がらくたどうBlog

模型趣味とその他諸々

統合することにした。&インターステラ-

2015年05月12日 | ホームシアター&エンタメ

 コッチのブログはすっかり放置プレイで、チラシの裏もやはり放置プレイ気味になりつつあるって事で、

ほんなら両方統合しちゃえって事にしました。チラ裏の方はコメ管理が非常に面倒でコメ機能をコロしてたんだが、

こっちならまたコミュニケート可能かと思います。今後は模型に限らず、雑多なネタを挙げていく事に終始するかと。

気ままにあっち行ったりコッチ行ったりすんま屁。

 

「インターステラ-」

 かのダークナイト三部作を手掛けたクリストファーノーランによるSF映画。理論物理学者のキップ・ソーンが製作サイドに加わってる事でも話題になった。

キップ・ソーンって人は、タイムマシン理論ともいうべき面白い事を検証してる人で、タイムマシンは出来るけど出来ないという結論に至ってるとか何とか(笑

で、その理論がモロに盛り込まれてるのが本作って訳。彼の言うタイムマシンというのは、ブラックホールの特異点と呼ばれる観察不可能な重力の集約点が

ひょっとして観察可能な場合も有るんじゃないかと仮説を立て、その特異点に於いて幾つかの条件が揃えば観察可能な場合も有るとか無いとか。

オッサンはそんな難しい事どうでもイイ世界に生きてるので、詳しい事は全くワカランのだが、たとえば、昔「バック・トゥ・ザ・フューチャー」という作品があったが、

キップ・ソーンが言うタイムマシンの理論だと、タイムマシンが実現したとしてもあの作品のように、特定の場所と時間をセットで遡る事は物理的に有り得ないんだと。

宇宙というのは位置によっては光りの速度を超えるスピードで膨張していて、時を隔てて同じ位置に止まる事は無いようで、たとえばBTTFの様にデロリアンで

数分先の未来に飛んだとしたら、そこが地球上である事は先ずあり得ないんだそうな。

 こういう訳ワカンナイ話はともかく、荒唐無稽なSF作品かと思いきや、現在解っている範囲での理論物理学を映画の演出要素として用いた作品が本作。

監督自身が「2001年宇宙の旅」を相当意識したと言ってるように、少なくとも普通の価値観を持ち込んで鑑賞したら難しいだけなので、頭を空にして観る作品だ。

 

 主人公クーパー(マシュー・マコノヒー)は元凄腕の宇宙飛行士であったが、地球環境の激変により宇宙どころか科学技術そのものの存在意義が失われた近未来では

しがない農園の主となっていた。近未来の地球は、人口爆発により慢性的な飢饉に陥り、更には砂漠化の進行と温暖化によって滅びの一途を辿っていた。

戦争は自らを滅びへと誘う愚行とされ、また科学技術も限りある資源の無駄遣いに過ぎないとされ、原始的な暮らしへの回帰こそが人類存続の頼みの綱とされている世界。

元々科学に精通しているクーパーは、刻一刻と迫る人類滅亡の訪れを愛する子供達に覚られまいとするも、息子のトム、そして娘のマーフも自然と迎えるべき危機を感じ取っていた。

 ある朝、娘のマーフが「私の部屋に幽霊が出た」と言い出す。時々本棚の本が落ちてくるらしいのだが、マーフによれば毎回同じ本が落ちてくるのだそうだ。

「解らない事象を幽霊と片付けるのは良い事では無い。事象には必ず原因と結果があるのだから、もしそんな事が起きるなら、よく観察をしてみなさい」

この何気ないクーパーの一言が、再びクーパーを宇宙への扉に誘う事となる。

 マーフの観察によって、部屋で起きている不可解な現象には、何者かからのメッセージが込められている事を察したクーパーは、答えを探している内に、

既に閉鎖されてしまったはずの政府機関NASAが極秘裏に活動を再開しており、クーパーのかつての仲間であったグラント教授によって、滅び行く地球を救うべく

人類を別な恒星系の同環境の惑星へ星間移住させる壮大な計画を知らされるに至った。ただし、その為には可能性を持つ惑星に探査者を向かわせ、現地から地球に信号を送信させ

実際に移住が可能かどうかを検証する必要があった。その為に、既に11人の科学者が11の惑星に向かって地球を旅立っていったのだが、既に8人からの通信は途絶え、

残る3人からの通信も彼らからの生存を示す信号のみとなり、果たして3つの惑星に人類が住める星が有るのか否かを、直接出向いて確認する必要に迫られたのだ。

そして、この確認の為の派遣には、参画者の人生という非情な犠牲が伴うものであった。何故ならば、ワームホールを用いての超光速移動によって、探査を終え地球に帰ってきたときには、

