BS‐2 で忘れていた往年の名画を次々見せてくれるのでうれしい。
今回は名作「人情紙風船」 監督の山中貞雄はこの映画を完成した直後召集
され、28才で中国で戦病死した。 たしか三本目の映画でこれが遺作となった。
入営当日の山中貞雄・・・と、後年の黒沢明。
黒沢明と同年齢だが、黒沢明が助監督の時、彼は既に監督で、“若しも”は
無いが! 彼が死ななかったら、黒沢明と日本映画界の二大巨匠となって
いただろうと、 その死を惜しむ人は多い。
昭和17年、封切り当時の「映画看板」 私が17才の時・・・・
(前進座のマーク)・・・多分今も使われているはず?
この映画は、前進座がアカデミックな歌舞伎の世界のしがらみを脱して創立し
た、皆若く一番輝いていた時代 の前進座 - 山中貞雄が全座員を起用した
画期的な映画でもある。
海野又十郎を演じる前進座・座長の「川原崎長十郎」、彼の長男が俳優の
川原崎長一郎(惜しまれて63才で早逝)
髪結い新三 役の「中村翫衛門」この人は長く名優で 大作を残した。長男
が「中村梅の助」その長男が「中村梅雀」この二人は現在も大活躍中・・・
左うしろのやくざの子分役が当時市川莚司・・・のちの「加藤大助」でこの
人は「沢村貞子」の弟で、現在活躍中の長門裕之・津川雅彦は甥にあたる
左が当時売れっ子女優の「霧立のぼる」・・もうこの人を覚えている人は少な
かろう・・・少し寂しいが、貧乏長屋の人情味あふれる映画。
ともあれ、映画は綜合芸術!「 映画って本当にいいものですねー! 」