中国の新聞学院(日本語で言えばジャーナリズム学部、メディア学部)が、党宣伝機関の凋落と、インターネット社会の挑戦によって岐路に差し掛かっていることはすでに述べた。新聞学院は時代の変化に応じた生き残り策を模索しているが、目前の就職を控え、即効的な対応を望む学生たちは、大学が依然、旧態依然とした記者養成カリキュラムを堅持していることに不満を持っている。
そこで数人のグループに分け、4年生たちを食事に誘った。授業では静かな学生も、少人数の場では人が変わったように話し始める。
「実際、ジャーナリズムには興味ない。医学部に入れないからやむを得ず来たんだ。
「お金のもうかるビジネスの方が面白い」
「新聞もテレビも、いずれは党に助けられて残るだけ。そんなところに行ってもつまらない」
こんなふうにはっきり言う学生もいれば、
「ジャーナリズムの理想を追い求めたい」
「記者はやはりあこがれの職業だ」
「ネットニュースだってプロのメディア人を求めているはずだ」
と、所期の夢を追い求める学生もいる。中にはしっかり者がいて、商学部の授業を合わせて受講し、簿記の資格まで取っている男子学生もいる。彼に聞くと、「就職を第一に考えなくてはならないから。ただ、直接、就職に役立たなくても、新聞学院の授業は視野を広げてくれるので役に立つ」という。先生たちが心配するほど、学生たちはひ弱でないということなのか。意外としっかりしているという印象を持った。
メディアではタブーとされていることも、彼ら、彼女らはたいてい知っている。どのような場で、どのようなことを言うべきか、どのようなことを言ってはならないか。小さいころから肌で感じ取っているようなところがある。もちろん歴史上の肝心なことを知らないことも多いが、少し話せば素直に受け入れる。自分たちが知らされていないことがあることを自覚しているからだ。そんな中で精いっぱい、自分の将来を模索しようとしている。したたかになるのも当然なのかも知れない。
多様な価値観を持った学生を前に、どこをターゲットにして授業をすればよいのか悩むが、ある女子学生がこんなことを言った。
「正直言えば、単位が欲しいから授業に出てるわけだけど、私たちは、役に立たない理論よりも、先生の物語が知りたい。例えば、先生を囲んで机を並べ、じっくり先生の経験を聞くような授業もしてほしい。ニュースを効果的に伝えるには物語性が大事だと、先生も言ったじゃないですか」
人間に関心を持つことは大切だ。次回は彼女の希望を取り入れた授業をしてみようと思う。私への関心が日本人、日本への関心につながることを期待して。
そこで数人のグループに分け、4年生たちを食事に誘った。授業では静かな学生も、少人数の場では人が変わったように話し始める。
「実際、ジャーナリズムには興味ない。医学部に入れないからやむを得ず来たんだ。
「お金のもうかるビジネスの方が面白い」
「新聞もテレビも、いずれは党に助けられて残るだけ。そんなところに行ってもつまらない」
こんなふうにはっきり言う学生もいれば、
「ジャーナリズムの理想を追い求めたい」
「記者はやはりあこがれの職業だ」
「ネットニュースだってプロのメディア人を求めているはずだ」
と、所期の夢を追い求める学生もいる。中にはしっかり者がいて、商学部の授業を合わせて受講し、簿記の資格まで取っている男子学生もいる。彼に聞くと、「就職を第一に考えなくてはならないから。ただ、直接、就職に役立たなくても、新聞学院の授業は視野を広げてくれるので役に立つ」という。先生たちが心配するほど、学生たちはひ弱でないということなのか。意外としっかりしているという印象を持った。
メディアではタブーとされていることも、彼ら、彼女らはたいてい知っている。どのような場で、どのようなことを言うべきか、どのようなことを言ってはならないか。小さいころから肌で感じ取っているようなところがある。もちろん歴史上の肝心なことを知らないことも多いが、少し話せば素直に受け入れる。自分たちが知らされていないことがあることを自覚しているからだ。そんな中で精いっぱい、自分の将来を模索しようとしている。したたかになるのも当然なのかも知れない。
多様な価値観を持った学生を前に、どこをターゲットにして授業をすればよいのか悩むが、ある女子学生がこんなことを言った。
「正直言えば、単位が欲しいから授業に出てるわけだけど、私たちは、役に立たない理論よりも、先生の物語が知りたい。例えば、先生を囲んで机を並べ、じっくり先生の経験を聞くような授業もしてほしい。ニュースを効果的に伝えるには物語性が大事だと、先生も言ったじゃないですか」
人間に関心を持つことは大切だ。次回は彼女の希望を取り入れた授業をしてみようと思う。私への関心が日本人、日本への関心につながることを期待して。