新勝庵

元サラリーマン、映画・読書・芸術好き。
おんとし 92歳 です。

不毛地帯(Ⅲ)

2010-03-13 08:16:58 | テレビ番組

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シベリア抑留日本人死亡者は名前のわかっている人で4万人以上・・・

抑留場所(ラーゲリー)はシベリアからソ連本土と広範囲にわたる・・・

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極寒の中死んでゆく日本兵達・・・・

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ハバフスクのシベリア日本人抑留者の墓地

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壱岐は、自分の原点はこの地にある、果たして自分は死なずに帰国

して、一生懸命頑張ったが、本当に日本のためになる事をしたのか?

戦友達の墓碑の前で男なきする・・・・ (終わり)

Photo

「追記」 シベリア抑留から帰った私の友人が、帰国船で舞鶴港に上陸

して桟橋を降りた時、「御苦労さまでしたと戴いた “ 一杯のみそ汁 ”の

美味しかったこと!・・・あー帰ったと、あの時の味は一生忘れられない、

と言っていた。

 ここにひとつの歌がある 「ハバロフスク小唄」 この歌は今もジーンと来る。

もともとシベリア抑留の日本人が何となく現地で歌っていたものらしいのが・・・・

昭和24年それを「伊藤久雄」がラジオで歌って一挙に全国に広まった

1、ハバロフスク ラララ ハバロフスク  ラララ ハバロフスク

     河の流れは ウスリュー河

        あの山も この谷も 故郷を想いださせる その姿 

2、母の顔  ラララ 母の顔  ラララ 母の顔

     浮かぶ夜空に星が出る ただ一つ呼んでいる

        あの星は 遠い我が家の 窓明かり

3、 元気でね ラララ 元気でね  ラララ元気でねー

        やがて帰れる その日まで 今宵また会いに行く

          かわいいあの娘の まくらもと