派遣された者には数年の時間経過でも、地球では数十年、否、場合によっては数百年の月日が経過しているかもしれないのだ。

そのことを承知の上で、クーパーは愛する子供達に別れを告げ、アメリア(アン・ハサウェイ)、ドイル(ウェス・ベントリー)、ロミリー(デヴィット・シャーシ)という三人の科学者と共に

宇宙の彼方へと旅立っていった。

自らの人生を賭して、愛する家族の、そして人類の未来の為に、、、

 

 監督自身が言ってただけあって、「2001年宇宙の旅」とオーバーラップする要素が盛り沢山。ただ、2001年が完全に観客を置き去りにする作品であったのに対し、

本作は理論化学の現実とSFストーリーの虚構とを非常に上手くミックスしていて、少なくとも観客を置き去りにする様な事はない。

 それどころか、本作によって「2001年宇宙の旅の、あの不可解な結末はそういうことだったのか」と科学音痴な九州の田舎者のオッサンにも

解った気にならせてくれる新設設計。メンドクサイ人は、やれ荒唐無稽だの無理矢理な結末だの色々言いうんだろうけど、

結局のところは壮大且つ人知を超えたネタを用いながら、描いてる中身は「家族の絆」。そこが何とも面白かった。アン・ハサウェイのプリケツシーンは無かったけどね。
映画 「インターステラー」 最新予告編(字幕)

 

 

 さて、久々の模型ネタですが、ここんとこ車の模型はアオシマのマクラーレンGTR位しか買ってないっすな。タミヤのメルセデス300SLも最近出たけど買ってない。

なんせタミヤだから、慌てんでも何時でも買えると思いつつ今立を出さずって感じ。一方で、バンダイのSTAR WARSシリーズはメカ系に限ってだけど出る度積んでます。

でもね、巷のSWプラモに関してのバンダイ称賛の姿勢がどうも腑に落ちないというか頷けない。特に雑誌関係。ちゃんと比較してみりゃ良いのに、なんかFM製ってのは

無かった事にされてる感が否めないんだよな。コレまで出たラインナップを一通りパーツ状態ではあるけど見比べてみた印象としては、バンダイ製の方に設計が新しい事と

財力含めた開発能力のアドバンテージがあると思うんだが、果たしてFM製の存在が無ければアソコまで凝ったモノになっていただろうかって思う訳よ。

こないだ買った1/48のベケ羽なんてゴイス-っすよ。エンジンやコックピットが電飾で開くだけじゃなく、特徴的なX羽が電動で開閉してしまうギミック付。これもディテールがオモチャチックなら

なんのこっちゃワカラン商品に成り下がってたところだが、パーツの状態を見る限りは何から何までディテール盛り沢山な内容になっとるんで、お高いけどもう一個買っちゃおうかと思ってるくらい。

 それはともかくとして、来月辺りに出るらしいスピーだ-バイク&バイカースカウトトルーパーのキットはこれまた楽しみ。バンダイは短いスパンで一気にラインナップを増やすみたいなので、

年末のエピソード7公開までには、AT-ATやファルコンといった大物も出してくれそうな感じだし、新エピソードで出てくるSWメカも矢継ぎ早にリリースしてくれそうな感じである。

車模型の市場はどうやら死に体同様で、唯一頑張ってくれてるのがアオシマだけという状況でもあるし、今後は車模型専門って形で模型と接するのはヤメようかと思ったりした。

っつーか実際ヤメてんだけどね(笑。

ずーっと地縛霊のように模型机の上に佇んでいる412T2はやっとこカウリングの研ぎ出しを始めております。そのぺーすたるや、一日一面を週に一回みたいなペース(笑

お前やる気あんのかと言われれば仁王立ちで「無い!」と応えるところだが、なんせ前のブログで「こっから未完成にする方がどうかしてる」とか迂闊に書いた手前、

これだけはゴールさせようという気力だけは何とかある様です。

 

と、そんな訳で、今後は模型だけじゃなく、アレコレ雑多なネタが中心になりそうな感じですが、閉鎖せずに細々やっていこうかと思う次第です。

 

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする