さて、先日の記事に続いての投稿。先月の24~25日に掛けて仕事で姫路に行ったのだが、そのタイミングが悪かった。そう、台風15号の来襲である。
熊本上陸前の中心気圧が940hpと平成3年に北部九州にも甚大な被害をもたらした台風19号と同じ。なので、流石に色々と警戒はしていたのだが、
こんかいのたいふうは列島横断では無く九州縦断のコースだったことで、関西圏の仕事先は延期とか休止とかのアタマは全く無かったらしい(>_<)
そんなわけで、台風が近付いている24日に渋々と姫路に移動。つってものぞみは姫路に止まってくれないので、岡山まで「のぞみ」で行ってそこから「ひかり」や「こだま」に乗り換えて姫路まで行く。
で、とっとと仕事を済ませてその夜は一杯飲んでから姫路駅前のホテルで宿泊となったのだが、どうやら明け方前に九州上陸間違いなしになってた台風15号。
「俺ちゃんは帰れるのか?」
と、心配しつつ眠りに就いたのだが、起きてみると案の定未明に熊本に上陸して新幹線は全て広島で営業運転の様子。26日には地元で仕事が待っていたので、どうしても25日の内に帰りたかったのだが、
・今日の新幹線が全て広島止まりとなれば、広島で急遽宿泊探そうとしても難民かする可能性が高い。
・関西圏は或る意味地元感があるので、コッチの方がいざという時の泊まる場所を確保しやすい
・小倉に真夜中過ぎとかに着かれても、ランサーを駐めてる駐車場が深夜0時に施錠されるので逆に困る。
っつーことで、取り敢えず正午頃に来たカミさんからのLINEでの「峠は越した」の情報を頼りに、JRの運行状況をスマホで確認しながら、大阪まで一度出て、
市内を当てもなく散策しながら運行再開を待ってみることに。新快速で大阪に出て、三地下でインディアンカレーを食ってから地下鉄で難波に移動、
難波から日本橋まで散歩して、日本橋ではヴォークスだのジョーシンだの電子パーツショップだのを彷徨いて予定外の散財を果たしておいた。
ヴォークスに展示されていたベアッガイのキットをふんだんに使用したシルバニアファミリー風のアットホームなジオラマがあまりに気に入ったので撮ってみたら、
ガラスに「撮影禁止」の貼り紙を見つけガッカリして他のは撮影を断念。思うんだけど、あの「撮影禁止」ってなんでなんですかね?博物館じゃあるまいし。たかがプラモ屋ですよ。
して、今回の散財はDD51の為にガイアの青20号といつの間にか出てたらしいプレミアムメッキシルバー。それから極小チェーンを購入。
更に急に思い付いて裏通りの電子パーツショップでLEDを複数種と定電流ダイオード(CRD)を入手してきました。メッキシルバー以外はDD51用ですね(笑
結局はその後新幹線は博多まで営業運転を再開し無事私も帰宅することが出来たわけですが、思いがけず久々に日本橋界隈をうろつけて結果楽しゅうございました。
そうそう、あと、カミさんにバンダイのSWプラモからR2-D2コンボのキットをお土産として買って帰りましたわ。ウチのカミさんは、R2フリークなんですねぇ。
SWと言えば、新作公開に先駆けて、バンダイから新エピソード版のX-WINGとファルコン号がアナウンスされ始めましたね。今月終わりにはホビーショーがありますから
ソレと前後して今後も新展開がありそうです。ファルコンは1/144でのアナウンスですが、映画公開が年末で市場も年末商戦って事を考えると、ここらで大物が出てくると予想。
「アメリカン・スナイパー」
実在の元シールズ隊員で凄腕スナイパーだったクリス・カイルの自伝を、私が最も尊敬する監督クリント・イーストウッド大先生が映画化した実話作品。
公開後、アメリカ世論を二分するほどに話題となった作品であるが、本作は決して「米軍万歳」でもなければ「戦争賛辞」な作品でも無く、かと言って露骨な反戦映画でもない。
まぁ、だからこそ世論が二分されたわけですが、そこらは大先生の真骨頂ってところ。
実在のクリス・カイルとは、アメリカ軍が民間人を迂闊に巻き込めないという事情を逆手に取って、民間人に紛れて武装勢力がゲリラ攻撃を頻繁に仕掛けることで、
結果数多くのアメリカ兵が犠牲になったイラク戦争に於いて、1度行ったらもう勘弁な派兵を自らすすんで4度も行った男であり、その4度の派兵で200人以上のターゲットを仕留めたと言われる
現代アメリカ軍の伝説的スナイパー。相手が敵であると判断すれば、それがたとえ女性や子どもであっても仕留めてきたことで、アメリカ国内でも左翼系からは「人殺し」とさえ呼ばれた。
しかしながら、このストイックな仕事ぶりのお陰で、何人ものアメリカ兵が敵弾の犠牲になるところを救われたのも事実であり、9.11テロ直後の世論の過激化も相まって彼を概ね英雄と讃える声が多い。
しかし、その実体は、、、、
主演はブラットリー・クーパー。上の夫婦2人の写真は実際のクリス・カイル夫妻の写真なのだが、ブラットリーはクリスになりきる為に
体重を25kg増量するだけでは無く短期間で肉体をクリス化させるために過酷なウェイトトレーニングを敢行、結果
→
