この日は須磨海岸の潮干狩りの話から始まりました。
前回の授業は桜がどうこう…という話題だったと思うので、季節の移り変わりは早いですね。
先日高科先生のところに、韓国で翻訳出版された絵本の印税(出版社の「国際部」から)と、電子書籍の印税が振り込まれたそうです。印税と言っても、最近はいろいろあるのですね。
その他、いろんな出版社の対応のこと等、作家になってからの貴重な「あるある」を教えてくださる、高科先生なのでした。
さて、授業の最初は、前回少し出てきた他の方の愛読書(お薦め書籍)についてから。
先生が大切に保存しておられた、1978年春に発行された「子どもの本の店 “夕鶴”の『わたしのすすめる50冊』〜今江祥智・上野瞭・灰谷健次郎さんによる」を見ていきました。( “夕鶴” は当時大阪の放出にあった店で、作家の講演会なども行っていたそうです)
さまざまな種類(古典・翻訳・新作・評論・教育…等々)の子どもの本の中から、3人のセレクトが被っている本もあり、その人独自セレクトの本や、もちろんご自身の本もあり、その時代の流行も投影されていて、興味深いリストでした。
読んだことのある本を読み返したり、読んだことのない本に挑戦するのもよし。
せっかく貴重なリストを見せていただいたのですから、どうぞ皆さんの役に立ててください。
さまざまなジャンルの本を読んで、文章を書くための栄養補給をいたしましょう!
このリストを作った3人の方は、高科先生が “ 師匠 ” と仰いでいる児童文学の作家だそうですが、若い頃の先生は「この人に自分の作品を読んでもらいたい」という気持ちから、彼らが選者になっているコンテストを調べて応募したそうです。
それぞれのコンテストには、選者ももちろんですが、どのようなタイプの作品が選ばれやすいかというものが存在しているので、応募する前にそのあたりを調べて対策を立ててから提出するとよいでしょう。
ということで、テキスト『「書く力」私たちはこうして文章を磨いた』(池上彰・竹内政明 著/朝日新書) は
第二章 本当に伝わる「表現」とは の続きで
・戯作者の手法
・季節感の出し方
のところを皆で読んでいきました。
そして、その中に出てくる毒舌家代表として、斉藤美奈子さんの『文章読本さん江』(ちくま書房) の「本多勝一の民主化運動」のところを見ていきました。
世の中に「文章読本」の類は多く存在しており、古くは川端康成や三島由紀夫から、井上ひさし、江國滋、国学者の大野晋など、いずれもさまざまな観点から文章を書くことについて論じているのですが、
斉藤さんは本多勝一の『日本語の作文技術』の一部を抜粋して、容赦なくこき下ろしています。
テキストの中では池上さんも「斉藤さんは怖い人」だと言っておられますが、きちんと本を読み込まないとここまでは書けないと、高科先生も褒めておられました。
毒舌に見えても、相手に対するリスペクトが必要なのでしょうね。
季節感について、テキストの中では新聞のコラムなどを例に挙げていますが、日本列島は長いため南北で季節が異なるということを忘れがちなので、そこを気をつけて書きましょうということでした。
休憩を挟んで、前々回の課題(これ、ホントのこと?と読む人に思わせるようなウソ話・ホラ話=つくり話 を書く)を返却するにあたり、一人の生徒さんの作品を読んでくださいました。
そこで、どうやってこの発想が出てきたか?の話になり、外国人の主人公はご自分の名前をもじった人物だということが明かされました。皆一斉に「わぁ〜」と感嘆の声。
小説はほとんどが作り話のため、このような発想で書くのはとても良いそうです。
先生が最近読み直している 千葉ともこの『震雷の人』(文藝春秋) は、中国の唐の時代に起こった「安史の乱」の史実を元にした歴史小説で、登場人物にも実在の人がたくさん出てくる、とても面白い作品だそうです。
高科先生の師匠である上野瞭氏が言うには、
「小説というのは、(ちょっとしたものではなく)真っ赤なウソを書くものであり、その中に一服の毒を盛らなければならない。
またその毒は即効性があるものではなく、時間をかけてじわじわ効くような毒である必要がある。
作家の仕事というのは、そういう毒を盛ることだ。そして、その毒の中身は
『人生は差し替えがきかない一回きりのものだから、人生では苦しんだり悩んだりすることが必要なんだ』ということである」
子どもの本を多く書いてきた上野氏には、子どもの本にはそのような毒が必要であるというポリシーがあるのだそうです。
彼の初期の作品『ちょんまげ手まり歌』 (井上洋介 絵・理論社)や、『目こぼし歌こぼし』( 童話館出版)は時代ものですが、その中で本当に描きたかったことは現代社会のことであり、もちろん遅効性の毒が含まれているとか。
「つくり話」ということで、以前に高科先生が書かれた『ぽいぽいぽーい』と、村山早紀氏が書いた『桜の木の下で』という二つの短編を読んでくださいました。
どちらの作品にも “仕掛け” があり、読み進んでいくうちにその世界に入り込めるような作りになっていました。
作り話は、どんなふうに作っていっても良いけれど、読み手がその話を本当にあったことのように感じて、思わず引き込まれて読めるような作品が優れていると言えるでしょう。
そのような作り方は分かっていても、きっかけを思いつかない、そんなやり方に馴染んでいないとなかなか難しいかもしれません。
そんなきっかけの延長線上に、前回の課題「もしも私が○○だったら…」があります。(※この日提出するもの)
そして、この日の課題は「わたしの主張」でした。
そのヒントになるように、新聞記事の切り抜きを3つ紹介していただきました。
①朝日新聞2025年3月15日の「くらし」から、益田ミリのエッセイ「オトナになった女子たちへ」の一作『 “お母さん”になった日』
② 〃 2025年4月1日の「天声人語」から“日本ウソツキクラブ” についての話
③ 〃 2025年3月22日の東海林さだおの「まだまだ!あれも食いたいこれも食いたい」の『 モーモー税』
この3つのように、どんな主張でもよいので、自分の言ってみたいことやどうしても言いたいこと〜小さな主張から大きな主張まで、どんなことに関しても構わないので、言いたいことがあったらこの際言ってみましょう、というのが今回の課題のテーマです。
いろんなことを書くというのも勉強になるので、挑戦してみましょう!
最後に、生徒さんから漢字の使い方について質問がありました。
先生はおおよその読者の対象年齢や、登場人物に合わせて使う漢字を決めて書いておられるそうです。
大人が対象の場合、漢字は好きなように使えばよいのですが、漢字だらけになると紙面が真っ黒になったりするので
自分の中で目安を決めて書くとよいそうです。
本来は、事・物・様・風・方など抽象的なものを表す場合はひらがなで書き、具体的なものについて言及するときは漢字で書くという約束事があるのですが、気にせず使っている人が多いです。
でも、本来はひらがなで書くということは知っておいてくださいね。