絵話塾だより

Gallery Vieが主宰する絵話塾の授業等についてのお知らせです。在校生・卒業生・授業に興味のある方は要チェック!

2024年7月27日(土)文章たっぷりコース第5期・第16回目(最終回)の授業内容/高科正信先生

2024-08-03 22:12:17 | 文章たっぷりコース

いよいよ文章たっぷりコース第5期も、最後の授業となりました。
この日はさまざまな事情で出席できない方が多く、教室は少し寂しい雰囲気でしたが、最後まで先生にいっぱい質問したりして、このコースならではの “ 大学のゼミ感 ” 満載で修了しました。

「文章たっぷりコース」は、絵話塾では珍しい座学中心少人数制の授業で、毎回高科先生が選んだ書物(の一部)を紹介してくださったり、それらを読んで内容について考えたりしながら、良い文章とはどのようなものか、自分の考えを読み手に伝えるにはどのような方法で書いていけば良いかを学んでいきます。

博学(で毒舌だけどロマンティスト!)な高科先生には、どんな質問を投げかけても、答えを返してくださいます。
学校を卒業して年月が経つと、このような授業を受ける機会はなかなかないと思います。今まで知らなかったことや、普通に過ごしていて気づかなかったことに気づく、良い機会になると思います。

ということで。

一人の生徒さんから、「あるアーティストが好きだが、難解でよく分からない。でも作品について説明するのは、違うと思う」という話に対して、先生は「誰かに何かを伝えたいと思って書いても、書いた後は読み手の解釈に任せるべきなので、説明は不要」だとおっしゃいました。

ただ、書き方に正解があるわけではないので、書き手によっては分かってもらわなくても良いと考える人や、できるだけ分かってもらえるように書こうとする人がいます。この二つに優劣があるわけではありません。

井上ひさしは「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに」書くことを心がけていたとか、
詩人の くどうなおこ に先生自身が「もどかしくてうまくことばで表現できないことがある」と言ったときに「それは単にあなたが未熟なだけ(必ず言葉に置き換えることができる)」と言われたことがあるとか、
長田弘は詩集『詩ふたつ』の中で「言葉にならないことを言葉で表現するのが『ことば』である」と言っているとか、
文章を書く際の「こころがけ」をいろいろ教えていただきました。

先生が印象に残っている難解な作品として、『クレーン男』(ライナー・チムニク 著・矢川澄子 訳/パロル舎) や映画『パラサイト』 を挙げ、本当に言いたいことをあえて象徴や寓話として描くなど、いろんな表現の仕方があるとのことでした。一時期難解な作品がもてはやされた時代もあったそうです。

  

そして、最後の授業は『読む力をつけるためのノンフィクション選 − 中高生のための文章読本』(筑摩書房) から、近藤雄生の『旅に出よう ー 世界にはいろんな生き方があふれてる』の「国ってなんだろう?」という箇所を見ていきました。
かつてオーストラリアに「ハットリバー公国」という独立国があり、著者がそこに訪れた時の旅行記です。そんな国があったことは全く知らなかったのですが、州政府が決めた小麦の生産高に抗議した農家の男性が、国際法に則って1970年に分離独立したのだそうです。
その後、通貨、切手、パスポートなども独自のものを作っていき、2019年に初代プリンスが亡くなるまでは順調だったそうです。(※ ところが2代目プリンスの代になってからコロナ禍になり、観光収入が減って2020年に公国は消滅し、現在はオーストラリアの一部に戻っているとか)

休憩をはさんで後半は、(課題にも出たことのある)「物語る」についてでした。
たいていの人は物語の中で生きていたり、人生に物語を欲しています。自分の人生は一回きりなので、自分以外の人生も生きてみたいと思ったりします。
役者になって自分以外の人生を生きたり、作家になって誰かの波瀾万丈の人生を生きてみたいと思ったりするのです。
高科先生が書く児童文学では、読み手の子ども達が人生経験に乏しいため、本に書かれた内容を知ることで、来るべき時に備えることができることもあります。

人生は自分が主人公である物語です。それが面白いところでもありますが、反面それにしばられてしまうこともあります。
たとえば自分の経験を人に話すとき、自分に酔ってしまうことが往々にしてあります。それには気をつけなければいけません。
先生の場合、著書『ふたご前線』の中で、主人公の双子の女の子のお祖母さんが書いた手紙には、先生自身の人生が描かれているのだそうです。

