行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

“古村落”を支える若者たちの伝統舞踊

2016-11-20 17:46:56 | 日記
泥溝村の各所にある張氏の祠堂を訪ねているうち、比較的大きな規模のものを見つけた。堂内の彫刻も精巧て、彩色のはがれ具合が歴史を感じさせる。当地の人たちは、我々のような外部の人間が足を踏み家れても、笑顔で迎えてくれる。客人は歓迎し、温かくもてなす。中国語ではこれを「好客(ハオクー)」という。

学生たちが熱心に取材するのに心を打たれたのか、主人が特別に祭壇の扉を開け、中の装飾を見せてくれた。特別なお祭りにしか開けないのだという。



分厚い漆塗りの戸がギイッと音を立てて開かれた。長い間、その中で止まっていたかのような時間が顔をのぞかせた。中央に位牌が置かれている。氏族の願いが込められた空間なのだ。役人が視察に来て、文化財としての保護をしたいと申し出てくるが断っている。政府の指定を受けたとたん、あれこれ注文をつけられて、自分たちのものでなくなってしまう。「あくまで我々氏族のものなのだ」との気持ちが強い。

地元の顔役が、地元に代々伝わる「英歌」という舞踏を見せてくれるという。氏族が集まったとき、祠堂の前で祖先に見せるためのものだ。若い男子10人ほどが集められ、祠堂の前で太鼓のバチを持って舞い始めた。太鼓は長老がたたくことになっている。女子は参加できない。だから氏族の伝統を守るため、どうしても男児の跡取りが必要となる。一人っ子政策が無視されるわけだ。





地元で最も歴史のある張氏本家の祠堂が舞踏の舞台だ。一通りの踊りが終わると、次は次男の家系の祠堂に行くという。踊りは長男、次男、三男それぞれの家系の祠堂で平等にやるのが決まりだ。兄弟は等しくなければならない。さもないと仲間割れが起きる。これもまた氏族の結束を守るため、長年にわたって守られてきた掟なのだろう。ギャラリーも等しくないと次男、三男の家系が面白くないので、我々にも付き合ってほしいということだった。

急速な都市化で農村が荒廃し、年寄りと婦女、子どもだけが残される問題が深刻化している。年々村ごと消滅する事例が多数起きている。若者が村に残り、宗族を中心とした共同体を受け継ぎ、伝統文化を継承しているこうした古村落は珍しい。それでも潮汕地区にはまだ古村落が多数残っている。海外で富を築き、故郷に還元して、子孫に教育を施す。根強い宗族社会のサイクルが何代にもわたって生きている。興味は尽きない。