行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

授業の「代返」ではなくて「代理」でやってきた学生

2016-11-16 20:42:41 | 日記
文化が違うといろんな出来事に遭遇する。3、4年生を対象にした今日の授業「ニュース事例研究」で、ある4年生の女子が事前に欠席届を出してきた。半年間、休学をして農村でボランティア活動に参加し、今秋から学校に復帰している。将来は農業の世界で仕事したいとの夢がある。学内の自主イベントにも熱心に取り組んでいる活発な学生だ。

やむを得ぬ事情で欠席する場合は、きちんと事前に理由を説明するようにと、最初の授業で決めてある。だが守らない学生が非常に多い。点呼はとらないと宣言しているので、わからなければいいと高をくくっているのかも知れない。彼女はその点、社会常識を身につけている。外の世界を見てきた経験によるのだろう。私も、彼女が講演会など課外の活動をするときは時間の許す限り参加し、支持をするようにしている。そんな義理を感じていることもあるのかも知れない。

だが驚いた。授業開始前、見慣れない1年生の女子が入ってきて、こう言ったのだ。

「××さんに言われて、今日は代わりに出席します」

そして、日本語で、

「よろしくお願いします」

と。

代返というのは聞いたことがあるが、代理というのは初めてだ。彼女が得意げに笑っている様子を思い浮かべた。

本日の授業のテーマは、中国中央テレビ(CCTV)の春節大晦日人気番組「春晩」で一昨年話題になった、コントの「女性蔑視表現」をめぐるメディア論だ。「男勝り」「剰女(結婚に行き遅れた女性)」「デブ」などのステレオタイプが、女性人権論者からネットでの批判を受けた。中国でもセクハラ、性差別が徐々に社会問題となってきている。建国後の社会主義建設の中で、女性の解放という観点から男女平等が徹底されてきた経緯があるが、農村部をはじめ多くの地域ではなお伝統的な男女観が根強い。それが都市化の中で世代間、各集団間の衝突を生じ始めている。

男女学生2人の研究発表の前に、私が日本の多様な「かわいい」文化と、そこに隠された性別問題、さらには日本のメディアにおける同性愛者の社会的地位の変遷について話をした。すると代理の1年生が、

「『かわいい』と『わいそう』は同じ意味があるのですか?」
「日本の映画で、日本では『おかま』に全く偏見がないと言っていたのですが、本当ですか?」

と次々、質問を浴びせてきた。「おかま」に至っては、質問の前、自分のノートに書いたのだろうか、ひらがなで「おかま」と書いてあり、中国語で質問した際も、この言葉だけは日本語を使った。教室が、珍客の活発な発言に沸いたことは言うまでもない。あやうく授業の本筋から外れそうになったので、休み時間にじっくり話し合うことにした。

私にとっては、奇抜な1年生の言動もさることながら、彼女を代理に送ってきた4年生の発想に興味を持った。社交のパーティーや特別招待のイベントなどでの代理出席は珍しくない。だが大学の授業では聞いたことがない。本人に「なんで代理を送ったのか?」とチャットで聞いてみると、「先生の俯仰には隠れたファンが多いのですよ。彼女にチャンスをあげたんです」と返ってきた。

月に気を取られ過ぎたのか。きつねにつままれたような気がした。