人類は言葉を持つ以前に、自分の物語を他の人に伝えたいと思い、太古の昔洞窟に絵を描き残していました。物語を持つのは人間だけなのです。

最後は、ノルウェーの昔話『三びきのやぎのがらがらどん』のお話でした。

  

我々がよく知っているのは、青い表紙の『三びきのやぎのがらがらどん』(マーシャ・ブラウン 絵・せたていじ・訳/福音館書店)ですが、
まず、黄色い表紙の『三びきのやぎのがらがらどん』(池田龍雄 絵・瀬田貞二 訳/福音館こどものとも1959年5月号)を読み聞かせてくださいました。

 

この版では、絵は画家の池田龍雄氏が担当しておられます。昔のこどものともでは、このようなことがあったのですね。

次は、青い表紙の『三びきのやぎのがらがらどん』(マーシャ・ブラウン 絵・せたていじ・訳/福音館書店)です。

同じ瀬田さんの訳でも、微妙に言葉遣いや表現が違います。こちらの初版は1965年ですので、6年あまりの間に手が加えられたのですね。
このお話は、北欧の厳しい自然の中で暮らす者達の暮らしを描いた物語ですが、このジャンルで有名なのはトーベ・ヤンソンの「ムーミン」シリーズです。

最後は、小学館 世界おはなし名作全集6に載っている『三びきのやぎ』(絵 長新太・木村 由利子 訳)です。

 

こちらは訳者が違うし、長さんのユニークな絵なので、ずいぶん雰囲気が違います。(初版は1990年)
やぎの名前は「がらがらどん」ではなく、「ドン・ヤンギー」となっています。

北欧のように冬(夜)が長い地域では、物語がなければ生きていけないし、正しいにしろ間違いにしろ物語を生きることが必要であるからです。
世界中どこにでも伝わっている民話(日本では今昔物語等に収められている)などは、とてもおもしろいし、生きる “ オマケ ” として必要なものではないでしょうか。

授業の最後に、今後文章を書いていくうえで、センスを身につけるには、人の書いたものを読むのが良いです、とのアドバイスを。

クリエイターを目指すなら、先人の作品と接することは欠かせません。
読んで、「このくらいなら描けるわ」と思ったら、その時点で作者の方が数倍素晴らしいと思ってください。「この人の作品はスゴイ!」と思ったら、数十倍・数百倍素晴らしいと思ってください。

いくら創作といっても自分にないものは書けないので、人の作品から取り入れるセンス(感性)を身につけて、それぞれが精進していってください。

という「締め」で今期の授業は終わりました。

8月20日から始まる修了作品展では、文章クラス全体で「あむ」という文集を出品します。
第5期で学んで、課題などで書いた作品を一人1編ずつ掲載していますので、修了展に来られる際はどうぞ少しお時間を取っていただいて、お読みいただければ嬉しいです。

では、高科先生、第5期の受講生の皆さん、お疲れ様でした。Keep on writing !!


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2024年7月13日(土)文章たっぷりコース第5期・第15回目の授業内容/高科正信先生

2024-07-14 16:46:31 | 文章たっぷりコース

高科先生は、最近クマゼミの鳴き声を聞いたそうです。
例年よりかなり早い〜ということで、セミといえば…と、つづけてアメリカの周期(素数)ゼミの話を。
セミは成虫になるまで数年を要する昆虫ですが、13年周期と17年周期の2種類が221年に一度同じ年に羽化することがあり、それが今年にあたるのでアメリカでは1兆匹もの発生が予想されています。
セミの成虫の寿命は長くないので、死骸を処理するのに大変になりそうとのことですが、考えただけで背中がぞわぞわしますね。

こんなふうに、毎回文章コースの授業は先生のよもやま話から始まります。
とくに身近にある自然から季節にまつわる話など、私たちが普段気づかないようなことに触れられて、なかなか興味深いです。

この日の本題は、ここのところ続けて学んでいる『日本語のレトリック:文章表現の技法』(瀬戸賢一/岩波ジュニア文庫) の続き、【意味を調節する】から始まりました。
「誇張法…度を超して伝える」「緩叙法…ひかえめに伝える」「曲言法…反意語を否定する」の箇所です。

・誇張法は、人に自分の考え方を説明するとき、おおげさに言うことです。
 「蚊の鳴くような声」「涙の海」「仕事が山積み」、ほかには「みんな〜してる」など。
 話し手と聞き手の間に共通の認識がなので、定型句を使うことが多いそうで、
 昔話の中にもよく出てきます。

