新勝庵

元サラリーマン、映画・読書・芸術好き。
おんとし 92歳 です。

安倍総理の先祖

2015-01-19 11:00:40 | うんちく・小ネタ

NHK大河ドラマ → 宗像市大島の寺「安昌院」 → 安倍晋三総理大臣 →

繋り  ・・・・  はて、これは何の事でしょう?

 話は遠く 、約 930 年前の平安時代にまで遡ります。

当時東北地方に一大勢力を持った、 奥州藤原氏と安倍氏と、それを従属

させ収税しようとする朝廷と、朝廷の命を受け、従属懐柔に向い、尚 武家

の棟梁として、 この地に勢力を拡げようとした源氏が、 なかなかすんなり

と事が進まず、 13年間に亘って戦った歴史。

 

1、陸奥の豪族、安倍時と長男貞任(サダトウ)次男宗任(ムネトウ)と源

  の頼義と長男義家の九年間に亘る戦い。

  「前九年の役」

2、源の義家と同じく陸奥の豪族、清原一族の三年間に亘る戦い。

  「後三年の役」

 

この二つの長い戦いをテーマにしたNHK大河ドラマ「炎立つ」ホムラタツ。

が平成5年 ~ 6年に掛けて放映された。 なかなかの見ごたのある、面白

いドラマでした。 里見浩太郎・渡辺謙・古手川裕子 etc ・・・・・

 

        

 

     水色の所が大体の安倍氏の勢力範囲

「前九年の役」の時、父時と貞任・宗任は九年間に亘り善戦する

が、遂に厨川の城で破れ、兄貞任は惨殺されるが、 弟宗任は降伏

し、源の義家によって都に連行されて行く。

 

            「安倍の宗任」

 都に連行された宗任を公家達は、初めは奥州の田舎者と馬鹿にするが、

その博識と振る舞い、育ちの良さに驚いたと云う。

格式ある武将として、朝廷の罰は寛大で一族を引き連れての伊予(今の

今治)へ流罪となった。

 伊予三年滞在の間、復興の兆しが見えたので、再び九州太宰府の地に

流罪となるわけだが ・・・ 途中「筑前大島」宗像市大島町に上陸、ここを

終の棲家とした。

 

 

「宗像大社」の大宮司 宗像氏は宮司でもあり、宗像の地を所領とする

武将でもあった。 その宗像氏の日朝・日宋貿易に重要な役割を果た

したとも言われている。

宗任は、大島安倍一族の守り本尊として、薬師瑠璃光如来を安置する

「安昌院」を建立した。

 

  現在も残る「安昌院」(私が撮った写真)

 そして、宗任は1,108年77歳で大島で亡くなった。

 

 

 安倍の宗任の墓(私が撮った写真)

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 ※ 安倍の宗任の子供達とその子孫の行方

長男  安倍の宗良 は「大島太郎」として大島の棟梁を継いだ。

     その子孫の安倍任は、九州の剣豪として知られ、秋月

     藩の指南として仕えた。

次男  仲任は 薩摩の国に行った。

三男  季任は肥前松浦藩の娘婿となり、その子孫が源氏と争い

     (この成り行きは長いので省略)山口長門市油谷に流れ

     て元の安倍性を名乗った。

     その子孫が安倍真太郎で宗任から43代目の安倍晋三

     が総理大臣にまでなった。

     安倍一族の血を引く著名人はまだ可成いる! ・・・・・・

                                終わり

 

 

 

 


鉄の夜明け

2015-01-02 10:55:23 | アート・文化

12月30日の「西日本新聞に極めて珍しい写真が載った。

鉄の都、煙都八幡に生まれ育ち、後年縁あって M 社に入社、

コークスに関わる43年間を過ごした者として、この様な珍しい

写真が発見された事に驚いた!

 

 昔、鉄は朝鮮経由で「タタラ」時代から玉鋼として、日本刀でも有名

だし耕作、生活用具としても昔から身近な存在だった。 しかし ・・・

明治以降、日本が近代国家、工業国家として列強(西欧)に組みし

行くには近代製鉄技術でスチール(鋼鉄)の大量生産をマスター

以外にない。

 正に「鉄は産業の米」 or 「鉄は国家なり」。

岩倉使節団が見た、イギリスでの産業革命の実態!・・・何として

も追い付か無くてはならない・・・多分そう思ったに違いない!

  __________________________

明治23年(1900)「国家的一大プロジェクトとして、良質の鉄を作

「高炉」の建設に踏み切った。 それには良質のコークスが不可

欠だがその原料である、石炭の産地に近く。 尚鉄鉱石の輸入に

も水利の便に恵まれた、石炭を運ぶ遠賀川、鉱石の搬入、鉄の

搬出に便利な洞海湾、 正にこの八幡の地を置いて無い。 

こうして「官営(国営)製鉄所」が八幡の地に作られた。

 

之は、古い銀塩ガラス乾板が、デジタルデター化技術により誰だか

はっきり分かるようになった珍しい写真。

A は伊藤博文(総理大臣)B は井上 馨(元外相、伯爵)C は製鉄所

長官 D は平岡浩太郎(日本右翼「玄洋社」の創始謝 

E は、伊藤伝衛門F が麻生太吉(麻生太郎の曽祖父) G は安川

慶一郎(安川電気の創始者)他はドイツ人技術者、日本人技術者・・・

など ・・・

何と、そうそうたるメンバー! この写真の中に、日本の夜明け、

鉄工業の近代化の夜明けに対する、官民あげての熱意の程が読み

とれる

 

 

A が建設中の高炉(溶鉱炉)  B は 熱風炉(熱交換炉)と煙突

 

 

 

あれから、 114年。 紆余曲折あって、戦後の日本は質量共に

アメリカを抜き、世界一の鉄鋼生産国になった。

これは、いま世界遺産申請の声も聞かれている、あの前掲の写真

の高炉です。 1901 のプレートが付いています。

今は記念品としてお化粧し、空高く聳え立っています。正に “ 高炉 ”

高炉は鉄鉱石(酸化鉄)を還元して熔鉄を取り出す炉ですが、その

さい不可欠な材料が「コークス」です。

コークスを作る原料は良質の石炭(強粘結炭や弱粘結炭等)を

配合して、巨大な乾留炉で20時間以上掛けて(蒸し焼き)で作る。

 この技術もドイツから学んだもの。

最早、既に軽金属、プラスチック、複合体時代ではあるが、矢張り

ベースは鉄ではないだろうか!