筑豊平成鉄道の「田川伊田駅」のすぐ裏手に「炭坑節」発祥の地で知られる
三井炭鉱の遺跡が残っており、あの〝 さぞやお月さん 煙たかろうー ” で有
名な巨大二本煙突も現存している。、そこに「石炭歴史博物館」があり、その
中に作兵衛さんの絵が数点展示されている。
決して上手とは言えないにしても、実感の籠った綿綿と描き溜められた(千点?)
絵は、もう炭鉱の実態を知る人が少なくなった今日、明治から昭和までのやま
(炭鉱)の炭坑夫の日常生活を知る極めて貴重な資料であり、私の好きな絵
の一つでもあります。
♪ 七つ 八つからカンテラ下げて 坑内下がるも親のバチ(罰) ゴットン ♪
今はもう知る人もない・・ゴットン節。
明治・大正時代の筑豊の石炭は「五兵太舟」と云う川舟で遠賀川を下り若松
港まで運ばれた。最盛期には5~7千艘もいて、大いに賑わったが・・・汽車
(筑豊線)が出来て、仕事を取られたゴンゾウ(石炭運び)が、この野郎・・と
恨めしそうに・・石炭列車を睨みつけている ・・・・
小山(規模の小さい炭坑)では男女混浴で ・・・ 湯が熱い・・の・・ぬるいのと
勝手気ままに文句を付けてうるさい ・・・ (絵をクリックして大きくして下さい)
この絵の面白いのは ・・・ 今、入ろうとする刺青入れた若い坑夫の視線の
先に・・・まさに逃げて風呂を出ようとする女の人の姿が見える ・・・・
「選炭場の女達」。ベルトコンベヤーで運ばれる塊炭の中のボタ(炭分を僅か
に含んだ石)を取り除く。捨てられたボタはだんだんピラミッド形に大きくなる。
ごく小さいやまは、夫(さきやま)が掘ったスミを女房(あとやま)が籠に入れ
て運び出す。子供は赤子を背負ってカンテラ下げて、やはり一緒にやまに行
く ・・・ 一家で働く。
" 縦坑三千尺・・下がれば地獄 ” 出水・落盤・ガス爆発・炭塵爆発・・etc
いつもやまは危険がいっぱい ・・・・
山本作兵衛さんはは「勲六等瑞宝章」を貰っている。 たしか天皇陛下にも
拝謁した事があった??のではないか(私の記憶間違い?) ・・・
田川市がこの三井炭坑跡地いっさいを含め・・世界遺産申請運動をしてい
たから・・これはその副産物???・・かな。何れにしろ、大変喜ばしい事。