・緩叙法は、ひかえめに表現して結果的に相手に強く深く伝えることです。
 日本人は直接的なことばで伝えるのは得意ではないため、日本語ではよく使われます。
 「つまらない物ですが」「粗茶でございます」などは、日本語独特の表現であるため外国語には翻訳しにくく、訳しても本意は伝わらないでしょう。

・曲言法は、できるだけ相手にさわらないようにやんわり表現して、曖昧に言いながらも強く出る表現です。「やぶさかではない」「悪くない」「半端じゃない」など。政治家はよく使いますよね。

休憩をはさんで、後半は以前にも取り上げたことがある『中高生のための文章読本 ─ 読む力をつけるノンフィクション選』(澤田英輔・仲島ひとみ・森大徳 編/筑摩書房) から、穂村弘の「麦わら帽子のへこみ ─ 共感と驚異」の箇所を見ていきました。

これは、歌人・穂村弘の著書『短歌という爆弾 ─ 今すぐ歌人になりたいあなたのために』(小学館文庫) からの抜粋で、石川啄木や俵万智の作品を取り上げて、その短い文章のどこに共感(シンパシー)と驚異(ワンダー)を感じるかを解説しています。
石川啄木や俵万智の作品では、読者が自分自身の体験や気持ちを作品上に重ね合わせてカタルシスを得ることができますが、アマチュアだと自分の体験や気持ちを表した作品で読み手を感動させることができません。
また、作品の中にちょっとした違和感を持つことばを入れて驚きを演出し、読者を引き寄せるのが短歌の世界では「クビレ」と呼ばれる箇所で、優れた歌人は意識的にそれをつくるのです。

穂村弘は歌人ですが絵本にも造詣が深く、『ぼくの宝物絵本』(河出文庫) (初出はMOEのコラム)という本も出しています。
酒井駒子さんの表紙が美しいこの本は、穂村氏がコレクションしている戦前から最近までの絵本を約70冊紹介しています。近日絵話塾の書棚にも追加する予定ですので、皆さんもご覧ください。

短歌と絵本という違うジャンルのものでも、表現の世界では近いものがあるので、広くアンテナを張るのはよいことです。
いろんな分野の文章の中から、どうしたら読者に共感してもらえるか、他者の作り方を学ぶのもよいことでしょう。
読者に訴えかける要素は「何か」を考えながら、文章を書きましょう。

早いもので、次回の7月27日で今期(第5期)の「文章たっぷりコース」は終わりです。
学んだことは、皆さんが文章を書く際の役に立ったでしょうか?

さて、今期最後の課題は「おもう(思う・想う・念う・憶う)」です。
今思っていること、考えていることなどを、エッセイ・創作・絵本のテキスト…何でもいいので自由に書いてみてください。文字数なども制限はありません。

よろしくお願いいたします。

 

 

 

 


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2024年6月29日(土)文章たっぷりコース第5期・第14回目の授業内容/高科正信先生

2024-07-03 17:35:27 | 文章たっぷりコース

前回テキストが終わったので、この日は『日本語のレトリック:文章表現の技法』(瀬戸賢一/岩波ジュニア文庫) の続きから、
「くびき法…ひとり二役をこなす」「換喩…指示をずらす」「提喩…カテゴリーをあやつる」の箇所を見ていきました。

「くびき(頸木)」とは、牛や馬に人や荷物を引かせるために首の左右に渡す平行の木材のことで、
転じて複数の意味を持つことばを、一つの表現に使う方法です。二語の意味の距離が遠いほど “上手い表現” といえるでしょう。

・換喩は、共通の理解があることばの意味をずらして表現する方法です。例えば「今夜は鍋にしようか」というと、夕食のメニューを鍋物にするという意味で
「モーツァルトを聴く」は、モーツァルトが作曲した作品を鑑賞するという意味になります。漫才や落語では、この “ズレ” を利用して笑いに結びつけることがあります。

・提喩も、共通理解があるうえで成立する表現です。同じカテゴリーのことばを、意味の違う別のことばに置き換える方法です。「花見」=「桜を観に行く」「ご飯」=「食事全般」「焼き鳥」=「鶏肉を串に刺して焼いたもの」となるように、属 > 類 > 種 という関係で言い換えるのです。
ただ、一般的な共通理解といっても住んでいる地域や環境、時代によって違ってくるので、気をつけて使わなければなりません。