見事にクリス化に成功した。まぁ、実話なのでネタバレもクソも無いのだが、クリス・カイルは退役後にPTSDに悩まされ家庭生活さえ崩壊の危機に陥る。
しかし、気丈な妻の支えや周囲の励ましのお陰で立ち直り、傷痍軍人のための支援活動に熱心に取り組むようになるのだが、
この活動の最中に、精神を病んだ元兵士の異常行動による突発的発砲を受けて死去してしまう。そして、彼の死を弔うために大々的な葬送が行われるのだが、
本編のラストではこの時の映像がそのまま使われているのだけど、その時大写しになるクリスの遺影を観て驚いたね。もうね、劇中ブラットリーが演じていたままの顔が
遺影の中に瓜二つで写ってんだもの。最初は遺影の部分だけフェイクなのかと思ったが、徹底した役作りでクリスと瓜二つの領域に達していたわけだ。
カミさん役は英国人モデルのシエナ・ミラー。彼女もブラットリーに負けず劣らずの演技力で、実際にクリスの妻であるタヤ・カイルと一定期間共に過ごすことで役作りのヒントを得、
クリスと出会ったばかりの若かりし姿から、二児の母となり戦地から帰還した夫を迎える気丈な女房になっていくまでの姿の変遷は、その決して多くない女優キャリアが嘘のような説得力。
さて、物語はカイルの自伝「AmericanSniper」のストーリーテリングに沿って展開されるのだが、イーストウッドと脚本担当のジェイソン・ホールは、
クリス本人やタヤの了解の元、映画向きなストーリーになるようにフィクションを加えている。実は本作の映画化が始まった当初はクリスは存命しており、
製作サイドはクリス本人と何度も映画化に際しての打ち合わせを繰り返していた。その中で、自伝では書かれなかった事実も幾つか本人から明かされており、
たとえば映画の冒頭で、初の派兵の際の最初のスナイピングターゲットが対戦車手榴弾を投げ入れようとしていた女性であったと原作では著されていたが
実際は親子と思しき二人連れで、先ず子どもが女から手榴弾を受けとり米兵達の行軍に投げ入れようとしたのを撃ったのが最初。撃たれた子どもから手榴弾を手に取り
今度は女が投げ入れようとしたので更に女も撃つことになったのが最初だったようだ。自伝では、そうしないと仲間が死ぬからと冷静に語っては居るのだが、
実際には冷静に標的を撃った後の、何とも言えない胸くそ悪さに苛立つクリスの姿まで、映画化に際してはこうした心理面までキチンと描かれている。
更には、クリスの死後も妻であったタヤや、派兵時にクリスト行動を共にしたドーバーことケヴィン・ラーチらの証言を元にしつつも、本作では映画向けの脚色も加えられている。
その中心となるのが、イラク戦争を機にテロリストとしての頭角を現し、いわゆる現在のISILの元となるテロ組織を率いたザルカウィを追うクリス達と、
ザルカウィの右腕で一般市民の間では「殺戮者(ブッチャー)」と呼ばれ怖れられた男と、
ザルカウィの守護者の如く巧みな狙撃技術でクリス達を翻弄するムスタファとの攻防である。
実は、クリスが何故過酷なイラク派兵を、妻と幼い子供達を残してまで4度も敢行したのかという疑問が解せず、その自伝を読んでも尚燻っていた製作サイドが、
自伝に出て来た相手側に居た凄腕スナイパーの話と、それとは別に綴られていた800m以上の距離のターゲットを一発で仕留めた話からヒントを得て、
本作ではこの「ムスタファ」と呼ばれる(劇中ではヨルダン出身の元射撃競技オリンピックメダリストの男という設定)男を仕留めないと、この先仲間が何人も犠牲になると考え、
クリス自身が「自分でないと彼を仕留めることが出来る者は居ない」という自負と、何度も作戦中に煮え湯を飲まされたムスタファに対する報復の念が、
彼を4度にわたる派兵へと駆り立てたというストーリー仕立てになっている。殺戮者やムスタファとの攻防は、非常に緊迫した描写の連続で手に汗握るものであり、
巧みな映像演出やサラウンドをフルに活用した音響演出も相まって本作の魅力の中心ではあるのだが、イーストウッド大先生が観客に訴えたかったのは、
実はクリスの英雄としての勇姿ではなかった。4度の派兵の中で次第に精神に異常を来していくクリス、そしてこの戦争に疑問を持つ仲間や、
この戦争で四肢を失い派兵前の暮らしに戻れなくなった数多くの傷痍退役兵の姿、更には時にはアメリカ兵に、時には味方であるはずの同郷の士に命を理不尽に絶たれていくイラク人々、
そうした幾つもの悲劇的現実を通して、戦争が人々から奪い去ってしまうものの本質を描き出している。
American Sniper - Official Trailer 2 [HD]
映像特典もじっくり見てみたのだが、本作は製作開始当初はハッピーエンドで終わる事になっていた。ところが、先述の如くクリス・カイルの死去によって本作の結末も大きく変わることとなる。
そして、その不慮の死の結果であるのだが、より先述の「戦争によって失われるモノ」というテーマが奇しくも明確になったと思う。そして、このエンドクレジットである。
いやぁ、こういうエンディング&エンドクレジットになってるとは思わんかった。オッサン、図らずも考えさせられちゃっただよ。イーストウッド大先生も「老いて衰える」って事を知らんな。