自燈明

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二十番 元良親王

2014年03月02日 | 百人一首
侘びぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ

思いどおりにいかなくなってしまったのだから、今となっては同じことだ。難波にある航行の目印、澪標(みおつくし)ではないが、身を尽くしても逢おうと思う。

元良親王が、天皇の妃の京極御息所と恋愛関係であることが発覚した時に詠んだ歌。

もとよししんのう(890-943)

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Unknown (びーぐる)
2014-03-04 06:45:19
○ わびぬれば ― 「わび」は、上二段の動詞「わぶ」の連用形で、「思いどおりにいかない」の意。後撰集の詞書によると、元良親王と京極の御息所(藤原時平の娘、褒子。宇多天皇の寵愛を受けた妃)との不倫が発覚し、追いつめられた状況。「ぬれば」は「完了の助動詞の已然形+接続助詞“ば”」で、順接の確定条件。「~たのだから」の意。
○ 今はた同じ ― 「今」は、不倫が発覚して噂が広まった現在。「はた」は、副詞で、「また」の意。「同じ」は、形容詞の終止形で、二句切れ。
○ 難波なる ― 「難波」は、現在の大阪市一帯。「なる」は、存在の助動詞「なり」の連体形で、「~にある」の意。
○ みをつくしても ― 「みをつくし」は、「澪標」と「身を尽くし」の掛詞。上を受けて「難波なる澪標」で「難波にある澪標」の意、下へ続いて「身を尽くしても」で、「身を滅ぼしてでも」の意となる。
○ 逢はむとぞ思ふ ― 「ぞ」と「思ふ」は係り結び。「逢ふ」は、この場合、「恋愛関係を貫き通す」という意。「む」は、意志の助動詞。「ぞ」は強意の係助詞。「思ふ」は、動詞の連体形で「ぞ」の結び。

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