換喩や提喩は、比喩と気づかず使っていることも多い表現です。文学だけでなく、人の生活に自然に根づいた表現方法なのですね。
日本では、昔から「しりとり」「数えうた」「折り句(文章の行頭の文字をつなげると意味をなす=縦読み)」「アナグラム」のように言葉遊びがあり、“洒落た言い回し” を好むようですが、これらはすべて表現の幅を拡げるためにあるもので、表現に名称を付けたり説明するのはすべて “後付け” ということなのでしょう。

休憩をはさんで後半は、高科先生のご友人・岡田淳さんの新著『いいわけはつづくよ どこまでも』(絵  田中六大/偕成社)をご紹介。
神戸新聞に連載していたお話をまとめた本の中から、おじいちゃんが孫に関西弁で “ほら話” を語って聞かせる『ほんまはわからん』と『こんなところに王さまが』の2編を読み聞かせていただきました。
ちょうど、前々回の課題が「うそをつく・謀る」だったので、参考になるおもしろい作品でした。

続いて先生は、講談社のおはなし童話館7『ほらふき男爵・こうのとりになった王さま』(訳 斉藤洋/絵 長新太・和歌山静子/1992年出版)から
『ほらふき男爵のぼうけん』を読み聞かせ。次から次へと繰り出すほら話が、本当におもしろかった!
ほらふきの話はよくありますが、うまくできていないとおもしろくありません。

  

先生が好きな作家・アメリカのエリナー・ファージョン(『ムギと王さま』訳 石井桃子/絵エドワード・アーディゾニー/岩波少年文庫が有名)の作品にも『町かどのジム』(訳 松岡享子/絵 エドワード・アーディゾーニ/童話館出版) という、老人が少年に語って聞かせるスタイルのお話があることを紹介してくださいました。
彼女の作品にはエドワード・アーディゾニーが挿絵を付けているのですが、あっさりしているのに雰囲気のある絵がすばらしいと、先生が絶賛しておられました。

 

この後、皆が提出した「うそをつく・謀る」をテーマにした作品から2作品ほど紹介していただきましたが、アイデアや構成が素晴らしく、オチを聞いて「あ〜〜〜っ、騙された〜!」となったのでした。

そして、朝日新聞に掲載された 東海林さだおの『まだまだ!あれも食いたいこれも食いたい』の「おにぎり法成立」の回を読んでいきました。
エッセイと言うのか…おにぎりのあるべき姿について、おもしろおかしく繰り広げています。“わかったような わからんような” 話を、上品に笑えれば良いですね。

文章たっぷりコース第5期の授業もあと2回。課題も残り少なくなっていきました。
今回のテーマは「語る」です。
今日読んでいったほら話のように、「むかしむかし〜あったとさ」とか「あるところに〜がおりました」と、語り口調で書いてください。
いろいろ学んでいったラストスパートで、お話を作る練習をしてくださいね!

提出は、7月13日(土)です。よろしくお願いいたします。


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2024年6月8日(土)文章たっぷりコース第5期・第13回目の授業内容/高科正信先生

2024-06-09 20:50:19 | 文章たっぷりコース

この日は、先日NHKの「日曜美術館」で放送していた、宇野亜喜良さんのお話で始まりました。
生徒さんの中でこの番組を見ていたのは一人だけだったので、先生は残念がっておられましたが、宇野さんがどんなに素晴らしいかを雄弁に語りました。
1934年に生まれた宇野さんは、今年90歳。1960年代からイラストの仕事を始め、1966年に出版された『あのこ』では、今江祥智さんの文章に絵を付けて、高科先生を魅了したそうです。
そして『あのこ』と同じ、宇野さんが絵、今江さんが文章を書いた(ジェームズ・サーバー作を翻訳)、『たくさんのお月さま』(1989年にビーエル出版から刊行)も紹介してくださいました。
※ ちなみに今江さんの翻訳はとてもセンスが良く、マーク・セイラーの『ぼちぼちいこか』(絵 ロバート・グロスマン/偕成社)では、なんと関西弁を使っています。

  

宇野さん関係の出版物は、画集や雑誌の特集もたくさん出ていて、先生はわざわざ特集本の付録になっていたポスターを持って来て、見せてくださいました。
絵話塾の書棚にも宇野さんの本は何冊かありますので、皆さんもご覧ください。

 

