行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

中国に残る“古村落”支えるのは華僑と教育

2016-11-19 12:24:43 | 日記
先週末、大学の公益授業の一環として、教員と学生約50人で広東省普寧市の泥溝村に出かけた。汕頭大学からバスで2時間足らず。新聞学院の中継チームも同行し、現場からネットで村を紹介する動画を発信した。こうした生中継動画による情報発信は、中国のネット空間で急速に広まっている。地方文化の継承と現代メディアを兼ね合わせた試みだ。私は、潮汕地区に色濃く残る伝統文化に興味をひかれた。





着いたのは朝だった。食堂で朝食をとる人たちがいる。何人かの学生を誘って中へ入った。「粿条」(guotiao グオティアオ)と呼ばれる潮汕地区の代表的な主食だ。米を練って麵のように伸ばした粿条に、肉や野菜をまぜ、炒めるものとスープで食べるものとの2タイプがある。ライスヌードルと呼ばれる「河粉(フーフェン)」は米以外のものが入るが、粿条は米がほぼ100%だというのが、地元の人々の説明かつ自慢である。冷凍の肉は食べない。新鮮な素材で、あまり調味料を入れずに食べる。だから薄味で、日本人の口にも合う。

「潮汕人は、旅行でしばらく地元を離れた後、戻ってきて必ず食べるのがこの粿条なのです」と、地元出身の学生が解説してくれた。朝食でも昼食でも、夜食でもどんな時でも不可欠なのだという。料理と文化は分かちがたく結びついている。



祠堂(ツータン)と呼ばれる、祖先を祭る社が多くある。氏族の系列ごとに設けられている。本家、その次男、三男とそれぞれ祠堂がある。泥溝村には「張」の姓が最も多く、人口の8割を占める。驚いたことに、人口2万人足らずだが、タイを中心に東南アジアに8万人の泥溝出身華僑がいるという。祠堂には、タイで成功を収めた張氏の末裔がタイ国王と一緒に写っている写真まで飾られている。

毎年、旧暦9月9日の重陽の節句には、世界から氏族が戻ってくる。正月の春節には戻ってこなくても、重陽は必ず一同が会する。それがしきたりなのだ。集まればみなが稼いだ金を寄付として出す。祠堂の維持、修復には費用が必要だ。そのほか、寄付金は子どもたちの教育費に充てられる。家が貧しくて進学できなくても、氏族からの援助がある。学問を積ませ、人を育てることは、一族の繁栄にとって最も重要だと考えられている。人こそが財産なのだ。

ある祠堂に書いてあった。



どんな異郷にあろうとも、祖先を恭しく祭ることを忘れてはならない。



どんなに頭の出来い子どもであろうと、儒教の経典は読まなければならない。

人が財産である以上、国の一人っ子政策とは対立する。だからここでは各世帯にたくさん子どもがいる。国の政策よりも、氏族の繁栄が優先される。王朝の交代によっても微動だにしない宗族社会がここに残っている。それは長い歴史の中で継承されてきた庶民の知恵である。

(続く)