 校長も チョットだけ困っ

た顔はするが、OK。 (これは阿吽の呼吸のきまりごと)

授業途中の子供達は ワーッと一斉に家に帰り、はっぴ姿に

支度を整えて山引きに走る。  ー なんといい時代!か ー

小学校三年までは先走り、 四年生~六年生が担ぎ棒の先の

長い綱を引く。 青年が3本の棒を担ぐ(はて? 何歳から青年

だっけ? 多分18か19か)。その頃の私には棒を担ぐ青年は

皆大人にみえた。

山は確か五本(五町内)位立った。 その山がみな 我が家の

前を通る時は速度を落とし、大きく太鼓をならし大声で(当時

の冷やかし)で燥いで過ぎた。 それは、九歳上の姉が高等

女学校を卒業したばかりの評判の美人だったから(子供心に

それは確り記憶にある)

だが、そんな楽しい思い出ばかりではなく、あるとし、とんでも

ない事が起こった。

多分五年生の時か?私は皆と並んで山の綱を引いていた。

突然山の綱を引くな!と言う大声にびっくりして! 何があった

と振り返ると、走って行く大人の手に血だらけの子供が差し上

げられていた。 それは偶然占部病院の前だった。

彼は山に轢かれて即死だった! 組は違ったが学年は同じ

あまり親しくはなかったがM君だった。駆けつけたお母さんが

顔を覆って病院から出てくる姿も覚えている。

穢れた山は全部焼却され、翌年は船町は山は立てなかった。

その後、山は復活したが既に戦時体制に入り、前のような飾

り山ではなく、ささ{笹)山ばかりになった。

コメント (1)

ぎおん山2

2014-07-31 10:45:42 | うんちく・小ネタ

あれからX年ー79年「黒崎祇園」山は今もある(残っている)

祇園太鼓の叩き方は昔と全く変わっていない! 

鐘から始まって、細長い竹バチで鐘に合わせて小太鼓を打つ

次に大太鼓を太い丸木で打つ(腹に響く様な音がいい)。

山の動きに合わせて、というか 山を誘導する?本来戦太鼓

だから、緩急自在に調子を変える ・・・ 時にほら貝を吹き鳴

らす山もあり、聞くだけで血が踊る感じ ・・・・・。

2

今のは小ぢんまり ・・・ 高さが低い!

1_2

原型は矢張り「博多山笠」だと思う。博多は車はなく担ぐ。

こちらはそれに車を付けて、更に「やりだし」と云う動く飾り

を付け加えた。

3

二本(二台)の山が、町を行く様子 

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狭い「山の中」ここに、3~4人。鐘叩き、小太鼓打ち、

大太鼓打ち、更に時には「ほら貝」吹きが乗る。

5

55

やりだしは前後に二つずつあって、人形等が飾ってあって、

左右に動く(動くときは、ギーっと音がする)

昔は、今のより1,5倍位高かったよ様に思うが?

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風 蘭

2014-07-23 18:34:36 | うんちく・小ネタ

毎年この時期になると、 “ 風蘭 ” の事を書いている。

今年もまた、知らぬ間にこっそり咲いている風蘭の白い花!

可愛いと云うか、いたいけないと云うか、いとおしい可憐な

花に季節の移り変わりの速さを教えられる。

何十年?金木犀の下枝にぶら下げたまま、 まさに水は天

からもらい水状態なのに ・・・・・・

Fuurann1

根も幹も宙ぶらりんのままなのに、ちゃんと時期が来れば

 ながい枝の先に七本も白い花を咲かせる!

Fuurann2

光と 二酸化炭素と 水 でこの不思議ないとなみが続けられる

 自然の仕組みが不思議でならない?

 光合成の複雑な仕組みを知らないから ・・・・・

 来年も風蘭は確実に可憐な白い花を咲かせるだろうが、

 私は果たして ブログにまたこんな事が書けるだろうかなー?

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世界を魅了したポスター

2014-07-11 18:31:12 | アート・文化

東京オリンピックは1940年(昭和15年)に決定していたが、

戦争のため返上し、第二次世界大戦に入るわけだが、

1945年に日本は敗戦。

1954年(昭和29年)敗戦から9年目、オリンピックに立候補

し、その時はローマに破れた。

それから10年1964年(昭和39年)敗戦から19年、復興し

日本が再度トライし、四カ国中ダントツで東京オリンピック

決定した。

Photo

東京開催は白人以外の有色人国家としては初めての開催地

 

である。

 

 先日、TV番組「美の巨人」で当時のオリンピックポスターが

 

出来上がるまでの経緯・事情を詳細に解説していた。

 

当時私は39才で勤務地が丸の内だったので、雨の昼休み

 

はたいがい旧丸ビルの 一・ 二階商店街をぶらつく事が多か

 

った。 その時出来上がったばかりのポスターを、丸ビル内

 

で見た。 あの時の素晴らしいポスターに感激した事は今で

 

も覚えている。

1

ポスター 一号 (36年)

2

ポスター 二号 (37年)

3

ポスター 三号 (38年)

4

ポスター 四号 (39年)

 

 

この四枚が正式に決定した物で、世界中に展示され、世界の

 

人達を魅了した。

 

このポスターを欲しがるものが国内外で続出。 展示してあ

 

る銀行の飾り窓を割って盗んだとか? ・・・ 私も欲しかった

 

者の一人だけど!

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

因みに、 これまでのポスターは 例えば ・・・

1_2

1928年  アムステルダム

2_2

  1900年  パリ

 

 

大体、この種の常識的というか?アカデミック?なものが

 

多かった ・・・・

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

それに対し、日本のは常識を破って写真を採用。

 

それも真っ黒をバックに金を浮き出させ、然も力強い動き

 

を強調した、画期的な構図が皆の感動を読んだ

 

 

5

6

写真撮影には随分苦労したらしい!

 

白・黒・黄のアスリートが渾身の踏切でスタートを切った

 

瞬間の 一瞬!見事な三角 → 凍った動き?

 

今見ても、素晴らしいの一言。

 

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