新勝庵

元サラリーマン、映画・読書・芸術好き。
おんとし 92歳 です。

PC画水彩

2016-03-14 17:13:29 | アート・文化

私の所属するパソコン 教室  MPC ( 宗像パソコン同好会 )

は、とても ユニーク な  組織で、非営利の会員制度で、毎月

二千円の会費を払えば、火・木・土 の午後1時~5時まで いつ

来ても良い! 

皆が先生・皆が生徒 ・・・それぞれで得意なものを教え合う ・・

と云うか、 お互い勉強しあいながらレベルを上げて行く !! 

お陰で会員も ずーと 50名 を維持している。

この様なケースは全国でも少ないのではなかろうか?と自負し

ているが?

 ところで、私は繪が好きなので「ホト ドロー」と云う 古い

マイクロソフト社のソフトで繪を書いて来た。 過去何回かブロ

グ にも掲載してきた。

● 一年前位から同会の O さんに啓発されて、 私も「水彩」

ソフトを買い、O さんから習って、頑張っているが なかなか

上手く水彩の味 ( 素描淡彩 的)が出せず、 どうしても ネッチ

リした油絵風の仕上がりになってしまう。

● 水彩は難しい、一発勝負(修正が効かない) 油絵ならどう

にでも 変更、修正、描き直しが出来る(ごまかっしもきく)。

わたしの油絵はそんな 安直な動機もあつてか? ・・・・ 上達

しなかった。

でも、 私は私と 「水彩」を頑張ってはいるが ・・・ なかなか!

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  これは、我が敬愛する同好の士 O さんの作品 ・・・

 

2015 09 21大久保武彦のパソコン絵画集2


鉄の夜明け

2015-01-02 10:55:23 | アート・文化

12月30日の「西日本新聞に極めて珍しい写真が載った。

鉄の都、煙都八幡に生まれ育ち、後年縁あって M 社に入社、

コークスに関わる43年間を過ごした者として、この様な珍しい

写真が発見された事に驚いた!

 

 昔、鉄は朝鮮経由で「タタラ」時代から玉鋼として、日本刀でも有名

だし耕作、生活用具としても昔から身近な存在だった。 しかし ・・・

明治以降、日本が近代国家、工業国家として列強(西欧)に組みし

行くには近代製鉄技術でスチール(鋼鉄)の大量生産をマスター

以外にない。

 正に「鉄は産業の米」 or 「鉄は国家なり」。

岩倉使節団が見た、イギリスでの産業革命の実態!・・・何として

も追い付か無くてはならない・・・多分そう思ったに違いない!

  __________________________

明治23年(1900)「国家的一大プロジェクトとして、良質の鉄を作

「高炉」の建設に踏み切った。 それには良質のコークスが不可

欠だがその原料である、石炭の産地に近く。 尚鉄鉱石の輸入に

も水利の便に恵まれた、石炭を運ぶ遠賀川、鉱石の搬入、鉄の

搬出に便利な洞海湾、 正にこの八幡の地を置いて無い。 

こうして「官営(国営)製鉄所」が八幡の地に作られた。

 

之は、古い銀塩ガラス乾板が、デジタルデター化技術により誰だか

はっきり分かるようになった珍しい写真。

A は伊藤博文(総理大臣)B は井上 馨(元外相、伯爵)C は製鉄所

長官 D は平岡浩太郎(日本右翼「玄洋社」の創始謝 

E は、伊藤伝衛門F が麻生太吉(麻生太郎の曽祖父) G は安川

慶一郎(安川電気の創始者)他はドイツ人技術者、日本人技術者・・・

など ・・・

何と、そうそうたるメンバー! この写真の中に、日本の夜明け、

鉄工業の近代化の夜明けに対する、官民あげての熱意の程が読み

とれる

 

 

A が建設中の高炉(溶鉱炉)  B は 熱風炉(熱交換炉)と煙突

 

 

 

あれから、 114年。 紆余曲折あって、戦後の日本は質量共に

アメリカを抜き、世界一の鉄鋼生産国になった。

これは、いま世界遺産申請の声も聞かれている、あの前掲の写真

の高炉です。 1901 のプレートが付いています。

今は記念品としてお化粧し、空高く聳え立っています。正に “ 高炉 ”

高炉は鉄鉱石(酸化鉄)を還元して熔鉄を取り出す炉ですが、その

さい不可欠な材料が「コークス」です。

コークスを作る原料は良質の石炭(強粘結炭や弱粘結炭等)を

配合して、巨大な乾留炉で20時間以上掛けて(蒸し焼き)で作る。

 この技術もドイツから学んだもの。

最早、既に軽金属、プラスチック、複合体時代ではあるが、矢張り

ベースは鉄ではないだろうか!

