外国人の大量人命救助に就いては近年まで全く知らされてない事が多かった。
1、 「杉原千畝」リトアニアの公司だった時、ナチスドイツのユダヤ人虐殺の難を逃れて、逃げ場
を失ったユダヤ人が、杉原公司の元に詰めかけた。
杉原氏は外務省の許可(外務省は反対)を得ず、独断で彼らにビザを発行した。 お陰で
シベリア経由で日本へ渡り、神戸・横浜からアメリカその他の国に渡り、生き延びたユダヤ人の
数は6,000人を超えると言われている。
外務省は一切この事を秘蜜にして来た(従って国民は知らない)が、近年救われたユダヤ人達
の杉原に対する感謝の行動(日本への墓参り)等によりオープンになり、皆が知るところとなった。
日本人の勇気ある美談として大いに誇らしい!(テレビドラマにもなった)
2、 今から90年前(大正9年頃)シベリアの極寒の荒野で彷徨っていた、765人のポ¥ランド人子供達
を日本赤十字社が 「ロシア革命に乗じて日本軍はシベリア出兵していた」 ウラジオから敦賀へ上陸、
手厚く処遇し健康を取り戻した
子供達を、客船にて遠い本国ポ^ランドまでスエズ経由で送り届けた。
・・・これはロシア革命とポーランドの不遇な運命で起こった事で、複雑でここでは書ききれない ・・・
これも日本人として誇らしい美談である。 詳細は http://shuchi.php.co.jp/article/1812
3、124年前トルコ「オスマン帝国」の使節団を乗せた「エルトウール号」が和歌山県
串本沖で座礁581名が死亡。 その時大島の島民が必死の救出に当たり、69名を
救出手厚く看護。その後日本の巡洋艦で丁重にトルコまで送り届けた話。
http://matome.naver.jp/odai/2136957767984439301
※ この三つの話は近年テレビでもよく取り上げられ(一部ドラマにもなり)先方の
国民からも感謝され、我々も日本の誇りとして認識している事件だ。
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※ ところが、極く最近90年間決して世に出ることの無かった事(実話)が明らか
になった。 「国が敢えて秘匿していた」
日露戦争直後、ロシア革命が起こり革命側(赤系)非革命側、ブルジョワや
地主側(白系)に別れるわけだが、シベリアに追われた白系のロシア人孤児800人が
路頭に迷う事が起こった、これをアメリカの赤十字社がウラジオまで救出して来て、
それから先の子供達の本国迄の移送を世界に呼びかけるが、応ずる国は無かった。
日本はまだ日露戦争が終わった直後で、国民は皆ロシアを敵視していた時代だから、
日本政府も無視。 その時、海運業界で活躍していた貿易会社の社長「勝田銀次郎」
がこれは人道上の問題として800人の命を見捨てる事は出来ぬ!として 苦悩の末我社
で引受ようと決断。 反対する社員を説得・・社員も社長の熱意に感じて同意する。
勝田社長が 私財数千万円を投じ、自社の貨物船を客船に改造、子供達800人をウラジオストック
に迎えに行き、日本で一旦上陸させ、日本人に馴れさせてから、乗船させた ・・・・・
危険で誰もなりたがらなかった船長に、勝田の男気に感じて敢えて船長を引き受けた、
茅野船長。
太平洋 → パナマ運河 → 大西洋 → バルト海 → 機雷原を徐行しながら慎重に運行、
目的地子供達の故郷、ペテルグラード(サンクトペテルグルグ)までの命がけの航海を無事
完遂した。
註) 他国が嫌がったのはこの地雷原があった為らしい!
2011年茅原船長のお墓を訪ねてて一人のロシア人女性が来日した事から、90年間世に出る事の
無かった事が明らかになった。
※ 国が敢えて秘匿したのは「勝田社長」が国民に非国民として糾弾されない為の措置だった
事も後で分かった」
◎ 単に「勝田」というだけで繋がりはないが、やはり同姓と言うだけでも凄く感激
し誇らしく思う!