行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

11月11日は「独身」を口実に交流する日

2016-11-12 15:51:45 | 日記
昨日は11月11日。「1」が四つ並ぶことから、独り者の記念日=「光棍儿節」(グァン・グアール・ジエ)と呼ばれる。「光棍」は辞書に「ならず者」「無頼漢」とあるが、「儿(er)」がつくと独り者に転ずる。記念日はもちろん正式なものではない。若者が数年前から面白がって言い始めた習慣がたちまち広まり、知らぬ者のないほど有名になった。当初は主として恋人や妻のいない男子を指していたが、今では女性たちも平気で「光棍儿節をお祝いしよう」と気勢を上げる。

11月11日はまた、日本でもかなり知られるようになったが、中国のネット通販大手各社サイト、「淘宝網」(タオバオ)や「天猫」(Tmall)を抱える「阿里巴巴」(アリババ)がこの記念日に便乗して大幅な値下げセールを展開する。年々売り上げが増え、昨日は1日だけで2兆円近くに達した。11日の午前零時を過ぎたとたん、一斉に購入をクリックし、在庫限定の格安品を奪い合う。割安感にゲーム感覚も加わり、全国人民が参加すると言われるほどの活況だ。

ネットビジネスの拡大は、党中央が進める経済ソフトパワー化の重要な柱で、国策にもかなっているため、今後もますます広がるだろう。一方、店で買い物をせず、家の中にいながらネットてあらゆるものを手に入れる「お宅文化」を嘆く声も聞かれるようになった。人とのコミュニケーション能力が低下すれば、ますます「光棍儿」は増えるに違いない。

もっとも「光棍儿」はすでに「孤独」や「売れ残り」といったマイナスイメージを脱し、自由、独立、自立といった前向きな価値観を帯び始めている。先日、「剰女」をテーマにしたSK-Ⅱ広告で触れた通りである。

昨晩、クラスの女子学生からチャットで連絡を受けた。

「校内の広場で独身の集まりを開くから、先生も顔を出して!」

単身赴任の私を気遣ってくれたのだろうか。「若者のパーティーを邪魔するつもりはないよ」と返事すると、「独身は口実だけで、みんなで交流し、楽しむだけの場だから、気にしないで」という。午後9時を過ぎたころ、地面に簡単なテーブルセットを作り、シートを敷いて宴席を用意した写真が送られてきたので、見学に行ってきた。



日本で言えば、花見のような感覚だろうか。カクテルやビールの瓶が並んでいる。ウクレレの演奏もある。こちらの大学はほとんどが寄宿制なので、帰路を心配する必要も全くない。学校の敷地自体が生活空間なのだ。とはいえ、大学の校訓を刻んだ碑の前で、堂々と輪になって酒席を設けるのは大胆である。型破りなスタイルに好感を持ち、腰を下ろさせてもらった。

入れ替わり立ち替わり、女子は10人前後いるが、私を除き、男子は2人だけ。興味深げにのぞいていく知り合いの男子に女子が声をかけるが、苦笑いを浮かべ過ぎ去っていく。日本とはむしろ男女の立場が逆転しているのではないかと感じた。

学部もジャーナリズムから法学、芸術、医学と様々だ。初対面も多いのでみながまず自己紹介をする。せっかく独り者の記念日なのだから、それぞれの恋愛体験を打ち明けようということになった。これは日本と変わらない。だがそれほどの経験があるわけでもない。小学生、中学生時代の淡い思い出。高校時代に告白されたが、受験があるので相手にしなかったらその男子の成績がガクンと落ちて申し訳ないことをした、なとどいった他愛のないものだ。

学校生活の不安や不満も出てくる。医学部の女子は、中国では医者の地位が低く、両親も将来の進路を悲観しているとこぼした。患者に医者が殴られ、医者が報復としてメスで切り付ける事件も起きている。授業では「決して医者は手を出してはいけない」ということまで教えられる。それでも命を救う仕事に生きがいを感じているのだという。社会の構造が大きく変動し、価値観が混乱している中で、必死に自分の道を探ろうとしてる若者たちがいることを実感した。

私が日本人とわかったところで、話題は急に日本に移ってしまった。一緒に写真を撮ってくれという学生もいる。来年、京都に行くのだけれど、何を見たらいいのかと尋ねてきた女子は、日本語の授業をとっていて、自己紹介で「ぼくは・・・」と言って先生に注意されたと話してくれた。アニメの影響で知らず知らずのうちに耳が覚えているが、中国には言葉の男女差がないので文化の違いに気が付かなかったのだ。漢字伝来の歴史から、日中の初対面のあいさつの違い「握手とお辞儀」などに話題が及んだ。、

気が付くと夜中の12時近くになっていた。来春は花の下で花見をしようと約束して別れた。