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


世界を魅了したポスター

2014-07-11 18:31:12 | アート・文化

東京オリンピックは1940年(昭和15年)に決定していたが、

戦争のため返上し、第二次世界大戦に入るわけだが、

1945年に日本は敗戦。

1954年(昭和29年)敗戦から9年目、オリンピックに立候補

し、その時はローマに破れた。

それから10年1964年(昭和39年)敗戦から19年、復興し

日本が再度トライし、四カ国中ダントツで東京オリンピック

決定した。

Photo

東京開催は白人以外の有色人国家としては初めての開催地

 

である。

 

 先日、TV番組「美の巨人」で当時のオリンピックポスターが

 

出来上がるまでの経緯・事情を詳細に解説していた。

 

当時私は39才で勤務地が丸の内だったので、雨の昼休み

 

はたいがい旧丸ビルの 一・ 二階商店街をぶらつく事が多か

 

った。 その時出来上がったばかりのポスターを、丸ビル内

 

で見た。 あの時の素晴らしいポスターに感激した事は今で

 

も覚えている。

1

ポスター 一号 (36年)

2

ポスター 二号 (37年)

3

ポスター 三号 (38年)

4

ポスター 四号 (39年)

 

 

この四枚が正式に決定した物で、世界中に展示され、世界の

 

人達を魅了した。

 

このポスターを欲しがるものが国内外で続出。 展示してあ

 

る銀行の飾り窓を割って盗んだとか? ・・・ 私も欲しかった

 

者の一人だけど!

 

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因みに、 これまでのポスターは 例えば ・・・

1_2

1928年  アムステルダム

2_2

  1900年  パリ

 

 

大体、この種の常識的というか?アカデミック?なものが

 

多かった ・・・・

 

 

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それに対し、日本のは常識を破って写真を採用。

 

それも真っ黒をバックに金を浮き出させ、然も力強い動き

 

を強調した、画期的な構図が皆の感動を読んだ

 

 

5

6

写真撮影には随分苦労したらしい!

 

白・黒・黄のアスリートが渾身の踏切でスタートを切った

 

瞬間の 一瞬!見事な三角 → 凍った動き?

 

今見ても、素晴らしいの一言。

 


滝 純一

2014-06-25 17:06:35 | アート・文化

宗像市の「海の道むなかた館」に、福岡教育大学美術部名誉

教授 滝 純一 氏の作品が寄贈された。と市の広報に載って

いたので、早速見に行って写真も撮って来た。

作品はF200号(259cm×193cm)の大作3点他小品2点。

滝 純一氏は現在「二紀会」の重鎮で、過去留学もし、数多く

の輝かしい内外の賞も取っている知名度の高い画家で、私

も名前は早くから知っており、克つて美術誌などで、作品の

絵は見たことがあるが、実物を見るのは今回が初めて!

Photo

   題名「聖馬は眠る」 F200

Photo_2

     題名「Being  Silent 」

上部の黄色く見えるところは全部金色(金は写真では上手

く写せない)

Photo_3

    題名「記憶の刻」

重厚な中世的歴史(十字軍時代?)の重みを感じさせる

様な内容?だが ・・・・ よく見ると、単に油絵の具だけで

はなく、色々な独自の画材技法をおりまぜた、独特のマチ

エール(画材の効果)が珍しく素晴らしい!

特に好きではないが、大きさと歴史の重みと緻密な技法

が織り成す、特に 〝金” の効果を生かした画面に感動し

た ・・・ 。


紙の手提げ袋

2014-06-09 14:46:39 | アート・文化

博多大名2丁目にある「山本文房堂」は30年以上に亘って

 付きあいがあった。

油絵材料・木版画・エッチング材料 etc ・・・・

その山本文房堂の紙手提げ袋は堅牢で今でも時々利用し

ている。 そのデザインがシンプルだが画材店らしくユニー

クで好きだ。

2

これは、18人の有名画家達の作品に描いたサインを

デザインしたもの。

 はて、誰のサインか?・・・すぐ分かるものももあるが、

どうしても分からないものが多い。

 普通 絵を見る場合、サインまで注意して見る人はあま

りいないのではなかろうか!

 この中で私が分かったものは!

 これは一発で分かった。

Photo

キュピズム(立体派)の巨匠、あの有名な “ パブロピカソ ”

Photo_2

Photo_3

これは、エコールド パリ(パリ流派)の代表、

 “ モジリアニ ”  彼の生涯は、ジェラールフイリップの

「モンパルナスの灯」で映画化された。 

生前は殆ど売れずに困窮して早死にした ・・・・

Photo_4

“ ピエール ボナール ” この人も エコールドパリ に属する

だろう ・・・ 

Photo_5

この人は「日本画の影響を強く受けた人」と言われている。

Photo_6

 

         “ フェルナンド レガ ”

Photo_7

Photo_8

“ ジェームズ アンソール ” ベルギーを代表する画家

Photo_9

       _______________________________________________

※ その他は正確に読めない!というか、あまり自信が

ない。

 昔 (約45年前)、 「新制作派」の画家 “ 富岡惣一郎氏 ”

親交があったが、 その富岡さんが 「 サインが描けるよ

うになったら一人前よ」と言っていた。

 その時は意味がよく分からなかったが、 自分の絵に

自信の持てない絵のサインはサインが下手!絵にサイン

が馴染んでない、というか? サインを見ると絵の熟度が

分かるというか?富岡さんの言葉が今は分かる様な気が

する。

※ 富岡さんは歳は私よりだいぶ上だった。

彼の絵は独特の白を基調にした油絵で当時から(富岡ホワ

トと言われていた。  藤田嗣治の“ふじたホワイト”に似て

いる。

あの当時、サンパウロの国際ビエンナーレでグランプリを取

ったりしていた。

その後、新制作派の重鎮になり、故郷に美術館が出来たと

いうことは何となく聞いていた。

久しぶりに思い出してINで検索したら立派な美術館!

Photo_11

富岡さんはすでに20年前没したらしい ・・・・

http://www.pref.niigata.lg.jp/minamiuonuma_kikaku/1297886444450.html

 私の尊敬する最も身近な画家の一人でした!