宇野さんは、2歳下の横尾忠則と一緒に仕事をされていたこともありますが、横尾さんが途中で「画家」宣言をして自分の表現したいテーマで制作しはじめたのとは対照的に、現在までずっとイラストレーターとして、クライアントからの依頼を自らのフィルターを通して表現し続けています。
どちらも日本を代表するアーティストですので、できれば著作や原画作品を見る機会を持ちたいものです。

さて、今期のテキスト『60歳からの文章入門』(近藤勝重 著/幻冬舎新書)は、P177〜181。この日で最後になりました。
宇宙創世からの歴史を考えると、人類の登場はつい最近であり、生命の誕生は奇跡によってもたらされたものです。
本の中では自分自身の「気づき/ひらめき」を大切にして、文章を書きましょうと再三再四言及されています。
ぜひ気になることや興味を持ったもの、感銘を受けた言葉などを書き留め、そこから書きたいテーマを見つけて文章にしていってください。

続いて、『日本語のレトリック:文章表現の技法』(瀬戸賢一/岩波ジュニア文庫) から、「擬人法」と「共感覚法」のところを見ていきました。

 

「擬人法」では、風を擬人化してその表情を描いたり、何かを運んだりするような例文がたくさん出てきました。あまりにも自然な表現が多いので、比喩と思わずに使っていることが多いのだなとあらためて気づきました。

「共感覚法」では、五感(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚)のつながりによって、何かをどれかに置き換えて表現する方法です。例えば、味には甘味・塩味・酸味・苦味・旨味の5種類しかないのに、「薄味」「懐かしい味」「芳醇な味」などの言葉で、より分かりやすく表現する方法があります。その場合、貸す方と借りる方に組み合わせがあることも覚えておきましょう。しかも、このような比喩そのものがどんな味を表すのかという共通認識(共感覚)となっており、一般的によく使われています。

比喩は、自分が思いついたユニークなたとえ方を使って表現する楽しみもある一方で、それが人に伝わるようなたとえになるよう、さじ加減をうまく行う必要があります。(独りよがりではダメ)

休憩をはさんで後半は前回から見ていっているかこさとし+福岡伸一の『ちっちゃな科学』(中公新書ラクレ)から、かこさんの科学絵本『かわ』宇宙』 『小さな小さなせかい』について書かれている箇所を見ていきました。
それぞれの作品は作り方を変えて制作されていますが、知的好奇心を膨らませるものを文章の中に入れることができるかが大切です。かこさんの場合は、画面の隅々にまで読者のさまざまな「萌えポイント」を描きこんでいるのが大きな魅力になっている、とのことでした。

同じように、知的好奇心を膨らませる絵本として『このよで いちばん はやいのは』(文 ロバート・フローマン/ 天野祐吉/あべ弘士/福音館書店かがくのとも絵本)を紹介してくださいました。

カメから始まり、ウサギ、チーター、海の生き物、鳥の仲間、乗り物、音、光…とだんだん早いものをあげていきますが、最後に「この世でいちばん早いのは、人間の想像力」であると言っています。人は想像することで、一瞬でどこにでも行ける、何にでもなれる、いろんなことを成し遂げられるのです。

それにしても、「言葉」はいつ生まれたのでしょう? 人類の祖先であるホモ・サピエンスが誕生したのは、40〜25万年前。アルタミラやラスコー、ショーベの洞窟に動物の絵が描かれたのは数万年前(これは石器時代にネアンデルタール人が描いたとされる)。その頃から人類は記憶や感情を共有しており、情報を自分以外の人に伝える手段としての「言葉」を使っていたと思われます。
まず「言葉」ができ、文字が生まれ、情報を残せるようになる → 情報を手描きで複製していたのが、版画や印刷によってたくさんの複製が可能になる → インターネットの普及で、ネット上に情報が拡散されるようになる(その中にはフェイク情報も含まれる)

このように、世の中はどんどん便利になっていきますが、便利になりすぎると好奇心や想像力が減少する傾向もあります。

そこで、今回の課題は「しる」「わかる」です。
自分の身のまわりの小さなことでも、宇宙規模の大きなことでもかまいません。
「へえー、そうやったんや」「なんや、そういうことやったんか」という発見や驚きを、文章にしてみてください。
書き始める前に、「どうして○○なんだろう?」と想像してみることから、やってみてください。

今回は書き出しに注意(工夫)して、第三者が読みたくなる作品に仕上げてください。
そして、大事なのは「書ききる」「書き終える」ことです。

提出は、次の29日(土)の授業の時です。今回は猶予が3週間あるので、頑張ってくださいね!


