いよいよ文章たっぷりコース第5期も、最後の授業となりました。
この日はさまざまな事情で出席できない方が多く、教室は少し寂しい雰囲気でしたが、最後まで先生にいっぱい質問したりして、このコースならではの “ 大学のゼミ感 ” 満載で修了しました。
「文章たっぷりコース」は、絵話塾では珍しい座学中心少人数制の授業で、毎回高科先生が選んだ書物(の一部)を紹介してくださったり、それらを読んで内容について考えたりしながら、良い文章とはどのようなものか、自分の考えを読み手に伝えるにはどのような方法で書いていけば良いかを学んでいきます。
博学(で毒舌だけどロマンティスト!)な高科先生には、どんな質問を投げかけても、答えを返してくださいます。
学校を卒業して年月が経つと、このような授業を受ける機会はなかなかないと思います。今まで知らなかったことや、普通に過ごしていて気づかなかったことに気づく、良い機会になると思います。
ということで。
一人の生徒さんから、「あるアーティストが好きだが、難解でよく分からない。でも作品について説明するのは、違うと思う」という話に対して、先生は「誰かに何かを伝えたいと思って書いても、書いた後は読み手の解釈に任せるべきなので、説明は不要」だとおっしゃいました。
ただ、書き方に正解があるわけではないので、書き手によっては分かってもらわなくても良いと考える人や、できるだけ分かってもらえるように書こうとする人がいます。この二つに優劣があるわけではありません。
井上ひさしは「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに」書くことを心がけていたとか、
詩人の くどうなおこ に先生自身が「もどかしくてうまくことばで表現できないことがある」と言ったときに「それは単にあなたが未熟なだけ(必ず言葉に置き換えることができる)」と言われたことがあるとか、
長田弘は詩集『詩ふたつ』の中で「言葉にならないことを言葉で表現するのが『ことば』である」と言っているとか、
文章を書く際の「こころがけ」をいろいろ教えていただきました。
先生が印象に残っている難解な作品として、『クレーン男』(ライナー・チムニク 著・矢川澄子 訳/パロル舎) や映画『パラサイト』 を挙げ、本当に言いたいことをあえて象徴や寓話として描くなど、いろんな表現の仕方があるとのことでした。一時期難解な作品がもてはやされた時代もあったそうです。
そして、最後の授業は『読む力をつけるためのノンフィクション選 − 中高生のための文章読本』(筑摩書房) から、近藤雄生の『旅に出よう ー 世界にはいろんな生き方があふれてる』の「国ってなんだろう?」という箇所を見ていきました。
かつてオーストラリアに「ハットリバー公国」という独立国があり、著者がそこに訪れた時の旅行記です。そんな国があったことは全く知らなかったのですが、州政府が決めた小麦の生産高に抗議した農家の男性が、国際法に則って1970年に分離独立したのだそうです。
その後、通貨、切手、パスポートなども独自のものを作っていき、2019年に初代プリンスが亡くなるまでは順調だったそうです。(※ ところが2代目プリンスの代になってからコロナ禍になり、観光収入が減って2020年に公国は消滅し、現在はオーストラリアの一部に戻っているとか)
休憩をはさんで後半は、(課題にも出たことのある)「物語る」についてでした。
たいていの人は物語の中で生きていたり、人生に物語を欲しています。自分の人生は一回きりなので、自分以外の人生も生きてみたいと思ったりします。
役者になって自分以外の人生を生きたり、作家になって誰かの波瀾万丈の人生を生きてみたいと思ったりするのです。
高科先生が書く児童文学では、読み手の子ども達が人生経験に乏しいため、本に書かれた内容を知ることで、来るべき時に備えることができることもあります。
人生は自分が主人公である物語です。それが面白いところでもありますが、反面それにしばられてしまうこともあります。
たとえば自分の経験を人に話すとき、自分に酔ってしまうことが往々にしてあります。それには気をつけなければいけません。
先生の場合、著書『ふたご前線』の中で、主人公の双子の女の子のお祖母さんが書いた手紙には、先生自身の人生が描かれているのだそうです。
人類は言葉を持つ以前に、自分の物語を他の人に伝えたいと思い、太古の昔洞窟に絵を描き残していました。物語を持つのは人間だけなのです。
最後は、ノルウェーの昔話『三びきのやぎのがらがらどん』のお話でした。
我々がよく知っているのは、青い表紙の『三びきのやぎのがらがらどん』(マーシャ・ブラウン 絵・せたていじ・訳/福音館書店)ですが、
まず、黄色い表紙の『三びきのやぎのがらがらどん』(池田龍雄 絵・瀬田貞二 訳/福音館こどものとも1959年5月号)を読み聞かせてくださいました。
この版では、絵は画家の池田龍雄氏が担当しておられます。昔のこどものともでは、このようなことがあったのですね。
次は、青い表紙の『三びきのやぎのがらがらどん』(マーシャ・ブラウン 絵・せたていじ・訳/福音館書店)です。
同じ瀬田さんの訳でも、微妙に言葉遣いや表現が違います。こちらの初版は1965年ですので、6年あまりの間に手が加えられたのですね。
このお話は、北欧の厳しい自然の中で暮らす者達の暮らしを描いた物語ですが、このジャンルで有名なのはトーベ・ヤンソンの「ムーミン」シリーズです。
最後は、小学館 世界おはなし名作全集6に載っている『三びきのやぎ』(絵 長新太・木村 由利子 訳)です。
こちらは訳者が違うし、長さんのユニークな絵なので、ずいぶん雰囲気が違います。(初版は1990年)
やぎの名前は「がらがらどん」ではなく、「ドン・ヤンギー」となっています。
北欧のように冬(夜)が長い地域では、物語がなければ生きていけないし、正しいにしろ間違いにしろ物語を生きることが必要であるからです。
世界中どこにでも伝わっている民話(日本では今昔物語等に収められている)などは、とてもおもしろいし、生きる “ オマケ ” として必要なものではないでしょうか。
授業の最後に、今後文章を書いていくうえで、センスを身につけるには、人の書いたものを読むのが良いです、とのアドバイスを。
クリエイターを目指すなら、先人の作品と接することは欠かせません。
読んで、「このくらいなら描けるわ」と思ったら、その時点で作者の方が数倍素晴らしいと思ってください。「この人の作品はスゴイ!」と思ったら、数十倍・数百倍素晴らしいと思ってください。
いくら創作といっても自分にないものは書けないので、人の作品から取り入れるセンス(感性)を身につけて、それぞれが精進していってください。
という「締め」で今期の授業は終わりました。
8月20日から始まる修了作品展では、文章クラス全体で「あむ」という文集を出品します。
第5期で学んで、課題などで書いた作品を一人1編ずつ掲載していますので、修了展に来られる際はどうぞ少しお時間を取っていただいて、お読みいただければ嬉しいです。
では、高科先生、第5期の受講生の皆さん、お疲れ様でした。Keep on writing !!