戦後日本を捨て、フランス人になった巨匠(画家)がいる。
「藤田嗣治」1920年代、フランスで成功した画家であり今
でもこの人を知らない人は少なかろう?
モンパルナスの花と持て囃され「サロン・ドートンヌ」で絶賛
された、傑作 「寝室の裸婦キキ」 は今でもパリの私立美術
館に飾られている。
独特の・・・乳白色の肌の色と・・・微細な線・・・この乳白色
の色が謎とされてきた。
キャンバスの地塗りをしているのを見た人はいない ・・・
多分真夜中にこっそりしてたのだろうと言われていた。
藤田が日本を捨てた理由は、パリで成功して帰国したあと
日米開戦になり、 軍部の要請を受け戦争絵(200号の大
作)を絵いた・・いや描かされた(当時の有名画家は皆戦争
画を描かされた、仕方がなかった)若い時私もそれを見た。
今でも何処かに所蔵されている筈 ・・・・・
ところが、終戦と同時に戦争中は黙して(何も言えなかった)
いた連中(知識層の一部・と特に共産党)と、迎合マスコミ
が ・・・ 何時の時代もそうだが、戦争画を描いた画家達を、
戦争協力者として、国賊扱いにし、猛烈なバッシングを始
めた ・・・ 藤田は日本人が嫌になり、再びフランスに渡り、
カトリックの洗礼を受けフランス国籍を取り、フランス人に
なり、日本に帰る事はなかった。 墓も愛するパリにある。
先日、TVで 「極上美の饗宴」 で、謎とされた乳白色の
〝 フジタホワイト ” の謎を解明した。
それは、「タルク」というもの、 滑石(ろうせき)の微粉末
・・ベビーパウダー(昔はてんかふん)をジンクホワイトに
上手く混ぜ込んだもの、 という技法だった。
知ってしまえば「ああそか」だが ・・・・・・・
フジタホワイトは作れても、あのふるえる様な微細な線は
ふじたでなくては描けない!!!
フジタはフランスの誇り ・・・・ 日本人の狭隘さをつくずく
感じさせられた。
生前藤田自身は、私は「日本を捨てたのではなく、日本に
捨てられた」と語っていたらしい。
「組織で仕事をする国」 それはそれでいいが、 やはり
出る釘を打つ国だなー!!!とつくずく思った ・・・