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2024年5月25日(土)文章たっぷりコース第5期・第12回目の授業内容/高科正信先生

2024-05-26 20:48:02 | 文章たっぷりコース

絵話塾の生徒さんから、「どうしたら、絵本作家に/イラストレーターに なれますか?」という質問が出ることがあります。
すると、ある先生は「なれるまで続ける(やめない)ことです」と答えたそうです。
では、「もしなれたらどうしたらよいですか?」と訊かれたら、高科先生なら「次をつくることです」と答えるでしょうとのこと。
それだけ描き続けること、書き続けること、制作をやめないことは大切なことなんですね。
職人さんの世界でも、長年続けていると知らず知らずのうちに身についていくものがありますから
皆さんも “何か” を続けてみるのも良いのではないでしょうか?

ということで、テキスト『60歳からの文章入門』(近藤勝重 著/幻冬舎新書)のP167〜176を見ていきました。
・子ども川柳に学ぶ
 →子どもは、思いもよらない言葉でたとえたりして、新鮮である。
・ノートに書き留めた言葉の問答集
 →人の話や本を読んでいて、自分の心の琴線にひっかかったこと、共鳴した言葉などを書き留めておくのも良い。
  内容だけでなく、言い回しも参考になる。

その後、朝日新聞に連載中の鷲田清一さんが選んだ『折々のことば』から、高科先生がセレクトした6作品を紹介していただきました。
年齢も経歴もさまざまな人が発した、“ちょっといい話” 。これを知ったら、ちょっと使ってみたくなります。
実際、中島らもの「一人の人間の1日には、必ず一人『その日の天使』がついている。」というのを、授業後半で引用していた人もいました。

続いて、前回から取り上げている『日本語のレトリック:文章表現の技法』(瀬戸賢一/岩波ジュニア文庫) の続き
・「直喩」…類似点を明示する のところを見ていきました。

もとは別のもの同士の間に類似点を見つけて、組み合わせるのが比喩表現で、直喩では「〜のようだ」という言い回しをします。
ただ、隠喩と直喩の間には中間形態も存在します。たとえが突飛すぎると意味が伝わらず、説明しすぎると比喩のインパクトが弱まって品格も落ちていきます。やり過ぎないよう、気をつけましょう。なるべく短く、コンパクトにたとえることを心がけます。
先ほどの「折々のことば」のように、良いな!と思う比喩表現に出会ったら、書き留めておくのもよいでしょう。

休憩をはさんで後半は、かこさとし+福岡伸一の『ちっちゃな科学』(中公新書ラクレ)から、「はじめに〜大切なことは “小自然” から学んだ」の箇所を見ていきました。

昆虫少年だった生物学者の福岡氏は、小学生の時に かこさとし さんの『かわ』(福音館書店)という絵本に出会います。(初版は1962年
それから何十年も経って、共著を出版できる喜びを福岡氏は かこさん への感謝を込めて綴っておられました。

 

そして、『かわ』を読み聞かせていただきました。
かこさんには、ものがたり絵本もたくさんありますが、『かわ』のように科学・知識絵本も多く出版されています。
高科先生も、もし子どもの頃に『かわ』のような作品に出会っていたら、自分の体験や思いを書くときに役に立っていただろうとおっしゃっていました。

 

最後に、今回の課題は「嘘をつく(謀る・たばかる)」です。
嘘をつくことに関するエッセイとかではなく、実際に内容が「嘘(=実際のことではない)」の話を書いてください。
どんな嘘でもかまいません。ほら話、妄想話、もっともらしい嘘の話、見てきたような嘘の話…何でも良いですが、暗い話より、読んで笑えるような明るい話が良いですね。

参考図書として、寺村輝夫の『ぞうのたまごの たまごやき』(絵 和歌山静子/理論社)を紹介していただきました。(※1984年には福音館書店の日本傑作絵本シリーズから長新太の絵で出ています)

たまごのすきな王さまに赤ちゃんが生まれ、お祝いに国中の人にたまご焼きをごちそうすることになって、ゾウのたまごを探しに行くという物語です。(ゾウは卵で生まれるんでしたっけ !?)
こんな感じのクスッと笑えるお話が書けたら、良いですね!

提出は次回6月8日の授業の時です。
難しく考えず、まずは書いてみてください。書き始めると、案外転がるようにアイデアが湧いてくるかもしれません。

 

 

 

 


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