私が相撲の事を? ・・・・ そうなんです ・・・ 日頃相撲はそそんなに
と云うか、 むしろ 家内や娘たちのほうが よく見ていた 。
〇 私は 昭和 63年 に 63才で完全退社したが、 それから も暫くは
東京に行けば、顔をきかせて 初台の社員出張寮に泊まっていたが、
次第にそれも行きづらくなり、 孫娘の計らいで 両国の国技館前の
「 P ホテル」を定宿にして久しい 。
〇 両国 ・・・ 思い起こせば 8 ~ 9 年前に遡るが、 本社の OB 会に
関連する事で上京、 P ホテル に泊まっていたが、 丁度 五月の
夏場所の最中で, 両国駅 から国技館は 相撲で一杯!! 駅入口
(エントランス ) では 相撲甚句の 「のど自慢」 をやっていたり、 相撲
グッズ 売り の屋台なんかで混雑 ・・・・・・
朝起きて、 暫くすると 窓の真下に見える国技館の 櫓 の上で 太鼓
がなっている ・・・・
ある日 早めにホテルに帰ったので 国技館前の雑踏の中へ行って
みた。 丁度 幕内力士達の場所入りで、フアンで混雑、 ボーット見て
いた私に 知らない おじさんが ほら! あんた あれが 今売り出 しの
栃ノ心 だぞ ! 行って 触ら してもらって!! と けしかけられた、
と、も う目の前に 付き人を 引き連れた 栃ノ心 がいる、私は 反射的
に 彼(栃ノ心)の腕に触った 瞬間 栃ノ心と目が合った が 彼は 少
し笑った (怒らなかった) ・・・ ただ それだけの事だが、 あの見上
げる程の 大男に 私は大いに 好感を持った。
あれから ずーっと 相撲 と云えば 「栃ノ心」の成績を気にしてきた。
三役まで登ったたり、数回の敢闘賞を貰ったり、 幕下に 落ちたり、いろ
いろあったが、
〇 長い たゆまぬ努力が、 前場所で花開いた!! 多くの人が予想
しなっかた、 「優勝」 ・・・・・・・ 私は嬉しかった!! 一人で祝杯
を上た !!!!
「栃ノ心」 ジヨージア 出身 ・・・ 192 cm 177 K g
もう一つ、 ジヨージア とは ソ連(ソビエット社会主義)時代の「グル
ジア共和国」で、首都は トビリシー で 黒海に面した 気候温暖 な
いいところらしい!!!
○ これは また、 別の話になるが、 私の 親友 の N 君 が、 見習士官 で
満州で シベリア 抑留 彼は英語がうまかったので すぐに ロシア語を覚え、
ソ連軍との通訳をしていたが、 思想的に 社会主義にかぶれ、 共産党員として
シベリアから はるばる 一ヶ月かけて グルジャまで行った らしい、彼は
復員して Y 製鉄に戻ってそれから ・・・ 彼は数奇な運命をたどる!が ・・・・・
(この話は置いて) そんなこともあり、 私は グルジア ジョージア には 関心
があった。
・・・・ ともあれ 頑張れ 栃ノ心 大関が見えて来た
相撲甚句